楽しいで経済は回らない

綺麗事で飯は食えない

悍ましいタイトルで申し訳ないです。

某ウィルスのせいで受注予定の案件が流れたり、
商品入荷が滞るなどして今月大赤字(そもそも生活費が足りない)
な状態ですがあえて言わせてもらおうと思います。

人は楽しいだけでは生きていけない。

自分が楽しいだけでは生きていけないんですよ。
夢も希望もない話ですけどこれが現実です。

どこかの誰かが言っていました。
楽しいだけで生きていけるし経済は回ると。

確かにそれはそうです。
ですがそれは一時的で限定的なものです。
”素材から自分で作った状態で商品を売る”ならそれを続けることで
半永久的に経済は回せるとおもいます。

ですが、現実はそうではありません。
多かれ少なかれ仕入れが発生しそこには貨幣が必須です。
この時点で感情のみで経済は回らないという事になります。
その部分についての見解を発言者に問いたいと考えます。
私が知っている限りでこういった発言をしているのは数名いますので。

また、上記のような発言をしている人は、
あくまでその人が日頃生活する上でお金に不自由しておらず、
何なら自分で仕事を素材から作って販売できるほどの知識があるなど、
即収益を挙げれるような恵まれた立ち位置にいるからであって、
一般人にはまずもって再現不可能な超理論なんですよ。

金が必要であるから社畜化するんですよ。働きたくもないのに。
少なくとも日本では信用のみで飯は食えないから。
人助けをしておいて困ったときに助けてもらうことはあったとしても、
恩を売ってその恩を担保に毎月定期で固定額の現金を得ることは
出来ません。

そうでないとそもそも、昨今のTwitterトレンドワードに
OO悲鳴などというものは上がってくるわけがありません。

今の世の中の人に関する森羅万象は貨幣に握られています。
人の生死すらもそうです。そんな中でそういうふわふわした理想論とか
寝言めいたものを見かけると、何のんきなこと言ってるんだ!
としかならないのです。少なくとも私は。

私が何を言いたいのかというと、
令和の今は昭和のそれと違って理想と現実は大きく乖離しているから
理想的な生活をしている人を真似ても全く環境はよくならない。
それでも、飢える覚悟で理想を追い求め続けるのか、
みたくない現実も直視して自分の生活を守るのか。
否が応でも今年はこの選択をせざるを得ない人が増えると予想しています。

私は、理想を掲げて自分を教祖に宗教化することやら、
生存確実性の少ないリスク商品を選ぶ気は更々有りません。
細く長くより薄い対人関係を好みます。
生存のためにそれは少なくとも私には最適解であるから。

今回の記事は以上です。

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