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からだの声を聴く〜呼吸をまなぶ

呼吸をまなぶ、と言うと、ちょっとおかしなことに聞こえるかもしれない。
生きていれば、呼吸するのは当たり前で、誰でもできることで、やってることで、それの一体何を学ぶのか、と思うでしょう?
お金払って、時間使って、呼吸を学ぶなんて、、、と思うかもしれない。
私は今まで、大金を叩いて、たくさんのことを学んできた。
でも、呼吸ほど、自分で自分を導いて、ととのえてくれるものはない。

身体が悲鳴をあげている、と30代になった頃には自覚があったのだけど、自分を大切にするという感覚がまったくわからなかった。
痛みがあれば、薬を飲んで我慢する。
それ以外に対処がなかった。だんだん、薬が効かなくなっていることに薄々気づいていたけれど、それ以外の方法は”怪しい”と思って排除していた。
自分を信じて、自分自身がもともと持っている治癒力を引き出す、なんてことには全く思いも寄らなかった。

そもそも、私は、自分の身体が嫌いだった。
自分の身体の何もかもが気に入らなかったし、気にいるように変えることはできないと思い込んでいた。
顔の造作も気に入らなければ、髪がくせ毛なのも嫌だったし、肌が乾燥してガサガサでちっとも治らず、皮膚全部剥ぎ取って交換したいと思っていたこともある。そのくらい嫌いだった。
自己嫌悪もここまでくれば極まっていると思うけどw

その大嫌いな身体でも、そこから逃げることはできない。この身体で生きるしかないんだなーということを、朧げながら、子どもを産んでから思った。「あなたはどうしたいのか?」と問われて、答えが出せなかった自分に、なんども問いかけて、じゃあ、それでどう生きようか?どう生きたいのか?どう生きるのか?を考えた時、自分のままで正直に生きたいと願っていることに気づいた。
だけど、「自分のまま、正直」って??? それって、どんな自分??

とりあえず、「身体の声を聴いてみよう」と思った。
今まで、ずっと無視して、嫌って、酷使ばかりしてきた私のカラダに、耳を傾けてみよう。
身体の声を聴くと言っても、今までやったことないんだから、何をしたらいいかわからない。身体を動かすことを片っ端からやってみた。
ヨガ、太極拳、エクササイズ、ストレッチなどなど。
もともと運動習慣がなくて、身体を動かすことも嫌いだったけど、やってみると気持ち良いと感じることも出てきた。なかなか継続できないけど。


そんな頃、松永真美ちゃんに出会った。(真美ちゃんHP
真美ちゃんもいろいろやり尽くして、最後に行き着いたのが「呼吸」で、それを伝えてる人だ。
真美ちゃんの教えてくれる呼吸は、ただ単に、呼吸法というのではなくて、自分の生き方そのもの、みたいなことだった。

いつも自分と共にいて、しかも意識するだけで変えられるのは、呼吸だけだと思った。心臓のリズムや、脳波や血液の流れを意識で変えるのは難しいけど、呼吸が浅くなった時に、深く呼吸してみるというのはすぐできる。
それから、真美ちゃんが教える、呼吸のクラスに通うようになった。
身体はガチガチで、「力を抜く」ということができなかった。力を抜いているつもりだけど、緊張が抜けてなくて力んでいた。
脱力してゆるゆるになる、というのと、力を抜いている、というのは違うことだというのもわかってなかった。
40年以上この身体で生きてきたのに、身体を全然、認識できていなかったことに気づいて愕然とした。
真美ちゃんの指示通りにやろう、とすると、外側に意識が向いて、自分の身体から意識が遠ざかっていた。見せかけだけうまくやろうとしている、ということがあからさまだった。ウゲーってなった。自分がどんどん裸になっていくような感じ。
真美ちゃんの呼吸(*1)を始めてみたら、自分が如何に自分を無視してきたかにはっきり気づくようになった。
誰か、や、何か、に頼って、いつもいつも自分の外側に答えを求めていたのだということを、体感を持って知った。
それを、身体が「無理!」って言ってたことに気づいたのだ。
「誰かや何か」ではなくて、私の中に私の答えがある。
気づいたら、呼吸だけはずっと継続している。

「自分と息を合わせる」ことがもっとも自分らしく生きるを体現している、と思う。
呼吸が自然にできる。
そこが自分の居場所だ。
誰かや何かに頼るのではなくて、呼吸に戻れば、ちゃんと教えてくれる。
「私が私であること」の中心。
「私らしく、正直に」というのは、どこにも無理がない。
呼吸がその場所を思い出させてくれる。

呼吸は、1日に3万回くらいしているそうだけど、丁寧に観察すると、一回一回、全部違う。
吸う、吐く、のタイミングも、量も、長さも、全部違う。
そういう微細な違いに気づくことも、面白く、「私」という存在を知る手がかりになるなーと思う。
呼吸がととのうことで、自分に余白ができる。
その余白が、「いまここにある自分」という存在に戻れるのだと思う。
そして、一回一回、こんなにも違う呼吸から気づくことは、「呼吸しているだけで、本当にそれだけで、生きる価値があるのだ」ということの確信に繋がった。
呼吸って、本当にすごいのだ!

呼吸をして、余白が生まれると、「わからない」ことをわからないまま保留にしておけるようになった。
それまでは、「わかるまで」やらないといけないと、答えを探して焦っていた。わからないことは不快で、直ちに解消したがっていた。
でも、わからないことの方が人生は多い。答えがすぐに出ないことの方が、よっぽど多い。
大切なことほど、時間をかけて考えたり、感じたり、持っておくことが大事だったりする。
今までは、それができなかった。呼吸をやり始めたら、それができるようになった。
それは、自分で、自分をこんなにも変えることができるんだ、という実感でもあり、変えようと思って変えなきゃ!!と努力した訳でもなくて、呼吸をやってきた結果、そんな風になった。
そういうことなのだ、という体験でもあった。

今、私は、この呼吸の仕方を伝えるシェアリスト(*2)というのになろうとしている。
シェアする人。
たぶん、私という存在は、自分の学んで体験してきたことをシェアするのがとても好きなのだなと思う。

呼吸は学ばなくても、できると思う。
でも、学んでみたら、人生が変わる。
ぜひ一緒にやりましょう♪

注:*1 真美ちゃんの呼吸・・・森田敦史さんが考案された呼吸整体という手法。ただの手法というよりか、生き方そのものみたいな感じに受け取ってます。
  *2 シェアリスト・・・呼吸シェアリング協会が認定する呼吸シェアリストのこと。

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