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「残り物で適当に作りました」って言えるようになった話

小さい頃からあまり食事に興味がなく、いつも同じものを食べてるし、食材の区別もつかない子でした。

とくに食材に関しては、「肉」「魚」「野菜」ぐらいのざっくりっぷりで、「豚肉」と「鶏肉」の違いが見ても食べてもわからないような状態。
わからないというか興味がないんですね。お腹に入れば何でも良かった。
比較的最近まで(35歳です笑)

逆にスナック菓子にはすごくうるさくてこだわりが強かったし、人にも絶対に譲らないし。

「食べる」ということに関して大事なことが崩れていました。それは、どこからいつからバランスを崩していたのかは分かりません。
いわゆるストレスってやつなのかも。

当然、体調を崩しました。
この体調不良の話はそれはそれで長くなるので一旦置いておきます。

あれやこれやとインターネットで調べて、「これを食べなさい」やら「あれは食べるな」やら、もう意味が分からなくなって…。
これもまぁ長らくグルグルしてるうちに少しずつ食材のことが分かってきて、調理法やらも同じく。

私は、私自身がそうであったから思うのですが、レシピを見て完コピし続けるのは料理じゃない気がしてて…。(実家を出て7年ぐらいそれでしたが。)
ちょっとお砂糖減らしてみようかな?とか、これは違う食材に変えてみようとか。
そういうアレンジが出来るのが料理なのかなと。でも私はそんなの全くできませんでした。「残り物で適当に作りました」ってどうやるのか分からない。だってレシピがない。

料理研究家・土井善晴さんの「一汁一菜でよいという提案」という本に出会いました。このころの私はたくさん食べないといけないと思っていて、胃の調子があまりよくないのに無理してたくさん作ってたくさん食べて。

この本に載っているのは、日本の文化として「ハレ」と「ケ」があって普段の料理は「日常=ケ」なので、そんなに頑張ったご飯を作る必要はない。食卓にたくさんのご飯を並べるのは「特別=ハレ」の日にすればいい。
そして、ケの日に食べる晩御飯は、「一汁一菜」=具沢山のお味噌汁とご飯でよいんだ。ということが書かれています。

時間をかけない簡単な晩ご飯。味噌汁の中にはそれこそ「残り物を適当に入れたら良い」のです。

私の料理が、私の思う「料理」に変わってきました。
土井さん曰く本当に何を入れても良いらしく、最近はアボカドを入れた写真をTwitterに上げていて、そんなのも入れて良いんだとビックリしました。
「味噌汁はすべてを受け入れる」という言葉通り
私が最近攻めたのはパプリカとトマトでした。美味しかった。本当に何を入れても美味しい。味噌汁は受け入れてくれます。(最近はピクルスがお供です)

料理が楽しいと思えるようになってきて、ちょっと出汁にこだわってみるようにもなりました。
かつおぶし・にぼし・干し椎茸・昆布・鳥の茹で汁…。鳥の茹で汁なんていう、前日に作った料理の二次利用が出来るようになりましたよ(すごい成長)。

甘い野菜ばっかり入れたらちょっと柚子胡椒なんて入れてピリッとさせたり。
すごい…私が素材の味を考えて調味料を工夫したり出来るなんて…。
余裕が出てくると中に入れるお肉を肉団子にしたり(見出し画像の団子です)して、これも前日に干し椎茸の出汁がらの残りを刻んで入れています。

またある映画(これはまた感想を書きたい!)を見てキッチンを愛する様子・調理器具・食材を愛する姿に影響を受け、毎日キッチンの片付けをちゃんとするようになって来て、キッチンが使いやすく・すぐに料理ができるキッチンになって来たり、食材の保存の仕方にも気を使えるようになって来ました。

もっとキッチンを使いやすく整えていきたいし、少し変わった食材にも挑戦してみたい。失敗しても味噌汁はすべてを受け入れてくれるから。
食材の違いも分からなかった私が、いろいろな経験を経て料理が楽しいと思えるように、少しこだわるようになって来た。時間がかからないやり方で。
冷蔵庫にあるものを使って「残ったもので適当に作った」具沢山のお味噌汁を毎日食べれば良い。

結局は、味噌汁のポテンシャルがすごいという話。

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