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ポールが語るエリザベス女王の思い出

英国時間の9月8日、女王エリザベス2世が崩御された。
96年の生涯で、英国史上最長の70年に渡り君主として君臨し、英連邦そして世界への献身を示し続けた。

ポールマッカートニーは同日、SNSを通じて短い追悼メッセージを表した。

そして翌9月9日、自身のHPに女王との思い出を公表した。
今回は、この全文を紹介する。


女王陛下エリザベス2世の崩御という哀しみに際し、多くの思い出がわき上がっているので、みなさんと共有したいと思います。

エリザベス2世の時代に生きて来られたことを、心から栄誉に思います。僕が10歳の時、リバプールの作文コンテストにエントリーし、英国王室をテーマにした作文で賞を貰いました。僕自身が長い間ファンだったのです。1953年に女王が戴冠された時、僕が住んでいたスピーク地域の家々は遂にテレビを手に入れ、白黒の戴冠式の映像を静かに見たものでした。



思い返すと、女王陛下に8、9回もお会いすることができたことは光栄で驚くべきことです。そしていつも彼女は、素晴らしいユーモアと尊厳を持って接してくださいました。

初めてお会いしたのは、1965年10月26日にビートルズがMBEを受勲した時でした。僕たちは傍で、正しい儀礼を教えてもらっていました。女王陛下にどのように接するか、彼女がお話になるまで話しかけてはいけないと教わっていたのです。リバプール出身の4人の若者にとっては「ワオ、おっす!」という感じでした。

次にお会いしたのは、1982年12月13日ロイヤルアルバートホールでのことでした。「イブニングフォーコンサベーション」というイベントにリンダと出席した時のことです。その夜はビートルズの曲もオーケストラで演奏され、そのことを女王陛下とお話ししたことを覚えています。彼女は、フィリップ殿下を紹介してくださり、彼は60年代にお会いした時のことを覚えていると仰ってくれました。

3回目にお会いしたのは次の10年代です。1996年の6月に、女王はリバプールインスティチュートフォアパフォーミングアーツ(LIPA)をジョージハリソンと僕が通った学校の跡地に開校することを快諾してくださりました。彼女は光栄にも事前に学校に寄付もしてくださりました。

そして翌年にお会いした日は大変誇りに思っている日です。人生で最良の日の一つとも言えるでしょう。英国勲爵士(ナイトの称号)を頂けたことは非常に光栄なことで、もちろんお断りするのは失礼です!春の日の、空がとても青い日だったことを覚えています。とても素晴らしい日で、リバプールの小さなテラスハウスから随分長い道のりを歩んできたものだと思い返したものです!

その次にお会いしたのは新しい世紀でした。なんて日だったのでしょう!ゴールデンジュビリー(即位50周年)のお祝いに、彼女のお庭でロックコンサートをしたのです。コンサートの最後に女王陛下がステージに上がられた時、「来年もやってよろしいでしょうか」と伺うと、「私の庭じゃなければね!」とお答えになられました。


またすぐにお会いしましたが、その時は僕の庭でした。ジョンと僕が学生の頃よく通った(リバプール)ウォーカーアートギャラリーで光栄にも絵画の展示会を開かせてもらったのです。女王陛下に美術館をご案内できたことは非常に名誉なことでした。

また10年が過ぎ、ナンシーと僕はサラブレーションオブアーツアットザロイヤルアカデミーオブアーツインロンドンという特別なイベントに参加させていただきました。この時も、女王陛下とお話し出来ることに感動していました。

2012年6月4日には女王のダイヤモンドジュビリー(即位60周年)をお祝いしましたが、さまざまな意味で特別なものでした。10年前のお祝い以来初めての彼女の前での演奏でしたし、パルマル街から埋まる群衆の光景は素晴らしいものでした。そして後には王室のご家族にもお会いすることができました。英国人として素晴らしい週末でした。


最後にお会いしたのは2018年のことです。女王ご自身とその素晴らしいユーモアのセンスへの敬意と情愛を込めて、名誉勲士(コンパニオンオブオーナー)のメダルをいただく際に握手をし「こんなふうにお会いするのを止めなくてはいけませんね」と言いました。彼女はくすりと笑い、儀式に戻られました。こんなことを言ってしまって、少し厚かまし過ぎたかなと思いましたが、女王のことなので、気にされていないように思います。

神のご加護がありますように。寂しくなりますね。

ポール



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