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#25 「好き」をセーブするという性癖

※写真は、私の大ファンの、よっちゃんです♡(あびる優ちゃんの娘さん)あまりにタイトルと写真が合わなさすぎて、本人が1番泣きそうです。


♬ 誓い (Don't Think Twice) / 宇多田ヒカル (Spotifyはこちら/Apple Musicはこちら

👆これを聞きながらブログ読んでね!その理由はこちら参照!

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先日のブログで、親友に課金をさせた、まりちゃんです。今日は、今現在起きている、リアルなこと、話します。先に言っておきますが、いたって真面目です。


※ちなみに、タイトルをキャッチ―にしたかっただけで、別に下品な訳ではありません。私、エロい話は死ぬほど好きなんですが、下品な話は死ぬほど嫌いです。よろしくお願いします。本当に、こう見えて、育ち結構いいです。よろしくお願いします。


さてさて、

このブログをご愛読いただいている方はもうお分かりかと思いますが、


私の好きなタイプは男です。


基本的に、男女問わずみんなのことがまあ好きで、たまたまその好きな人が異性だった場合、それが恋愛みたいな気持ちになってしまうという、こういうシステムになっています。

ちなみに、「本当にその人に惚れてます!」というのはまた別の感覚で、これは結構一握りしかいません。いわゆる結婚したいとか、一緒に人生豊かにしたいと思うようなパートナーに出会ったときの感覚なんだけど、こういう人は、出会った瞬間、直感で分かります。一目惚れしちゃう。


さて、初めてあった人にこの、 #好きなタイプは男 ということを話すと、


「それ、人生毎日楽しくてしょうがないでしょ?」


と、よく言われるんですが、実態は真逆です。


私自身、自分のこの性質を知っているので、絶対恋愛にならないように、男性と過ごす場合は、基本的には常に気持ちをセーブしています。なんだろう、あんまりいい雰囲気にならないように、もっというと例えば、あーこれキスの雰囲気だなって思っても、なるべくそれに気が付かないようにして頑張ってます。ずっと気を張っています。(もう無意識だから、自分でも全然気が付けないんだけど)


そして、今現在も、その「セーブしている」状態を久しぶりに感じてます。せっかくなのでタイムリーに文字にしてみようと思いました。興味あれば、お付き合いください。というか純粋に、みんなもこういう感覚で生きてるのか、そうではないのかがすごく知りたい。


ー そもそもなんでセーブする必要があるのか? ー


そう、あーだこーだ言うとりますけども、結論、この疑問にぶち当たります。究極、気持ちなんてセーブせずに、全ての人と良い感じになればいいのではないか。(それがいわゆるモテてる女のしていることなのでしょうか。ちょっとそれとは別問題な気もします)


別に相手に奥さんがいるとか彼女がいるとかそういう訳ではないし(いても愛情表現するとか大切に思うとかいうことを私は一概に悪いこととは思ってないけど、これはまた別の機会に)、例えば向こうが持ってくれてる好意に対して前向きな姿勢を見せることで、この”友達関係”が崩れてしまうとかそういう訳でもない。

なのに、なんで気持ちをセーブしてしまうのか。


1つめちゃめちゃ分かることは、この感覚が「これ、セーブしなかったら、まじでやばいことになってしまうよ」というアラートを出しているということ。本当に、ダムが決壊したみたいに、「なにか得体の知れないもの」がとめどなく流れ出して、しかもそれは私自身にかなり悪影響を及ぼしそうという気がしている。ほとんどいつも、男の人と遊びに行った帰りはそういう気持ちになります。(数少ない男友達は、また別の話)


というよりは、どちらかというと、「悪影響を及ぼすと”世間的に思われている”こと」だから、なんとなく辞めた方がよさそう、みたいな感覚の方が近いかもしれない。


だから、いつもセーブしちゃう。というか、セーブすることがもう癖になっている。そう、性癖。(激しく、使い方が違いそう。)


私は、この決壊の先を見るのが、シンプルに「こわい」です。自分が自分じゃなくなりそう、というよりも、自分が素っ裸にさせられる気がして。そしてそれが一般的なルールでは✖ということのような気がして。


目の前の人の気持ちに「うん」といったら、その気持ちのすべてにきちんと応えないといけないと思いすぎてるだけなのかもしれない。あとは、これっていわゆる軽い女と何が違うの?っていうことになるのがきっとこわいんだとおもう。私はきっと、「人との付き合い」にまじめすぎる。



だけど

「人と、本質的に深く、繋がること」

これは私がどんな時も絶対に逃げたくないトピックだから、「自分、24年目」にして、私はこの先を見に行くことになるのではないかと、思います。



男女って、めちゃおもろいし、くっそ難しい。いくらその人たちが戦争が起きるくらい過酷な状況に置かれていても、絶対男女は恋に落ちる仕組みになっている。この間、ローマで「アイーダ」のオペラを見たけど、古代のエジプトでも、自国の同志たちがその愛国心から闘い死んでいっている中、彼らは敵国の女性に恋をしている自分と葛藤している。なんなんだろう。本当にすごい。あと、ちょっとムカつく。まじで腹立たしい。

※古代ローマ時代、カラカラ帝がつくったカラカラ浴場の遺跡の中で見られる、野外オペラ「アイーダ」。


そして、私は日本以外の恋愛事情をまだ深くは知らないけど、少なくとも日本の恋愛というかパートナーを思う気持ちとか、友達を思う気持ちでさえ、あまりにも本質的ではなく浅はかだなと心から思っています。そしてそれに私はとても耐えられません。ファッションとして、結婚や付き合うということを捉えているだけの人があまりにも多い世界は、とても悲しいです。


だからこそ、「結婚」とか「離婚」とか「不倫」とか「ワンナイトラブ」とか「彼氏/彼女」とか、そういう言葉に囚われただけのものが無くなればいいなって、そう思います。


「人と、本質的に深く、繋がること」

これは、今のところ「愛」によってもたらされると思っているけど、このトピックについて、色んな角度から証明していくような人生にできたらいい。


だからこそ、きっと私はこの気持ちをセーブするという名の性癖とたたかわなければならないだろう、そう思います。


と、まあ、改めて宗教のような雰囲気を醸し出してこのブログを終えたいと思いますが、「まじでこいつ訳分からん!!(怒)」ってなってない人なんているんだろうか。そんな人、連絡ください、逆に。自分が1番自分のこと分かりません、本当に。


そんな中、昨日、「恋愛だけが、見た目とか地位とか名誉とかすべてのもの関係なく、みんな平等にすることができる」っていう人に会って、

確かにそうだし、それは純粋に、とても美しいことだし、だからみんなが今ここに存在しているんだなって思いました。エロい意味で。



以上です。引き続き、ご愛顧のほど、よろしくお願い致します。


P.S.

この写真は、昨日、水筒のお水がカバンの中で全漏れしたので、お札まで出して乾かしたよという記念の1枚です。昔から、水難事故によく見舞われます。しかも原因はほぼ100%、水筒の締めが甘いこと。私の所有するほとんどの本に、水害のあとを見て取れます。


ばいびーーーーーーーー


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