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【738/1096】身体は毎日ゆがまない

身体が歪んでいる、という言葉はよく見かける。
骨盤のゆがみ、
背骨のゆがみ、
姿勢がゆがんでいる、
などの表現もよく見かける。

身体は毎日歪むから、エクササイズをすることでその歪みをとる、というのを今日見かけた。
身体は毎日歪むってどういうこと??と思って、そのサイトを見たらば、身体の中心から左右に割って、左右のバランスが対称になっているのがととのっていて、そうでないほうは歪んでいるとしていた。
なるほど、そういう理屈ねと思う。

そう、理屈である。
つまり身体のことを言っているが、身体ではなく頭でそう判断しているだけである。
身体には聴いていない。

身体はぜったい左右対称にならない。
左右非対称なのが自然なので、それを左右対称にするのは自然への冒涜ではないか、とすら思う。
体内におさまっている内臓が、左右で同じものではないのに、なぜ左右対称になると思うのであろうか。
というか、なぜそのように思い込まされているのであろうか。
左右で違う動きになってしまい、それを合わせて動きたいというとき、それは身体の声を聴いて合わせるというよりも、頭で思い描いたように身体を動かしたいだけなのではないのか?
もし、なりたい自分を左右対称に描いているなら、それは、どこの誰が描いたのか?
自分のどこから望んでいるものなのか?
その整理も出来ていないうちから、身体というたったひとつしかない、取りかえの利かない貴重な道具をその誰かの言いなりにさせるのか?
と思うのである。

が、私も人のことは言えない。。。かつては、左右対称がいいし、左右で同じように動けるのがいいと思っていた。
左右で動きが違うことが気持ち悪いと「違和感」だと感じ、直そうとし、動きの悪い方を「出来が悪い」「困ったもの」「だめなやつ」としていた。
動ける方に合わせるのが当たり前で、正しい(と思いこんでいる)方に合わせるのが当たり前で、それができないのは、ポンコツな身体のせいであると、身体のせいにしていたのである。
そして、自分の身体は、こんなポンコツぶりだから、仕方ないじゃんと言い訳の道具にしていた。
私の骨は歪んでいるから、O脚でも仕方ないんだって、みたいに。
(ちなみにこれは、10代の頃に行った整体で言われたのだが、それをうのみにして、「ほらやっぱり!」とやったのだ。)

呼吸・整体で、左と右は違うので、同じには動かないと学んで、実感している。
しかし、それでも、やっぱり気になって、最初は、左が~で、右が~でと繰り返し先生に質問した。
毎回答えてくれたけれど、あるとき、言われたことを肝に銘じることにした。
それは、
「左と右は、別人格ですよ」
だった。
ものすごい衝撃だった。
人格が違うのに、「お前、あいつと同じになれ」と強制しようとして、それにずっとこだわっていたのである。
そして、同じにならないことをずっと責めていた。
なんと理不尽か。

身体は歪まない。
歪んでいるのは、己じゃ。
身体のせいにすな。

そう肝に銘じたのである。
それから、左右の差はまったく気にならなくなった。
別人格なのだから、言うことが違うのは当たり前である。
だから、どう動きたいのか、身体に聴けばよい。

毎日身体は歪むから、それを強制しなければいけないというのは、支配の構造である。
その支配に飲み込まれてはいけない。

身体は歪まない。
歪んでいるのは、使っている自分である。

身体をととのえるというのは、ゆがみを直すということではない。
日々、使っているものは、日々、手入れをするということである。
手入れを怠ると、使いにくくなり、壊れる。
手入れはしないで、壊れたことに文句を言ったり、使いにくいと文句を言ったり、言うことを聞いてくれないと言ったりするのは、完全にお門違いである。

では、また。




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