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6日目:屋久島(2019/9/12)

 屋久島の空にも星がたくさん見えた。午前3時に起きた僕たちは、4時発のバスに乗る前、少し早く宿を出発して屋久島の星空を見上げた。
 人工衛星は見えなかった。10年近く前、屋久島に行きたいと思ったのは、当時いいな〜と思ってた大学の先輩女子から「人工衛星だって見えるんだよ屋久島の夜空は」と聞いたからだった(今これ書いてて思い出した)。ちなみに「いいなと思ってる人」とは「好きという感情は同時点において原則ないがイイならイイ人」のことである(クソ)。
 その先輩は10年以上前にこの島のどこかにいて、空を見上げていた。不思議な感じがする。

 星空を今までどれくらい、誰とどこで見上げたか。じっと星を眺める経験は、振り返るとそんなに多くない。
 小学生の頃にオリオン座?流星群をみようと夜中に河川敷まで母が運転して出かけた。深夜に車で外出したのは確かこの時が初めてで、僕はそのことの方に興奮していたかもしれない。流れ星ないねないねと待ってると、だしぬけに大きな流れ星が夜空を切り裂いてたちまち消えた。あの時の空。
 小学校のころにキャンプ場で、深夜に立ちションしながら見上げた空。大学1年の冬に箱根の山で先輩たちと芝生に寝転んで見た星空。2年のクリスマスに宅飲みして深夜寝静まった夜中に好きな人と抜け出して散歩中に見た夜景と空。4年、男仲間たちと深夜ドライブ中に見上げた空。今の仕事が始まって間もない時期にある島で1人、暗闇から見上げた空…………。
 星空の思い出を振り返ってると泣きそう。見えてる空の方向が違ったり、厳密には星の増減があるのだとしても、僕たちは現在も、地球のどこから見上げようと同じ空を見ている、あの時と。だから星空にまつわる様々な記憶が、見上げてる今、ここに、僕に、帰ってくる。
 卒業後は全く無関係になってしまい、もう会うこともないであろうあの先輩もどこかで、今も屋久島の星空を思い出すのだろうか?

 バスに乗車し、屋久杉自然館のバス停で乗り換え。すでに大勢の登山客がバスを待っていて、すぐには乗れなかったので朝ごはんのお弁当を食べる。

 2台目のバスに乗車。ぎゅうぎゅうに人が乗り込む。海の方で空が赤く染まりだす。よくもこんな道をというくらい細い道をバスがずんずん行く。

 荒川登山口に着いた。ここから往復10時間とされる。午前6時、トレッキングが始まった。

 まだ日が昇ってきていないから辺りが薄暗い。トロッコ道に敷かれた幅40センチほどの板の上を歩く。

 徐々に明るくなり、トロッコ道がいろんな風景を見せていく。たとえば、橋とか、

河とか、

こけに覆われた森、

学校跡(!!)まで、

木漏れ日はとてもよき、

樹々の間に広がる青空に癒されて

…という感じ。最高。

 学校跡はまじで驚いた。小杉谷小・中学校の跡だそう。最盛期は500人以上が暮らした小杉谷集落。木材搬出のための前線基地としての歴史を1970年、事業所の閉鎖と同時に閉じたらしい。登山口から40分以上歩いた場所。まさかこんなところに集落があったとは。

 スタートから約2時間後の午前8時、トロッコ道が終わる。傾斜の急な上り階段がある。看板がある。「ここを遅くとも午前10時までには出発してください」

えっ

 焦る。むろんまだ時間に余裕はあるが、遅巻けば帰れなくなるということだ。コースが一気に険しくなった。登山道「大株歩道」である。

 直線?距離は2.9キロほどらしいのだが、上がったり下がったりがめちゃくちゃ多い。小川をさらに上流に遡っていく道で、かなり歩きづらく、徐々に左膝がキンキン痛み出す。父がふらつき始める。きつい。以前は「ムリかも」と言っていた父は「ココまで来たからには最後まで」と闘志を燃やすが、比喩じゃなくてまじでフラフラしてる。帰りもあるんだぜ父・・・!

 40分後、かの有名な「ウイルソン株」というのにたどり着いて、われわれ一気にテンションが上がる。直径5メートルくらい?の大きな株だけが残って観光名所になっている。中は空洞で、入るとこんな光景が見られる。

 株は天井が抜けていて、その模様が、ある角度からはハート型になるのだ。これでもいろいろ試して撮ったつもりだが、もっと上手くハートの形になるらしい。いやまあ正直ハート型かどうかはまじでどうでも良くて、これふつうに神聖すぎない? 中には祠もあるんだけど、いや祠の有無にかかわらず、これだけ大きなかまくら状の株内には入れるってまじでやばくないか冷静に…? どれだけの時があればこんなことになるというのか。

 おれが最初から最後まで特に魅了されていたのが、木々を包み込むコケなどの小さな植物だ。包み込む、というのは森が持つひとつの大きな力なのだが、それはこんなに小さな生き物たちが担っている。かわいい。

 折り返してきた人たちとすれ違うたびに、「縄文杉まであと何分くらいか」と尋ねる。進めど進めど「あと20分くらい」と言われる。タイムリープかよ。まじ着かない。大王杉の看板が現れたけどどこにあるのと周囲を見回したら突如視界を埋め尽くした巨木に驚き、夫婦杉の仲むつまじい様子にほっこりして、歩いて、休んでは歩いて、登っては降りて、左足が上がらなくなって、でも着かねえじゃねえか!!
 そんなことを言いながら、他方で屋久島の凄みを強烈に感じていた。樹齢1000年をゆうに超えていそうな樹々がそこかしこに出没する。森全体が太古の姿をとどめているように思われた。なんという場所なんだろう。

 歩き始めてから4時間40分。木造の大きな展望デッキが見える。その先。ついに姿が見えた。一説には世界で最も古いともいわれる樹。縄文杉。

 圧倒的。島の主だ。
 樹齢2000年超とみる説があるが、だとしたらこの樹が生まれたとき、島はどうなっていたのか。生まれたばかりの樹の回りには、より古い成木が茂っていたのだろうか。なんて途方もない話だ。
 縄文杉は1966年に岩川貞次氏が発見して知られるようになったという。岩川氏はこの樹を初めて見たとき何を思っただろう。

 「手を合わせたくなる」と父が言う。分かる…。近くにいた若い女性が黄昏れていた。分かる……。若いにいちゃんがイヤホンを耳に当てて杉をぼうっと眺めていた。アシタカせっ記やろそれ………。

 樹は生まれた場所から動かない。ある土は風に吹かれ雨に流され、ある土はプレート運動に伴う大地の揺れに崩されるだろう、にもかかわらず数千年、この樹はなぜこの場所で生きてこられたのだろう? この島はなぜこの樹を生かし続けてきたのだろう? 偶然というほかない。生きるとは数多の偶然を引き受け続けることだ。
 縄文杉には10種以上の植物が着生しているという。「樹上に小さな森をつくっている」(説明書き)。数千年も同じ場所に生き続けてきた樹が、自身の上に森をつくる。このあまりに壮大な事実をどう受け止めればいいのか。

 午前11時半、昼食を済ませた僕たちは復路をスタートした。この長い長い旅の全体が、いま折り返しを始めた。
 「きゅーん」という甲高い鳴き声を響かせて子鹿が山道を登っていく。大きな猿が登山コースに現れる。黒い蛙が水たまりの隅で半身を浸している(全身黒の蛙。アルビノ種?)。いろんな生き物がいる。おれは左足の膝関節が痛みでどうしようもなくなり、段を上がるときは右、下がるときは左を使うようにして、関節を曲げないようにしながら進む。父は往路より元気がある。数組の人たちと抜いたり抜かれたりしながら歩を進めていく。

 大株歩道が終わり、ほっとした。そこからはトロッコ道。行きは気づかなかったが、帰り道はゆるやかな下り坂だった。すいすい進む。とくに父。どこにそんな体力が残っていた。

 帰りのトロッコ道、後半は、僕ら2人だけなのではないかというくらい、ほとんど誰にもすれ違わず、抜かしも抜かされもしなかった。父も僕も、手がものすごくむくんでいた。午後3時28分、僕たちは登山口に無事たどりついた。脚がもう上がらない。

 夜は宿近くのカフェで食べた。食べている間だけ大雨が降って、食後に店を出ると雨は止んでいた。実はあしたも早い。朝一番の船で島を出るのだ。日記はここまで。

 縄文杉。僕は縄文杉のもとを離れるときに手を合わせた。あの光景を忘れないでいられると思う。まあとにかくすごい1日だった。少しずついろんなことを考えたい。来て良かった。僕は必ずまた縄文杉を見に来たいと思う。

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mK

東京在住アラサー男。日記書きます。

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