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US HIPHOPの歴史#09

 KanyeやJ Dillaというプロデューサーの出現やトラップが流行した2000年代はじめ、ネットの登場によりラッパーが自身の曲を売り込むマーケティング戦略が、ミックステープからネットへ変化していきました。今回の記事では、2000年代のラッパーのマーケティング戦略について掘り下げようと思います。
 
 2000年代はじめまでラッパーが自分を売り込み方は、自作したデモテープをレーベルに持ち込む方法と、自作もしくはDJの作るミックステープを路上で販売する方法、人気DJのミックステープに自分の曲を入れてもらう方法の3つが主流の方法でした。ですが、50centは既に出回っているミックステープから音声だけ勝手に抜き、自分のラップの方がうまいとアピールするという海賊版のような曲で知名度を上げる方法をとりました。50centのこの方法がうまくいき、海賊版の50centのラップではなく、50centのオリジナルの曲を聞きたいと思う人々が増えていきました。さらに、50centのミックステープがEminemの手に届いたことで、Eminemのレーベルや、Dr.Dreのレーベルと契約し、デビューアルバム「Get Rich or Die Tryin’」を2003年に発表しました。今までのラッパーたちは自分の作った曲を無料で聞かせるのに抵抗がありましたが、50centはまず無料で曲を聞かせ話題性をあげるという方法をとったことで、デビューアルバムの売上を伸ばすことができました。これにより、ミックステープを無料で聞かせ人気を集め、自身の売り込むという考え方が広がり、lil wayneやgucci maneなど多くのラッパーがこの方法を使いました。

引用元:https://www.discogs.com/

 2000年代後半からラッパーたちは、YouTubeなどのネットサービスを使った自分の売り込み方法を考え出しました。ラッパーたちがネットで自分の名を売ろうとしたきっかけには、DJ Dramaというgucci maneなど多くのラッパーをミックステープで有名にした人物が、著作権問題のグレーゾーンにあったミックステープが完全に黒になり、逮捕されたことで、ミックステープの規制が厳しくなり、露店で売られていたミックステープが警察に押収されたという流れがありました。また、Soulja Boyが現在では多く見られる曲に合わせてダンスのふりをする動画を上げるなどして、ネットでバズらせて曲の人気を高めるという方法をはじめてとり、この成功があったことで、ラッパーたちはネットで自分たちを売り込み始めました。

引用元:https://hiphopdna.jp/

 またこの時期には、SNSで人気を得る戦略をとるラッパーも出現してきました。Lil Bというラッパーがその走りといえます。彼は、何曲もネットに曲をアップしたり、YouTubeで週に何度か動画をアップしたりするだけでなく、Twitterでファンにリプをしたり、ミーム画像をツイートするなどして人気を獲得していきました。このSNSを使った方法は、lil nas xなど他のラッパーなども真似するようになりました。

引用元:https://twitter.com/LILBTHEBASEDGOD

 今回の記事では、2000年代のラッパーのマーケティング戦略について掘り下げていきました。ラッパーのマーケティング戦略は、ミックステープをCDやテープなどの媒体で広める方法からネットで聞いてもらう方法に移行しました。また、ネットで流行らせるためにバズを使い、現代につながるマーケティング戦略を行い始めました。次回は、2000年代のHIPHOPの音楽的な発展について触れていこうと思います。