大丈夫、みんな自己中だから

授業中、Aさんが友達と話しまくっている。
真面目なBさんは、あいつ自己中やな ほんま困るわ、ってC先生に相談する。
C先生は、Aさんに自分のことだけ考えてはいけません! と注意する。

よく起きうることだ。
でも、本当にAさんは自己中心的なのだろうか。

Aさんは、授業が退屈か 嫌いか ただおしゃべり好きなのか
理由はわからないけれど、とにかく話したい。
そう、自分を中心に据え、話したいという欲望を満たしている。
Aさんは、自己中心的と言えるだろう。

真面目な生徒(Bさん)は、きっと
『俺は授業を聞きたいのに』って思っている。
それが叶わないから うるさいAさんに怒っている。
そして、Aさんを自己中心的と断罪し、先生に報告している。

改めて考えてみると、Bさんも
『俺は授業を聞きたいのに』という自分の思いを中心に据えている。
つまり、Bさんもある意味で自己中心的なのである。

ここで、ある意味と言ったのは Bさんのこの想い・行動は
一般的に自己中心的とされないからだ。
それは教育の成果であると思う。(後述)

さて、全ての人は自己中心的だと私は思う。
Sさんは友達想いだとしよう。
彼はなぜ友達想いなのか。
理由なんていらない、とは言わず考えてみると
①友達がいないと毎日つまらないし、今の関係性を維持したい
②友達に恩を売ることで、いざとなった時に助けてほしい
③友達想いの自分が大好きでかっこいいと感じている
どうせそんなとこだろう。
意識的であれ、無意識的であれ、そう判断していると思う。

面倒見の良い上司を考えてみよう。
彼女はなぜ面倒見が良いのか。
①面倒を見ずに退職されると評価が下がる
②目をかけて育てることで、自身のピンチの時に助けてくれるはず
③目をかけて育てればきっと成長して、私の仕事を楽にしてくれるし、教育者としての私の評価が上がる

どうせそんなとこだろう。
②や③を意識的・無意識的に思っているから
『あいつ手塩にかけて育てだったのに反抗しやがって』とか
『あいつあんな優しく育てたったのに、会社辞めんのかい』
とかなる。

さあ元の話に戻ろう。C先生はどうだろう。
なぜAさんのことを注意したのか。

理由はいろいろ考えられる。
①模範解答としては、生徒に十分で平等な教育機会を与えるため
②疲れた社会人的な解答としては、Bさんの指摘を無視することで発生する PTA・保護者からの苦情リスク削減や校長・教頭からの叱責リスクの削減
③人間的な解答としては、Aさんが嫌い。もしくはBさんが好き

どの場合も結局は自己中心的だ。
①は一見Bさんや社会のことを考えているように思う。でもその本質はきっと違う。大好きなD先生に軽蔑されたくないから このポリシーを大切にしたい、とか
教育的な人が増えたほうが私は生きやすい
とか、そんなことをきっと考えている。
②は自身の保身という、自己の思いを中心に据えている
③は自身の好き嫌いという、自己の感情を中心に据えている。

どうせC先生も自己中心的なのである。
そう、AさんもBさんもC先生もみんな自分のことしか考えていない。

でも、BさんやC先生は通常非難されない。
それは、その方が秩序を作る人にとって都合がいいからだ。
全員自己中やから何してもいいよ、なんて言ってたら 社会のどんな制度も成り立たない。
だから、制度を作る人にとって都合がいい"自己中心的"は、"自己中心的"とされないのだ。

あいつは人のこと考えてない、という発言は裏返すと
俺のこともっと考えてよ っていう自己中心的な思いだ。

きっと今までの積み重ねで、自己中心的は悪いイメージがついている。
でも自己中心的で利己的なのは全く人間の自然であって、
責めること 責められることでは全くないのではなかろうか

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