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No.100 オリジナルな音楽人生

プロのアーティストの生き方として
ひとそれぞれの考え方があるとは思うが アーティストならば
やはりオリジナルな作業が自分は一番輝いていると思う。

年齢的に定期検査のため病院へ行く回数は増えたけどこれも残された2つの音楽イベントを完成させんがためである。

先人が敷いた道をそのまま歩くのは私には不向き。
ほとんどの友人が生活安定のためにだと思うけど先達の敷いた道を歩いてる。
そこからは新しいものは生まれ得ないのでは?
私は幼い頃から人とは違う行動を取る人種なのでバッシングや非難の目がキツい。でも私の場合は昔から
日記に自分の気持を封じ込めることで乗り越えられてる気がする。
そのたまらない思いがやがてはエネルギーとなり
私の歌い方に多大な影響を与えた。

しかしプロダクションには所属する機会を逃したためずっと一匹狼というわけだ。
音大出ではない私が音大の生徒にベルト発声を教え ビブラートについて指導したが私は独学で音楽を学んだ。
21才から32才までの11年間に学んだこと。
🔴ベルティングボイスの基本
🔴ピアノでコードを覚える→自分で発声練習ができるようになる
🔴譜面が書ける
🔴毎日 あらゆるジャンルの音楽を聞き、歌う→一晩50曲~60曲を歌う
🔴ハーモニー/リズムの習得
🔴英語曲のために英語専門学校に毎日通学
こんなとこだろうか・・・

そんなときに「ヨーデル」に出会う。
私に音楽を叩き込んだ重松岩雄先生に「山の人気者」という曲を突きつけられ誰の曲を聞いて勉強したのか忘れたが私の新しいジャンルがレパートリーに加わった。
詳細はまた別の機会に書くとしてさほど興味のわかないジャンルがこの「ヨーデル」だった。
あれから50年たった今 そのヨーデルの教本を著作し
それを元にして段階的に教えることができるのは私しかいなくなったというわけ。
ただ教えるだけではなくやっぱりここでも次世代ヨーデルの事を考えてしまう。
それがロックヨーデルであり、その魅力のすべてを「波と星に捧げるヨーデル」に語り尽くした。
実際 心の底から 映画化されることを願っている。

15年前ごろから 
ヨーデルをスイスで習ってきたという人がそのままを教えていたり
それもむづかしい用語をふんだんに用い、いかにも芸術的レベルが高い!と言わんばかりに教えている人がいた。
人というのはそういう「むずかしげ」なところに憧れるものだ。
ヨーデルといえばスイス以外にはないという雰囲気で厳しさだけしか印象に残らず、誰もがそれが正しいと思っていた。
私の生徒も10人ほど、その「むずかしいほうへ」流れた。
私に「捨て台詞」をわざわざ言った人もいたが、その後、彼らはあちらで楽しんでいるかどうか噂さえ聞かない。

スイスのヨーデルのモノマネしたってそれ以上にはならない。
私はそれ以上なんて思ったこともないが、メラニー一家のように
今に生きるヨーデルスタイルが好き!

私は
オリジナルの夢の作業のために生かされている気がする。大変だけどそのためには健康でいなくちゃ!

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