我の過去

我は以前拒食症だった。

きっかけは、中学2年生の夏。我はその当時バレー部に所属していた。三年生が引退してちょうど自分たちの代になった初めての試合、やっとレギュラーになれた時、スパイクを打って着地した時、相手のブロックをしていた選手の足を踏んでバランスを崩して倒れた。物凄い音がして今まで経験したことない痛みに襲われた。医師に診断されたのは「左膝前十字靭帯断裂」。医師から「全治は8ヶ月、手術が必要です」と言われた。体から力が抜けていって、頭が真っ白になって、よく分からない感情が湧き上がってきた、どう表現すればいいかも分からない感情だった。


時期を見てその年の冬休みに入院、手術をすることになった。入院1日目の食事からろくに食べていない。なぜ食べなかったのかというと太るのが嫌だった、足を怪我しているのでそんな1日の運動量が多いわけじゃない、入院しただけで太る=自分に負けるだった。元からそれほど多くない食事量はガクンと減り、みるみる痩せていった。食べるのは母が買ってきてくれったグミ。病院食を少しでも食べると看護師さんに「よく食べたね!えらい!」と言われる。それが嫌だった。後から知ったけどこれは拒食症の典型症状で拒食症患者は他人に食事量に関して言われることに非常に敏感になる「よく食べたね。」は我らとっては褒め言葉でもなんでもない、ただ拒食症を進行させる魔法の言葉だった。手術後は発熱と傷口の痛みで何も口にできなかった。術後痛みが和らいできても食事量は回復しなかった。食べる量が少ないと傷口の修復も遅くなるので点滴で栄養をとるようになった。それでさえ嫌だった。普通の術後患者より点滴の量が多い、また太る。ただただ太るのが怖かった。医師からも栄養指導が入る。怖い怖い怖い、、、本当に太りたくないだけ。


術後経過が安定しリハビリ専門の病院に転院することになった。そこでも食事量は特に変わらない。でも術後よりは少し食べれるようになっていた。しかし、カロリーの高そうなケーキなどは全く口にできなくなっていた。その病院には担当の理学療法士の方がついてくれた、その方にも食事について指導され管理栄養士の方の指導も入るようになった。でもやはり病院食をいつもより食べると褒められる、怖かった。「褒められる=太る」頭の中は太ることへの恐怖が募るばかりだった。

ある日友達がお見舞いのきてくれた時我を見て「え、めっちゃ足細いやん!」と言ってくれた。とても嬉しかった。その時の体重は43㎏、身長からしたらそれほど痩せているわけではないがバレーでついた筋肉はかなり落ちていた。その言葉もきっかけになって「これ以上太っちゃいけない」このマインドが我を支配した。自分に負ける時もある。母が持ってきてくれた蒲鉾に大量のマヨネーズをつけて食べたりもした。けどそれを他人に見られるのは許せず(食べれるじゃん!と言われるのが怖い)看護師さんや栄養士さんがこない時間こ見計っって頬張った。おそらくこの時体は栄養不足を訴えていたのだろう。入院生活も3ヶ月を迎えるくらいで終了した。


退院すると母がよく外食に連れて行ってくれるようになった。母は我が痩せていくのを恐れていた。何より母は看護師なので拒食症が引き起こす危険を知っていたから尚更だ。退院して1ヶ月ほどで体重は徐々に元に戻り、我自身も食にそれほど囚われることはなくなっていた。しかしまた我を拒食症へと導く出来事が起こった。インフルエンザ感染。入院で抵抗力が弱っていたのもあって今までかかりにくかったインフルエンザにかかってしまった。インフルエンザ感染によってまた体重は減った。インフルが完治したあとも体重に囚われるようになった。しばらくは以前のように食べ物を口にしない生活が続いた。以前よりさらに悪化して学校の給食も全てのお皿のおかずは一口分にも満たなかった。それでも食べきれなかった。帰っても水分すら取らず家の近くを15分くらい走ってすぐお風呂に入る。お風呂に入ったら身体中の水分を抜くため浴槽の蓋を閉めてサウナ状態をできるだけ出し切った。そのあと湯船から出ると目の前が真っ暗になる。明らに栄養不足だと分かっていた。でもそれを楽しんでいた。それが自分の1日の頑張った証だった。そのほかにはお腹すくのも快感だった。お腹が鳴らないと食事はしなかった。あまりにも食べないので母がこれだけは食べてとベビーチーズを持ってきたほんの1ミリ口に入れたけど食べれなくてティッシュに捨てた。それだけ重症だったのだと今はおもう。母と外食にいく時は朝から何も食べず何度も倒れそうになった。

だんだん食べたいという欲も強くなってきた。それでも食べるのを我慢していた。ある朝ちょっとたべすぎて気持ちが悪くなった。トイレに行って口に手を入れて吐いてみるとほぼほぼ綺麗に食べたものが出てきた。これがきっかけで、我の拒食症は過食嘔吐に転じた。毎朝6時に起きて大量に食べてすぐトイレに行って吐く。毎日その繰り返しだった。私の父もまた看護師でさらに父の専門は精神科。毎日我よりはるかに重度の摂食症患者と向き合っていた。そんな父に吐いていることがばれた。父に吐いてるでしょと言われたけど、吐いてるわけないじゃんと言ってごまかした。もうこれじゃ朝吐くことはできないと思って我は時間帯を変えた。学校が終わって誰よりもダッシュで家に帰り大量に食べては吐くを毎日繰り返した。キツかった。いつも我に返るとなぜ自分は食べているのだろう、吐くために食べている自分が情けなかった、情けないと分かっていても止められない自分も殺したいくらいにウザかった。何度も死のうと思った、でもその勇気もなかった。その時は死ぬのより太るのが怖かったのかもしれない。自分の存在を全て自分で否定していた。ついに母に精神科に連れて行かれた。やはり診断名は摂食障害。脳が萎縮しているかもしれないと言われてMRIを撮った。幸いまだ萎縮はしていなかったがこのままだと萎縮してしまうと言われた。萎縮した脳はたとえ病気が治っても元の大きさに戻ることはない。それだけは嫌だった。当時はもう中学三年生受験真っ只中だった。我が目指していたのは県内1位の高校。拒食症なんかで落ちるわけには行かない、それを機に我の過食嘔吐は治って行った。受験期だけは仕方ない、受験準備でもし太っても、終わってまた始めれば良い、そんなことを心の中で思っていた。無事受験も終わり我は第一志望の高校に合格した。


案の定、受験が終わったら我の過食嘔吐はまた始まった。それから三年間ずっと続いた。卒業間近の時期は毎日過食嘔吐をしていた。夜ご飯を大量に食べトイレに行って吐く。休みの日には3ターンくらいすることもあった。自分でも何をやっているのかわからない。体にもよくない、食材も無駄にしている、分かっていてもやめられない。


今絶賛留学中だ。だが我の過食嘔吐は完治していない。まだ戦っている。そんなのやめれるだろと思う人もいるかもしれない。けどやめられないのがこの病気。常に死と隣り合わせ。ストレスが溜まった時、壁にぶつかった時、辛い時の逃げ道にしてしまっている。自分はほんとに弱い、弱くて醜い人間、自分の病気のことを本当は友達に相談したい。けどそれを打ち明ける勇気もない。我は中学の時とても仲の良かった友達二人と途中から仲が悪くなって卒業まで仲直りすることはできなかった。とても悲しかった。その二人は今も仲良くしていてとても羨ましい。あの時自分が意地をはってなかったら、、そんなことも考える。これ以上友達に嫌われたくない、我から離れて行って欲しくない。それもあってこんなところでしかカミングアウトできない。我は本当に弱い。我がもっと強ければ過食嘔吐も完治して、食事に対してもっと楽観的に接することができていたかもしれない、親に迷惑をかけずに済んだかもしれない、強くなりたーーーい。  


ここまで読んでくれてありがとうございました。

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