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【272/1096】「話した」と「聴いてもらった」は違う

272日目。東京は今朝、久しぶりに雨が降って、湿って、少し気温も涼しかった。誘拐メールや、地震予告?で子どもたちが振り回されていて、なんというか、本当に子どもにしわ寄せがいきすぎだと思う。


久しぶりに20分、純粋に話を聴いてもらうという時間を持った。
自分が「これからやりたいこと」についてつらつらと話しながら、まとまりそうでまとまってないこと、もやもやしていることを炙り出していく感じ。

人と会って「(話を)話した」というのと、「(話を)聴いてもらった」というのは、ぜんぜん違う体験だ。

初めて、「聴いてもらった」という体験をしたとき、ものすごく泣けた。
今までの人生で、私は「聴いてもらったことがなかったのだ」ということを知って泣けたのだった。
「聴いてもらう」という体験は、自分の存在を認めてもらうのと同じだ。

存在が認められていて、相手が聴いてくれるから、「聴いてもらった」という体験になるのだ。
聴き方の技術のスキルはそのうえで成り立っている。
もちろん、技術は磨かれていたほうが、聴ける幅も、奥行きも広がる。
でも、まったく聴く技術なんてなくても、相手の存在を認めて、ただ、そこにいて耳を傾け、うなづいてもらうだけでも、「聴いてもらった」体験になる。
逆に、どんなにスキルが高く、聴く技術を持っていても、相手の存在を認めていないと、「話した」体験になるのだ。
一生懸命、話した。
話した分、すっきりはするけどもね。
聴いてもらってすっきりするのとは、違う体験になる。

カウンセリングやセラピーをする私としては、自分が最高に聴いてもらった体験を、私を通してお返しできるように提供したい。
聴く技術やスキルを磨き続けるのはもちろんなのだが、その前に、相手の存在をまるごと全部認められる自分でいること。
自分の中に、暴れまくってしまうもの(感情が揺さぶられるもの)を放置しているとそれができないから、そこをメンテナンスしながら、今できる最大限でやれることをやる、ってことだなーと。

人に聴いてもらうの、すごくよいですよ。
短い時間でも、一人で考えていたときに行けなかったところに行けたりするから。

では、またね。


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