映画・音楽評〈映像の海、音楽の雨〉  神山健治監督映画『ひるね姫』に、昨今の日本に跋扈する「日本スゴイ系」への強烈なカウンターを見出す。

(※ネタばれがありますので、ご注意ください)

  ■自動車という「未来」

 ロバート・ゼメキス監督『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ(85、89、90)で、タイムマシンはプルトニウムで動く車というかたちをとっていた。TVドラマ『ナイトライダー』(82~86)では、AIを搭載したスーパーカーが人間に協力し、悪に立ち向かう。車は「輝かしい未来」を象徴する文化的表象だった。しかし、テクノロジーが必ずしも輝かしい未来を約束しない、との見方が広がり、未来に希望が見出しづらくなっていくとともに、車はせいぜい「便利な道具」としてしか考えられなくなる。

 日本が誇る一大産業だった自動車産業も斜陽の時代を迎え、様々な改革を迫られるようになった。神山健治監督『ひるね姫~知らないワタシの物語~』(17)で描かれる志島自動車も、会社存続のために人間が運転するのではない自動運転技術の導入を検討しはじめる。そのプロジェクトを積極的に進めようとしたのが、志島自動車会長の娘、イクミだった。だが、会長の志島一心は、かつての成功体験にすがり、古い組織体質を変えることができない。自動運転技術の必要性を説く娘に「ハード屋がソフト屋に頭を下げるようなことがあれば、それこそ車づくりの終焉だ」と言い放つ。彼女は会社を去る。

  ■「鬼」が担う三つのメタファー

 『ひるね姫』の主人公、森川ココネは、ハートランド王国という国を舞台にした不思議な物語の夢を見る。ハートランド王の娘、エンシェンは、魔法でモノや機械に命を吹き込むことができる。しかし、その代償に、ハートランドは「鬼」と呼ばれる巨大な怪物に襲われる。鬼とは、テクノロジーが必然的に抱える負の側面のメタファーだ。人間が生み出したにも関わらず、人間の手ではもはや制御できないテクノロジーの予測不能性。原発事故を経験した私たちには、切実な問題だ。

 ハートランド王=志島一心には、その地位を狙う奸臣、ベワン=志島自動車取締役・渡辺一郎がいる。鬼とは彼の権力欲=我欲のメタファーでもある。すべてを己の思うがままに操りたいという欲望の形象化だ。

 ハートランド王は、ルールを絶対化し、それに反する者を処罰する。機械が社会を幸福へ導くと信じている。しかし、それは飽くまで人間が管理すべきだと考えている。だから、魔法を使って機械に命を与えてしまう娘を危険視し、幽閉する。ハートランド王=志島一心は、会社に刷新を求める娘と対立した。古い組織体質を引きずって生きていた。鬼とは、この旧態依然たる日本の悪弊のメタファーでもある。一見秩序立って整然と動いているかに見える組織体も、中を仔細に見てみると、腐食が進行しているのだ。

  ■真に「伝統」を受け継ぐ者は誰か

 志島一心は過去に縛られた人物だった。しかし娘のイクミの死を契機に、ようやく変わろうと決心する。

 組織を維持するために悪弊を変えられないということ。それは「伝統」を守っていると言えるのか。日本は古来から、外からやってくる思想、文化、技術等を吸収し、日本的に作り変えることで発展してきた国なのではなかったか。それなら、「変わらないためにこそ変える」のが日本的作法なのではないか。そう考えれば、新しい技術を否定する志島一心ではなく、新しい技術を受け入れるイクミこそが日本的「伝統」の体現者なのではないか。彼女は「いにしえのこころ ancient heart(エンシェント・ハート)」を持つ者だ。

  ■根がある故に翼を持てる者に祝福あれ

 鬼は、技術のレベルでは、その負の側面のメタファーであり、実存のレベルでは、我欲のメタファーであり、組織のレベルでは、旧態依然たる悪弊のメタファーである。だから、新しい技術を真に人の幸福のために使おうとする森川モモタローと、「変わらないためにこそ変える」精神を持った森川イクミと、地域共同体に支えられた存在である森川ココネという、森川家三人の力で退治される。

 会社を去る前に、イクミは志島自動車の社訓「心根ひとつで、人は空も飛べる」に対して、「私だったら、一文字変えるのにな」と呟いていた。娘の名、ココネは漢字で「心羽」と書く。社会学者の宮台真司は、真正右翼とヘタレ右翼の違いについて、よくこう表現する。「根がある故に翼を持てる者(真正右翼)と、根がない故に柱にすがる者(国家主義者=ヘタレ右翼)がいる」と。共同体に愛される存在、ココネは、まさに心に「根がある故に翼(羽)を持てる者」だ。

 国力の低下とともに、喪失した自信の裏返しとして表れている昨今の「日本スゴイ系」は、「根がない故に柱にすがる者」たちの不安の営みだ。さながらハートランドを跋扈する鬼のごとし。『ひるね姫』は、その鬼に強烈なカウンターを放つ意味論を秘めた、「右翼」の本義を垣間見させる作品だ。

  ■「デイ・ドリーム・ビリーバー」に隠されたエピソード

 ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬は、ライブでザ・タイマーズの「デイ・ドリーム・ビリーバー」のカバー曲を歌う際、この曲にまつわるボーカルのZERRY=忌野清志郎のエピソードを語る。清志郎は母親が亡くなった際、父に「お前の実の母親はお前が小さい頃に亡くなっていて、自分たちはお前を養子にしたのだ」と告げられた、と。彼は伯母夫婦に育てられたのだ。「デイ・ドリーム・ビリーバー」は、亡き実母と育ての母に捧げられた歌だ。幼児期に母を事故で亡くしたココネ。『ひるね姫』のエンディングに彼女が歌うこの曲が流れるのは、偶然ではない気がする。

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