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#72 新たなvision

ーーーーー 2021年5月15日

ブルキナファソに来て、3週間が経とうとしている。今日、西の芸術都市から首都に戻る7時間のバスで、車酔いになって吐き気と戦いながらも浮かんでしまったvisionがあった。正確に言うと、その時は、「あーーーコレかーーーコレは完全に自分と一致しているやりたいことやわーー」と思った。こっそり泣いてしまうほど、それほど、自分と一致しているideaだった。


でも、家にたどり着くまでに、それが疑念に変わった。


「本当にやりたいのか?」

「こわいなーーあーこわいからやっぱり辞めてしまおうかなあぁぁ」


こういう時、リトマリちゃん(私の心臓を住処としている、私の中の本当の本音の私:リトルマリナちゃん)がどっちか聞いてあげるのが難しかったりして。


そのvisionは:


「プロジェクト(だけ)ではなく、自分を自分として生きることでお金を回す」



しかもこれって、2019年の9月小さなクラファンをやったときに既に分かっていて、しかも行動に移してたんだから面白いっていうかなんていうか。


本当に腑に落ちることって、その数ヶ月~数年前に自分の中でやんわり答えが見つかってたりすることが多い。(カフェも、蓋開けてみたらずっとやりたいって昔から書いてたから)


やり方としては、今YouTuberみたいなことしか思いついてなくて、そうするとなんか時間が経つと「・・・💧」となってしまうんだけれど、とりあえず一本やってみてもいいかもネ。ここ数ヶ月ずっと、YouTubeをやるということが幾度となく湧き上がってきていたから。それと同時に、「有名になりたくない」という謎の気持ちも湧いてきて、結局いつも実現までには至らずじまいだったんだけれど。


最近、どんなことが心に起きているかというとね。

数日前に、インスタで出てきたカフェの投稿をふと見て、「私やっぱり本当にカフェがやりたい!」という気持ちが湧いた。結構なエネルギーと共に。それと同時に、カフェに関するすべてのことから距離を置いていたいという状態が終わってきたんだなと思った。


だけど、きっと今までベルリンでオープンさせようと頑張ってきた中で、それでもまだオープン出来ていない今を考えると、「本当は自然の中で暮らして、水辺でカフェをやりたいんだ」という、「本当は」を取りこぼさずに、叶えてあげられる場所を見つけるってことなのかなと真剣に感じるようになってきた。だから、カフェのプロジェクトが実るのにはあと少しだけ時間がかかるんじゃないかなって思う。し、自然に任せていいかなって思っている。本当はやりたいけど、でもやれないってことがそれを証明している気がする。本当に、自分の中に切々とあった環境の中でやってあげられるんじゃないかなと思うから。


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ここまでが、9日前の私が書いていた内容。9日前、降ってきたvisionに喜び、たじろいでいた私。そしてこの9日の間にだんだん自分の中でこのvisionが少しずつ紐解かれていって、今、私は新しいステップを静かに踏み出しているように思う。今現在は、このステップの積み重ねがどうなっていくのかの最終的ななんとなーーーくのイメージしか見えてなくて、なんでこれをやりたいと思ったのかの動機とか、最終的なところに行きつくまでの詳細なイメージは全然まだ掘り下げられてなくて、とりあえず心の向くままにやってみている感じなんだけど。(こういう感覚が久しぶりで、すごく楽しい。なんか、静かにふつふつ楽しい感覚。)


「自分を自分として生きる」


シンプルにいうと、私は、みんなが「自分を自分として生きる」ことができるようになったら、世界は平和になると思っています。みんなが、「自分を自分として生きられる」ということを思い出すことができて、1人1人の心が自立したら、世界は平和になると思っています。だって、私自身が、自分を自分として生きられるようになるまでの過程を経て、今この瞬間、平安の中にいることができているから。だから、そんな人が少しでも増えたらいいなと思っている。


そして、私はそんな世界を叶える1ステップとして、まずは1番好きで相性の良いSNSであるInstagramで、自分の考えていることを発信していくことにしました。

https://www.instagram.com/marina.antevasin/?hl=ja




なんとなく周りの人を見ていて、そして実際に話を聞いて、「自分を自分として生きる」って、やりたくてもできない、そもそもやりたいっていう想いも奥底にしまいすぎて分からなくなっちゃってる人がすごく多いなって思っていて。これって、意識していても自分が置いてけぼりになっちゃうことがあるほど、その想いに気づくことが、その想いを行動に移すことが難しいと思うと同時に、少しの勇気さえだして、自分と、自分の人生と向き合ってあげることで簡単にできるようになるって思っている。


そして実は私、そういうモヤっとしている人とか、「自分を自分として生きたい」という想いに気が付いた人から、人生の節目に連絡をもらえることが多い。

ぜんぜん連絡取るような仲じゃなかった、そもそも連絡を取ることをあまりしないタイプの学生時代のバイト先の後輩の子から4年ぶりにふと連絡をもらえるって、そういう節目でふと思い出してもらえて、しかも連絡をわざわざ取るまでに至ってもらえるって、とっても嬉しい。

そして、きっと彼らは、私が「自分を自分として生きている」ことをどこからともなく聞きつけて、彼らの人生の背中を押してほしくて連絡をくれているんだろうなと想像している。そういう、心友のように日々の変化を共有しているワケではない人に、私の考え方やこの先に見る世界を発信することで共有できたら、もしかしたらそういう人と再び繋がれたり、同じ想いをもった仲間(ソウルメイト)に会えたりするかもしれないって思ったの。そして、そんな仲間たちとこの先の世界を一緒に見ていきたいなって、そう思ったの。



じゃあ、なぜそれを発信するだけじゃなくて "お金を動かしたい” のか。


それは単純に、自分の人生って自分でもかなり面白いなって思っていて、だからそれを商品として見てもらうことができるのか、それに紐づいてお金というエネルギーを私自身が回せるのかなという好奇心があるから。自分の人生を使って実験をしてみたくてワクワクしている。そして、このプロジェクトを通してお金自体を、もっと出し入れのしやすい、流動性の高い、軽いものだという認識を自分自身も周りの人も持てるようになったらいいなという願いもある。


この「お金」という概念。私は本気でお金なんてなくなっていいと思う。というか、なくなってほしい。こういう発言をすると、ヒッピーだとか、共産主義だとかとよく言われるんだけど(今、世界が掲げている「グレートリセット」とは全然違う)、そういう人にこそ、ぜひ長島龍人さんの「お金のいらない国」という本を読んで欲しい。私は3年前にこの本に出会って、私が思い描いていた理想の世界が初めて言語化されたものをやっと見つけられた!!!と感激したのを今でも忘れられなくて、心友に今年の誕生日に全巻ヨーロッパまで送ってもらって、時々大切な人にも読んでもらったりしてる。


汗水垂らして頑張った労働の対価としてお金がもらえる世界。


そうじゃない形でお金が簡単に色んな人のところに出たり入ったりすることができるようになれば、きっとお金の考え方は今と変わるんじゃないかという仮説。例えば、お金は将来のために蓄えておかないと安心できないという考え方が変わって、今自分のやりたいことが、行きたいところがあるなら、どうなるか分からない未来のために闇雲に取っておくんじゃなくて、そのお金を使って「自分の今」を大切にする人が増えるんじゃないかという仮説。


そんな仮説が立証され続けた先に、「お金のいらない国」も夢じゃないんじゃない?と思う。私が死ぬまでに、というのは難しくても、私の孫の孫の世代くらいにはあるんじゃない?と真剣に思う。そんな先の世代のワクワクする未来のために、私ができることがあると思うと、それこそワクワクしてしまう。

すでに、クラウドファンディングが当たり前になってきていることが、その世界に近づいていることを証明してるんじゃないかな。労働の対価としてではなく、そのプロジェクトやプロジェクトをしている人たちの情熱への賛同の1つの形としてお金が回る現象が受け入れられるようになってきているということだから。


でも、このクラウドファンディングは「プロジェクト」に対してお金をもらうことだけれど、これが「プロジェクト」じゃなくて「この人の人生」だったらどうかなって思ったワケ。それが受け入れられるようになったら、「自分を自分として生きる」ことって、自分にも世界にもこんなに意味があるってことが新しい形で証明できるんじゃないかなって。そう思うワケ。



ちょっとまだまだ言語化でききっていないところもあるけれど、要は「自分を自分として生きることで、お金を回す」というvisionの先に、自分を自分として生きる人が増え、お金の価値観が変わり、私の想像する平和な世界があるんじゃないかな~と思ったので、新しいスタートをきっています。


どうなるか分からないけど。とっても楽しみ。


ブルキナファソ、色んな土地や人と出会い、今ココを楽しんでいますが、この新しいvisionに出会ったのもこのタイミングで嬉しかったナ😌💚






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