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#50 私とカフェ:私がカフェを始めるワケ

来週でドイツに来て1年。1人でケーキを買って勝手にお祝いをしようかな、と考えているところです。(いや、別に、2人でも3人でも良いんだけど。)


それはそうと、1年何かを続けるって、私にとっては偉大中の偉大(偉大of偉大)なことで、とってもすごい。気が付いたら、会社を辞めてからの時間が、会社に勤めた1.5年という時間を優に越していた。そして、その内の1年はドイツに暮らす人として地球に存在していたと思うと、とっても自然なことのように思えるし、変なの~とも思う。「” 異国 ”で暮らしている」、という感覚はいつでも不思議となくて、でもまだローカルに溶け込めてはないから「土地に馴染んでいる」という表現は適切ではないんだけど、少なくとも私の心は最初からずっとここに溶け込んでいる感があるし、ベルリン側も最初から私を違和感なく受け入れているような気がする。だから、ここに来るって決めたんだけど。


私は、ここで、あわよくばアーティストになるつもりだった。もしくは、アートにかかわる仕事に就いている予定だった。今の彼とも、アーティストのアシスタントできればいいなんていう邪念から始まってるし。東京で送り出してくれた親友のママも、門出に、スケッチブックと万年筆をくれたくらいだから。書くか、描くときに、使ってねって。

もしかしたら、私がもうアートに埋もれて大変なことになってるのではないかと思っている日本の友達もいるかもしれないってくらい、それを豪語しておりました。アートのバックグランドも、経験も何もないけど、でも、そう思ってたんだよなぁ~。


そして、どんなことを通して自分を表現する人になるのかを探しまくってた。それこそ半年くらいはとにかくずっと。短期の旅をしまくりながら、絵を描いてみたり、歌を歌ってみたり、ラジオやってみたり、vlogしてみたり、何でも屋やってみたり。その一環で、このnoteを書き始めた、なんとなく友達に勧められて。それで、文章を書くことが好きだったことを思い出して、とりあえず100個書こうみたいなぼんやりした思いがあったんだけど、結構難しかったりして、今回が大体1年で50個目の記事です。(前回の記事で100個は書くって決意したから続けるんですけどね。)


前置きが長くなりましたが、

1年ということもそうだけど、50個目ということもちょっとした節目なので、っていう気持ちと、ただ最近こんなことを思ってますっていう、ただの成り行きってことがあるんだけど、今回は、今頃アーティストになっているはずの私が、結局やりたいことこれだったやんって気が付いてそっちに向かっている、「カフェを開く」ということについて綴ろうと思います。


昨日、1年半前に少しの間インターンさせてもらっていたチームの方々にカフェの件で相談事があって久しぶりにオンラインで話した時に、「カフェ開きたいって、ずっと言ってたよね」って言われて ”はっ!" としちゃったんだけど、


あーー私、いよいよカフェ開くっぽいな。って私がちゃんと自分の中で落とし込めた去年の10月(ベルリン来て半年弱)までもがいていたのは、実は演技だったのではないかと思うくらい、ずっとずっと、カフェをやりたいと思っていて、日記を見返しても、いつもその発言が出てきていて、なんだったんだろうかというツッコミをいれたいところだけど、このタイミングまでやっぱり落とし込めないんだから、人生はタイミングなのである。フィーリング・タイミング・ハプニングが、結婚であるのと同じようにである。なんの話?


去年の10月に、本気でくもん教室併設のカフェやるぞって決めて、何から始めればいいか全然分からず、商工会議所に電話したり、こっちでカフェやっているっていう友達の友達のところに突撃取材しに行ったり、コーヒー勉強会にいったりして、本当に文字通り手探りで情報収集して、


とりあえずまずは、自営業ビザの申請をしなければならない。


ということが分かり、1月末の申請日に向けてビジネスプランつくったり、コンセプト考えたり、友達に沢山手伝ってもらって、


こちらのカフェ事情と教育事情を知りたい。(あと、生きる為のお金稼がないと)


と思い立ち、初めてベルリンに来た時に入ったお気に入りのカフェに、「私はバリスタの経験があります。ドイツ語は、今はできませんが、気合いでがんばります!」という、いつも通りのパッションで押し切って連絡先を置いていったら、あれよあれよと働けることになって、家庭教師も紹介の紹介で決まったりして、本プロジェクトの実践的準備が整った。


そして、2月には、ドイツ公文の試験に合格し、

さらには、くもんカフェで、夏冬限定で提供する予定の「本物の日本のごはん」定食のシェフとなる友達が岐阜から下見に来てくれて、公私ともにとても濃厚な時間を過ごすや否や、


コロ助ちゃんがほいほいやってきて、全てのカフェ・レストランがしばらく閉まるわ、カフェの場所も探せないわ、くもんの先生になれる研修も延期になるはわ、で、ちょっと、しゅん ってなっていた訳ですが、私がこの期間に気が付いたすごく大切な、「私とカフェの大切な関係」があります。それを発表します。



私にとって、カフェは、日常の中で一番多くの時間を過ごす場所です。会社に勤めていた時は、会社と家の次に一番多くの時間を過ごしていた場所。


勉強/仕事をする場所。考え事をする場所。creativeなideaがふと浮かぶ場所。何もせずぼーっとする場所。本を読む場所。友達と楽しい時間を共有する場所。take out で飲む・食べるを楽しむ場所。



本当に本当に大切で、いくら眠くても新しいカフェの開拓の為ならベッドからちゃんと出て支度できるし。

どの国に旅しても、「食べること」にあまり興味がない私が、カフェを中心に導線を考えているのは、どの場所でも自分のお気に入りの大切な場所を見つけたい、家のようにくつろげる場所を見つけたい、と、考えているからなのかもしれません。

※この2つは、今気が付いて、自分でもびっくりしている。


時代によって、流行り廃りがあって、昔からあった職種や業態がなくなるなんてことはあり得る話だと思うし、AIの発達によって、人がやらなくてもよい仕事は本当にスパスパ無くなっていくなんてよく言われているけど、


私は、どんな時代が来ても、例えば全人類が今ある食事ではなくサプリで栄養を取る時代が来たとしても、「カフェ」って無くならないと思う。


それは、「カフェ」が、ただ「飲んで食べる場所」ではないから。ただ「何かしらができるスペース」ではないから。


「カフェ」って、人の愛(をはじめとする何かしら)が交換される場所だと思う。そして、「カフェに行く」という行為自体が、自分の世界から違う世界へのトリップだと思う。大げさではなく。


「ラテください。」

「大きいの?小さいの?」

「大きいの」


この遣り取りだけで、人は、世界と繋がれて、何かしらを交換できる。と、私は思ってる。


自分のお家がいくらスーパー居心地のいい空間だったとしても、やっぱりカフェに行って、全然知らない人に囲まれて、好きなラテとチーズケーキを味わいながらする考えごとって、家でするソレとは全然違って、格別だから。



今のところ、言語化するとなんとなくこんな感じになるんだけど、これに気が付いてなくてカフェに行ってる人って結構いると思うんだ。だって私がそうだったからさ。



よく分かんないけど、新しいカフェが出来て、そこが一番近いから行くんだっていうおっちゃんにも、

ずっとそのKiez(自治体みたいな感じ?村とか町とかの区分けみたいな)に住んでいて、気になったから来てみたっていう老夫婦にも、

フリーランスでラップトップ一つで仕事しているっていう若いイケメンお兄ちゃんにも、

学校帰りのママ友にも、

仕事前に家じゃなくてここで朝ごはん食べたいんだよっていうパパにも、

あそこのケーキ好きだからいつもママにおねだりしてきちゃうんだよねっていうキッズにも、



無意識に繋がりと安心を感じてもらえる場所になれたらいい。

私が、どこにいても探しているそんなカフェを、私の手でつくってみたい。(カフェ作るって、私にとっては、アーティストの私としてのアート作品を産み落とす、みたいな感じでもあるから、そういう意味では思ってた通りの人生である)

みたいな感じで、始めます。今年の秋にはオープン出来ているといいなあ。



「みんなの、オシャレな、リビングルーム」 cafe nanoni (仮)



あ、そうそう。

つまり、私の趣味:(本当の意味で)カフェ巡り。です。





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