ネット野良犬の調教方法その2

前回記事の補足

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相手を論破しようとせず、争点をずらす。
争いを求めている相手に「ならば論破したい」という
願望を引き起こさせる。

この攻守交替がキモで。

釣り野伏せで相手を縦深陣に引き込むがごとくである。
そこはまさに「必勝不敗の地」だ。

論破するためには基本的に「本人の同意」が必要だ。
これは自分も相手も同じこと。

まず野良犬を直接論破することは出来ない。
なぜなら野良犬は論理を理解せず、感情を重視するからである。
だから「論破しようとしてはダメ」なのだ。

一方で人間側も「論理的でない野良犬の吠え声」にビビル必要はない。
「あなたの中ではそうなんでしょうね」
「あなたがそう思うのは自由です」
「どちらが愚かかはあなたではなく第三者が見て判断することですよ」
くらいでのらりくらりとしていればよい。

同等公平に「こちらもこちらの中ではこう思ってるんです」と
野良犬側の言い分を認めた上で、こちらの言い分の存在余地を認めさせれば
その時点で一方的に攻め込まれる心配はない。
(もとい無理やり攻め込んできても撃退は容易い)
あとは野良犬側の無理な理屈の矛盾を浮き彫りにする作業だけである。

実は「人間側」も「野良犬側」も相手を論破していないのだから
この時点では本来厳密にいえば「単なる引き分け」なのだ。

だが、ここで相手に目的を問うた意味が出てくる。
野良犬側は「こんな簡単なことが分からないバカだからバカにバカと言って何が悪い」と
息巻き「誤っている人間を論破(説得)する!」と不可能な目的を宣言している。
だが野良犬側は人間側が同意しない限り、目的を達成できない。
(人間側が同意するとすれば「論理的な説得」が必須だが、そもそも野良犬は謙虚な
論理的な説得ができないがゆえに「野良犬」なわけだ。ゆえに目的達成は不可能だと言える。)

一方で人間側は「別に野良犬側の言い分は野良犬の中でどう思おうが自由だよ」と
認めているので論破する必要すらない。そして相手の無理攻めを誘い、相手の言葉で相手を攻撃することで論破してしまうという寸法だ。まあこれはオマケみたいなものだ。実際は上記の引き分けの時点で実質的に人間側は目的達成(勝利)、動物側は目的未達成(敗北)となっている。

以上から「(論理を理解している)人間様が(論理を理解しない)野良犬ごときに負けるわけがない」のだ。私が「調教」と称したのはそれをさすわけだ。

前提と結論、手段と目的などの論理性そのものが「議論における戦術」だとしたら
今回語ったのは「議論における戦略」だ。相互の勝利条件を確認することでその戦略的勝利が明瞭になるわけだ。ここ定めずに目の前の野良犬を追い払おうと追いかけまわすと泥仕合になってしまうわけだ。

クリア不可能な勝利条件の設定がいかに愚かなことか、逆に適切な勝利条件の設定がいかに有効かを再確認いただきたい。「成し遂げていることは全くの互角」にもかかわらず
人間側は一方的に野良犬側を調教できるわけだ。

見知らぬ相手に乱暴な物言いで吠えかかることがいかに愚かなことか、我々人間としては野良犬に教えたほうが世のため人の為となる。

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。