2007格上との戦い方

人生の修羅場にも応用が利くと思われる考え方。スポーツなら単純にパワーやスピード、討論や将棋、ゲームなどの知的競技なら読みの深さ。

素人にも分かるくらい明らかに単純比較しやすいところで格上の存在と戦う時に考えること。私は幸か不幸か、身近に良き格上が多く、必然的に格上との戦いの経験値が一番多くなった。スポーツにしろ、知的競技にしろ格上との戦いで感じている共通点がある。今回以降3つの要素で掘り下げを述べてみる。

私が掲げる3要素は「折れない心」「勝負点を探す」「不確定要素の増加」である。それぞれに明快な理由がある。詳細は各論で述べる。とりあえず総論で言える事は、「普通は勝てない格上に工夫をして勝利すると途方も無い達成感を得られる」ということだ。

ゲームなどでザコをかっこよくなぎ倒す爽快感があるの私にもはわかる。だが、爽快感と達成感では快感の度合いが比較にならない。ホームレスの方に乱暴をしたり、いじめをしいる人間は歪んでいるとはいえ「爽快感」を得ているのだろう。しかし、彼らはすぐに物足りなくなり、その行為を繰り返すことが多い。

一方、格上に勝つ達成感を目指すものはそもそも準備に時間を掛けなければならないし、得られる確率も低い。その点、達成感は持続する。達成感を目指す者が次の目標を目指すときは必ず本人がランクアップしている。自分の最高到達点を知ることが出来るのだ。

「オレは爽快感でいいや」と言っているヒトに「ソコでいいの?達成感まであがっておいで!」と強く奨める理由はこれである。もちろん、一長一短で「中々勝てない」と言うところでストレスがたまることは多い。ええ、そりゃもう。だから、爽快感だけでも達成感だけでもダメで
バランスの良い配合が必要になる。ただ、安易に得られる爽快感だけで終わるのは勿体無いと思うのだ。たとえば資格試験に挑む方々は達成感を目指す方々だ。ぜひ、そう快感を手に入れてほしい(私も頑張らなければ)。

「逆境ではナルシストになれ」

あきらめないこと。3要素で最も重要。最悪、他の2つは無くても何とかなることもありうるが、これが無いとお話にならない。以前、「死ぬまで頑張れば絶対大丈夫」と謳ったことがあるがまさにそれだ。

「自分の領域」を最大限発揮するために必要な気構えである。格上との戦いでは当然のように何度も敗北を覚悟する状況に追い込まれる。事実そのまま負けてしまうことも多い。だからこそ根性が問われる。

ある種、追い詰められてる状況であきらめない自分に酔うナルシストになれれば理想的かもしれない。「おお、こんなピンチなのに、まだ俺あきらめてないぞ!?もしかして、かっこよくないか?」という感じ。(笑)

これは「自己の客観視」にもつながる。追い詰められて、アガったり、訳が分からなくなるのを防ぐ効果がある。あきらめると相手にとってはありがたい話である。自分で相手にとってのハードルを下げてはいけない。自分の意志で思考が続く限り、ギリギリまで方策を探るのだ。潔さ?そんなカッコいい事、言える余裕、私には無い。かっこ悪くても泥臭くても反則スレスレでも良い。(もちろん、反則はいけないが)しぶとく、しつこく最善を尽くし続ける心が必要だ。

もう1つ、考えたいのが「人があきらめる時」。これは何をして良いか分からない時や大差がついて逆転がどう見ても困難なときなどだろう。何事も表裏があるのであきらめることの効果も考えなければならない。

失敗が決まった時の衝撃が少ないこととか、無駄な力を割かないで済むことだろうか?高校野球ではピッチャーゴロでも最後まで全力だ走るが、プロ野球では見切りをつける。下手に全力疾走をするとケガをする。そういった「あきらめ」「見切り」の効用が有効なこともある。認めた上で、それでもあきらめないほうが良い。

奇跡というと大げさだが、感動や劇的な出来事を起こせた時の達成感は何者にも変え難いものだ。

「自分の土俵で戦え」

2つ目の要素は「上回る点探し」である。面ではなく、点での勝負に持ち込むイメージだろうか。

「自分」と「相手」という考え方で言えば、総合力ではなく、一部の争点に持ち込む。「自分の領域」を有効に主張し、「相手の領域」を制約する考え方である。

相手がすべてにおいて100%上回る事はほぼありえない。表裏の解釈を用いれば相手の長所は弱点にできる。確かに格上というだけあり、ほとんどの要素で相手が上回っていることは多い。そういう時に総合力を分析しても絶望するだけだ。各論を考える。ほぼ全て上回られても
僅かにある自分が勝る部分を見つけ出す。

そのためには視野の広さに加えて細やかさや視点の変更が求められる。
恐竜とネズミが争うとき、ネズミはパワー勝負でなく燃費競争に持ち込めば勝る。そうすれば作戦は兵糧攻めになるというように自ずと争点まで決まるものだ。

例えば将棋などの知的競技では「読みの深さ」に「読みの広さ」で対抗する。なお、短距離走など測る尺度が明快で、争うのは人間同士ではなく記録争いの場合はさすがにしんどいが。これは「自分」が相手に影響を及ぼせる比率が少なくなるからだろう。

「不確定要素を増やせ」

最後、3つ目の考え方は不確定要素の増加である。

「自分」でも「相手」でもなく、「その他」の領域を増やす考え方だ。勝負における相手の支配領域の削減である。自分が1で相手が4だと合計は5、相手の支配率は8割に及ぶ。しかし、ここにその他の要素を5盛り込むと合計は10になり、相手の支配率は50%にまで落ちる。

予想や予測をできない事柄を増やす、場を乱す、運の要素を持ち込むなどして波乱を呼ぶ。不利ならば事態を安定させてはならない。乱戦になればこそ流れ矢が敵将に当たる可能性も出てくる。色々な手段をひねり出して相手を幻惑、かく乱する。相手のペースを乱す。

自分の要素をイキナリ増やしたり、相手の要素をイキナリ減らしたりは難しい。いきなり勝とうとするのではなくその他の要素を増やしていく、いっそ意地になって場を引っ掻き回すことに専念する。

反対にアナタが格下を相手にしている場合は場を治め、収束に向わせる。純粋に「格」が活きる展開にすれば当然に勝てる。以前ムシキングのゲーム理論で語った、一定点を突き抜けると到達する読み合いの
ジャンケン関係に届久野だが、そこに持ち込めば安定する。

読みが一定の点を突き抜けると最善手が定まりにくくなる瞬間がある。そこにまで到達して初めて幸運を期待できる。1対1ならば出せる策のコンビネーション、集団戦ならメンバー同士のコンビネーションを考える。

私の棋風が正攻法でなく奇策にあるのもこれが要因である。「逃げ」でも「卑怯」でもない。正面からダンプカーが突っ走ってくるのに「逃げるのは卑怯だ」といって正面からぶつかる人間を正々堂々として立派だと言えるのか?それをかわすのは卑怯なのか?

「逃げ」と「避け」、「卑怯」と「策略」、「勇気」と「無謀」は別のものだ。

戦闘の性質においては格上相手に正面決戦をしてはならない。ゲリラ戦に持ち込むべきだ。格上相手にいきなり勝利を目指すのではなく、互角を目指す。そのためには混沌状態に持ち込む必要があるという考え方は
戦い方の性質を定めると言うことでは戦術になるだろう。

トータルとしては限定戦略拡大戦術ということになる。戦う場は得意な場所に限定、戦い方は選ばないということだ。間違っても反対をしてはならない(笑)。

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。