「ドリフェス!」に夢を託してしまったにわかの話

ドリフェスに出会った時、他のどんな感情をもさしおいて、まずわたしは「許せない」と思った。

わたしの話をする前に、「ドリフェス!」の概要を簡単に説明しておく。
キャッチコピーは“二次元+三次元=五次元アイドル応援プロジェクト”。
イラストやアニメに描かれるイケメンキャラクター(二次元)と、彼らを演じる声優陣(三次元)。
この両者の駆け出しアイドル活動の軌跡を、ファンが同時進行で応援する、つまり「五次元アイドル」、という理屈らしい。

「ドリフェス!」はこの他にもファンの立ち位置など、他のアイドルジャンルと比べて特異な点がいくつかあるのだが、後でその話もするのでここではひとまず割愛する。

わたしと「ドリフェス!」のファーストコンタクトは、スマホ用のアプリゲームだった。

よくあるアイドルもののつもりで、ガチャから出てきた好みの顔をしたイケメンをお気に入りに設定し、ホーム画面に戻る。

よくある感じで、イケメンは挨拶をしてくれた。

演技、下手じゃね?と思った。

冒頭で説明したように、「ドリフェス!」は、「駆け出しアイドルであるキャラクターと演者」を同時進行で応援できるのが売りのコンテンツだ。

初々しい「駆け出しアイドル」を演じているのは、キャラクター達と同じく、声優としてもアイドルとしてもまだ駆け出しの、
見目麗しい若手舞台俳優たちなのである。

わたしの他にも多くの人が言及していることだが、はっきり言って、ゲーム版の彼らの声での演技はお世辞にも優れているとは言えなかった。

このご時世だから、新人にまず「アイドル」役を与え、ファンに暖かく応援してもらうビジネス事例なんていくらでもある。今更珍しくもない。会社にとっても、新人にとっても、ファンにとっても得だし。

彼らのキャリアのためにも、この企画はきっと成長のチャンスなのだ。
彼らも努力しているはず。そのうち上手くなるなら、いいじゃないか、影ながらでも応援すれば……。

頭では分かっている。
なのに、わたしの腹の奥底では、彼らへの醜い暴言がとぐろを巻いて居座り始めた。

なぜこんなものが許されている。

わたしならもっとうまくやる。

わたしならもっとうまくやるのに。

なぜ、彼らに与えたチャンスをわたしにはくれなかったのだ。

——わたしはかつて、演劇で飯を食って生きていくことを本気で夢見ていた人間だ。

他のなにを差し置いてもかまわないくらい演劇が楽しいことを知ったとき、幼いわたしがどれほど狂喜したか、なんと話せば伝えられるだろう。

なにをしても冴えなかった、満足に打ち込めなかったわたしが、舞台ではこんなにも努力と創意工夫を楽しんでいる。

わたしはこんなこともできる。
こんな存在にもなれる。

わたしにも、こんなわたしにも、人に誇れるものがあったんだ。
溢れんばかりの情熱があったんだ!

恋をしたことがないわたしは、演劇との出会いをひそかに「運命」と呼んだ。

わたしにとって演劇への愛は、演劇に夢中になれる自分への愛と少なからず結びついていた。

そして、大学生になり、同じ愛を抱く仲間たちと出会って、
わたしの愛は、夢は、運命は、実にあっけなく崩れ去った。

身体を壊したとか、なにか重大な勝負ごとに負けて打ち砕かれたとかではない。
ただ、わたしが諦めただけだ。

心から愛し、尊敬していた仲間たち。
その輝くばかりの個性や才能に触れるたびに、わたしの幸せな傲慢と勘違いは少しずつ崩れ落ちていった。

あの子にあってわたしにないもの。
身振りの多彩さ。美貌。「男性である」ということ。存在感。歌唱力。スター的魅力。権力のある人間からの信頼。

その、あの子にあってわたしにはない、ありとあらゆるものが、わたしが欲したもののことごとくを目の前でさらっていった。

終わりの瞬間は、なんの前触れもドラマもなく、突然訪れる。

節目の舞台が終わったあと、同級生の好演に笑顔で賞賛の言葉を送りながら、
わたしは急激に冷えてゆく胸の中で、漠然と「ああ、もういいや」と思った。

だれが悪いわけでもない。
仲間たちのことはいまでも愛している。
なにが悪いわけでもないのだ。演劇も、もちろん「ドリフェス!」も。

それでもなにか不合理なものを探すとすれば、夢を信じきる勇気がなかった臆病なわたし自身だろう。

本当に演劇が好きで夢があるなら、才能がないくらいで諦めたりはしないはずだ。
親に喧嘩を売ってでも、地元を飛び出して、東京かブロードウェイに修行やオーディションに行けばよかった。
安定しない生活や、枕営業のうわさなんか聞かないで、信じた道を突き進めばよかった。

なのに、わたしはそうしなかった。

結局、その程度の情熱だったのだ。

才能がなかったことより、わたしにはその事実の方がよほどこたえた。

わたしはほどなくして、「ドリフェス!」のアプリをアンインストールした。

単なる八つ当たりなのだが、積極的にアプリを開いて、彼らの声を聞く気にはどうしてもなれなかった。

いまから思えば、「ドリフェス!」に限った話ではなかったかもしれない。

「夢」を冠したなにか輝かしいものを、無意識のうちに遠ざけようとしていた。
就職活動を控え、どんなに白々しくとも「わたしは情熱と忍耐力のある優秀な人間だ」と大人に喧伝して回らなくてはならないいま、
息絶えた自分の貧弱な可能性の残骸からただ目を逸らしていたかった。

そして半年ほど前だろうか。
友人が「ドリフェス!」にハマったという。

高校が離れてから、多くとも年に数回しか会えない大好きな友人と、久しぶりに遊ぶ約束をした。

わたしと彼女が「遊ぶ」といえば、適当な食事が済んだ後ふたりでカラオケに篭りきり、歌4割オタク話5割、残り1割で互いの得意分野——友人は絵、わたしは小説を書いて交換しあうという、年頃の乙女にしてはまったくもって色気のない会合のことを指す。

「お互いに最近ハマったジャンルの話をたくさんしよう」とLINEで盛り上がり、そこでわたしは改めて、現在の彼女のメインジャンルが「ドリフェス!」であることを知った。

「きっと気にいると思う、推しになりそうなキャラにも心当たりがあるから期待してて」といつになく楽しげな彼女の話を、わたしはただ穏やかに聞いていた。

そうか、彼女は「ドリフェス!」が好きなのか。
少ししか立ち入らなかったわたしに辿り着けなかっただけで、彼女が言うのだから、きっと「ドリフェス!」はいいものなのだろう。
もともとわたしが勝手な理由で避けていたのだし、地雷だとか、ましてや嫌いだとか言って、はじめから遠ざけるつもりはさらさらなかった。

当時よりは少し、心の整理もついた。彼女が勧めるのなら、もう一度じっくり「ドリフェス!」に触れてみるのもいいかもしれない……。

そして、彼女との約束の奇しくも前日、「ドリフェス!」プロジェクトの完全終了が発表された。

とんでもないことになったらしいぞ。

というのは、友人のTwitterでの動揺ぶりからなんとなく察した。

彼女のリツイートを含むタイムラインはまさに阿鼻叫喚で、疑問、嘆き、怒り、困惑の声が溢れかえっていた。

つい昨日まで楽しく話題に上がっていたジャンルが「終わる」?
え、なにが?
どうして?どうやって?
そもそもよりにもよって、なんで今なの?

わたしに「ドリフェス!」のことはわからなかったが、
ようやく会える友人との約束を控えたわたしもまったく同じ気持ちだった。

翌日、待ち合わせ場所には、いつもよりちょっと元気のない彼女が現れた。
「昨日はずっと泣いててさあ」という彼女と一緒に、ひとまずカラオケへ直行する。

そこで、彼女にとって「ドリフェス!」がどれほど大きな存在だったのか、じっくり話を聞くことになった。

「ドリフェス!」において、私たちは「ファン」なの、と彼女は言った。

そう、ファン。普通のアイドルを好きになるのと同じ。プロデューサーでもマネージャーでもなんでもなくて、ただのファンなの、私たちは。

たとえば風間圭吾くんっていたでしょう。
この子はね、アイドルとして“王子様キャラ”を作ってるんだけど、本当はすごく普通の子なの。ラーメンとか好きだし。一人称もホントは「僕」じゃなくて「俺」なんだけど。

でも、ゲームだけをやっている私たちには、そんな彼の“素”を知る術はなかったんだよ。

普通の人だと物足りないかもしれない。
でも、その代わり「ドリフェス!」には、感情移入を促すためだけに用意された、取ってつけたような“芸能界の闇”も“鬱展開”もない。
ただアイドルとしてきらきら輝いている姿を、私たちファンは心から応援することができる。
これまで私は、ずっとそんな輝きを求めてアイドルものや女児向けアニメを追ってきた。
そうして、ようやく最近「ドリフェス!」にたどり着いたんだ。

最近はアイドルものっていろいろあるじゃない。
まあ流行ってるから、綺麗な衣装着せて歌わせて、派手なカードや声優さんのCDが売れればそれでいいんでしょ、って感じで。

商売だから仕方がないけど。
アイドルが好きな私は、そんな空気がどことなく不満だった。

でも、「ドリフェス!」は、
すごく、すごく「アイドルもの」だったし、「アイドルアニメ」だった。

ファンの期待に応えるってなんだろう。
スキャンダルとはどう付き合おう。
アイドルとしての真摯さってどういうことだろう。

そんなことを、アニメ1クールまるまるかけて、誰のことも悪者にしないで、真正面から取り上げてくれた。

初めて「これだ、これを私は求めていたんだ」と思った。

「ドリフェス!」にハマってからは毎日が楽しかった。

どうしてもっと早く知らなかったんだろう、と後悔はするけど、
大手のソシャゲに特有な、追い立てられるような焦りや肩身の狭さはなかった。
市場規模が小さいから、私の描いた絵でみんながすごく喜んでくれる。

私、大学でもいろいろあったし、ホントに新しい生き甲斐になりかけてたんだよね。

それが、こんな形で終わるなんて思わないじゃん。

あれはね、たぶん、実質「打ち切り」なんだと思う。
会社の体制が変わるのに従って、お金にならない企画は終わらせよう、みたいな話が急に出てきたんじゃないかな。

生放送見た感じだと、キャストのみんなも納得してないと思う。

ゲームのイベントだって、完結してない話がまだたくさんある。

私たちにきらきらの夢を与えてくれた「ドリフェス!」が、こんなところで、それも大人の都合みたいないちばん夢のない事情で、終わっていいはずがないんだ……。

いつでも朗らかで、とても人格のよくできた彼女が、こんなに激しく怒りや悲しみを示すことがあるのだと、8年の付き合いで初めて知ったわたしは少なからず驚いた。

でも、なんとなく分かる気がした。

「ドリフェス!」は、夢見るだけではいられない沢山のファン達——それこそ、夢に敗れたわたしのような——にとっての、希望の光だったのだろう。

それが望まぬ形で終わる虚無感。
言うなれば、願いをかけた星が既に死に果てた、幻だったと知った時のような。

「アイドルなんだからさ」
と、彼女は泣きながら言った。

「『エールの力は無限なんだ』ってことを、あそこまで丁寧に描いてくれた作品なんだからさ。最後まで笑顔で応援させてよ。奇跡を見せてよ」

現実の、ままならない毎日をどうにかやりすごしながら生きているファン達が「ドリフェス!」に託していた夢の総量は、どれほど重いものだったろう。

家に帰ったあと動画サイトに登録して、アニメを全話見た。

友人の言ったとおり、わたしも「ドリフェス!」が大好きになった。
キャラクターとしての推しもできた(いつき君と三神さんが好きです)。

素晴らしい脚本に本気でぶつかり、回を追うごとに上達していくキャストさん達の演技に、
そしてそのことに心底感動し喜べる自分に、驚き、安心したりもした。

そして、プロジェクト終了の最後の大舞台。
10/21の武道館に、わたしは行くことにした。
もちろん友人と一緒に。

どうしても、行かなくてはならないような気がしているのだ。
神聖な召喚の儀式のように、たとえばこんな、ひとつの大きな夢が終わる瞬間。
なにか、なにか特別なことが起こる気がしてならない。

はっきり言って、わたしは「にわか」だ。
身もふたもない言い方をすれば「最後だっていうから行く」という、失礼極まりない動機での参加になると思う。

けれど、最早、「ドリフェス!」に夢を託して生きてきた友人たちファンの心理は、
わたしにとって他人事ではなくなってしまった。
いま、わたしは本気で、彼らの夢の続きが見たいと願っている。
それだけは間違いないのだ。

沢山のファン達の夢を乗せて走ってきた「ドリフェス!」だ。
いまさら、わたしひとりのちっぽけな夢が乗っかったって、たいした違いはないだろう?

ずっと彼らの、そしてファン達の憧れだったはずの武道館の舞台で、
散りゆく「親愛なる夢」の向こう側の景色が見られたらいいと思う。

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