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3/5 生き延びてまた逢おう

bonobosという名前を初めて知ったのは2006年、朝から晩までスペースシャワーTVに張り付いていた12歳のころ。流れてきた「Beautiful」が今まで聴いたことのあるどんな音楽ともなんか全然違うぞと思った。当時はいわゆるロキノン系と呼ばれるようなギターロックが大好きだったから、そこからbonobosを追うことはなかったけれど、サビ始まりの「美しく」の5音は長いこと強く印象に残っていた(ベスト盤のジャケットのインパクトもすごかった)。

時は流れて23歳、社会人1年目。彼氏とは遠距離になり、友達とも休みが合わず、まあまあな激務で鬱屈としていた頃、YouTubeから「Crusin’Crusin’」が流れてきたのだった。え、bonobosってあのbonobosか、と思いつつすぐにAppleMusicで検索し、「FOLK CITY FOLK.ep」や「23区」を何度も聴いた。当時は仕事で営業をやっていて歩くことが多くて、夏の暑い日にも冬の寒い日にも歩きながら何度もリピートした。

当時のツイート


それから転職や転居、結婚などなどしているあいだに5年が過ぎた。その間bonobosのアルバムリリースはなく、情報も追っていなかったので、実質活動休止状態なのかなと勝手に(本当に勝手に!)思っていた。そんなこともあって、昨年の解散発表はあまり驚かなかった。


「ちょっと好き」ぐらいだったbonobosに熱狂することになったのは、本当にあまりに遅すぎるけれど、ラストアルバムである「.jp」のリリースがきっかけだった。一聴して心底驚いた。なんだこの聴いたことのない音楽。今までのbonobosとも全然違う。何度聴いてもわけがわからない。こんな曲たちをどうライブで演奏するの?えっ、ていうか、こんな挑戦的なアルバムがラストアルバムなの??
そう思って、11月10日のBillboard Tokyoでのライブのチケットを大急ぎで取ったのだった。そしてそのライブでの演奏に音源以上の凄まじい衝撃を受け、最後の4か月という本当に短い時間だったけれど、bonobosというバンドに心から熱狂させてもらった。過去の音源を改めて聴き、ファンクラブに入会してメンバーブログを読破し、ネットに現存するbonobosのインタビュー記事を夜な夜な読み漁った。解散までに3本のライブ、しかもBillboardと渋谷La.mamaと日比谷野音というまったくタイプの違う会場で観れたことは、とてつもなく幸運だったと思う。

そして、2023年3月5日、日比谷野音。最後の最後しか知らない私が言えることではないけれど、最高のライブだったと思う。冒頭の最新曲の畳みかけからの「あの言葉、あの光」。こんなの解散ライブの演奏じゃないでしょうという感じの「Hello Innocence」、「GOLD」から「うつくしいひとたち」の流れには震えた。大好きで一番聴いた「In rainbow〜」も聴けて本当にうれしかった。そして神懸っていた「23区」「あなたは太陽」。


bonobosのラストライブを終えて、死にそうなぐらい絶望するかと思っていたけど、まあそりゃあ寂しいんだけど、でもこれから蔡さんはじめ、bonobosの面々がやる音楽に出会うことが楽しみだと心から素直に思えた(なっちゃんもまたいつかどこかでベースを手に取ってくれるはず!)。それはbonobosが最後の瞬間まで進化し続けるバンドだったからだと思う。
セットリストもすばらしかった。大阪は「グッドモーニング・マイ・ユニコーン」、野音は「あなたは太陽」で締めるなんてさ。ありがとう、これからも幸せでいてね、という優しいメッセージだと思った。新しいbonobosに出会えないのは悲しいけど、私たちにはまた未来があるんだなあと。

私がbonobosと共有した時間はほんの少しだったけれど、出会えて本当に幸せだった。バンドというもののすごさを教えてくれた。いろんな瞬間をbonobosがきらめかせてくれた。

ありがとう、さよなら、更に言うと愛してる。生き延びてまた逢おう。

In the golden days!

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