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対馬で陸上の楽しさを伝えたい-走らなくても楽しい陸上-

林田章紀@対馬です。

思えば「走る楽しさ」ってなんだろうとずっと考えていた。小さい頃から走るのは得意だった。それは長崎の海や山や川に囲まれた自然環境で走り回っていたからだと思う。走り回っていた理由は、自然に中にある景色や生き物、そしてちょっとしたスリル(危ない場所や危ない生き物)、そんな新しいものに出会える機会があったからのような気がする。

小学生4年生の時、親の勧めで地元の陸上クラブに入ったが、足が早くなることが目的の陸上クラブがあまり楽しめてなかった(親がいない日はよくサボって友達の家でゲームをしていた)。フォローのつもりはないが、そのクラブはとても良いクラブだ。多くの優秀な陸上選手を輩出しているし、僕が興味を示せていなかっただけ。正直OBというのは今では烏滸がましい。

中学校では昔から入りたかった野球部に入った。野球部は中学から始めたので下手くそだったが、仲間とボールが見えなくなるまで練習していたのは楽しかった。一方で走ることは夏の中総体、冬の駅伝には毎年借り出し部員として、走ることに参加させてもらっていた。得意という優越感はあったが楽しさで言えば野球の方が楽しかった。高校に上がるときに野球をするか、陸上(走る)かで考えていた当時為末大さん世界陸上でメダルを取って活躍していたことあり、得意なことなら上にいけるもしれないそう思って陸上を選んだ。

高校では400mHをやりたいなと思っていたが、顧問の先生の勧めで八種競技を選んだ。振り返ってみると、この八種競技(のちに十種競技)との出会いが僕が陸上を続けて来れた一つの理由だったのかもしれない(走るだけだと飽きていたと思う)。高校での走ることはキツかったが、記録も伸びたお陰で大会や合宿で色んな所に行くことができて楽しかった。

その後多くの周囲のサポートもあり、希望の大学で陸上を続けることができた。大学ではハイレベルな選手、スポーツの専門家、指導者、トレーニング設備も圧倒的だった。そんな恵まれた環境で陸上に専念できて記録も伸ばすことができ、目標とする大会にも参加することができた。得意が一つ形になった気がしてその時は楽しかった。

24歳で競技者として陸上(走ること)は辞めたが、縁あって指導者としてスタート切ることになった。指導していた選手たちが頑張ってくれたお陰で、国内外問わず多くの大会や合宿にも参加することができて楽しかった。その一方で、結果が出てるから楽しいのではないかと違和感を感じ始めた。その違和感を抱えたまま東京五輪が終わり、コーチ専業から一旦距離をおくことなる頃、OTTとMDCという2つの大会に出会った。

OTTやMDCに参加させてもらい、陸上(走ること)を「観ること、支えること、知ってもらうこと、作ること」に関わらせてもらうことができた。そして毎回のイベントが準備から終わった後まで楽しかった。

OTTやMDCとの出会いを通して、「走る楽しさ」は実は陸上という"コミュニティ"だったのだと気づくことができた。振り返ってみれば、走ること、十種競技をすることでの新しい世界や人との出会い、一緒に何かを作り上げることが楽しかったのだと思う。いつの間にか早く走れることが楽しいに置き換わっていたような気がする。

確かに走るという行為そのものだけでは楽しいものは生まれにくいかもしれないが、走るというものが誰か人と繋がったときに、走るという世界が一気に広がっていく感じがする。走るから広がるコミュニティの楽しさを対馬の陸上を通じて、広げていきたいと思う。

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