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次のPAでソフトクリームを買おう。

何事も思い出にできる能力が人間にはあって
振り返る強さがあるのも人間。
自分にとって苦しい事は、いつも楽しい事で紛らわしていた私にとって、しっかりと向き合って、誤魔化さず生活していくのは本当に修行やな、と思う。
いい事かどうかはわからへんけど、「慣れる」とか「平凡」とか「一般的」みたいな所をきっと探っていて
「なる様にしかならない」ってのを誤魔化さず、しっかり目で見て感じて。
「ちゃんと、期待しない。」的な代名詞を脳みそに植え付けている最中。(最中って〝もなか〟って読むよね)
とは言え、こうして言葉に出来る余裕が出来て、少しドライブしてるような、今はそんなところ。

全無視で捻じ曲げてまで自分の手の中にあって欲しいものばかりで
なんとかしたい!って体力があって
だがしかし!そこになんとか出来なかった事へ対処出来るハートと体力は持ち合わせてないという残念な所があり、ただひたすらしんどくなる自慰行為の塊的な…
文章にしてると、本当おかしい話。

愉快な人生ですよ、ほんま。

ただ、それがしんどくなった時の対処法として、楽しい事で上書きするという、道の駅的なな所を設けることによって、色々保てると、この性格で生きる人間の知恵として培った訳ですな。

それは、はじまりもなければ、終わりもない、ほぼ「完璧!」的な道の駅。
高速道路突っ走ってたら、絶対PAって必要やん。
そそ、安らぎのPA。少しウキウキする道の駅。

ひとつの当たり前の楽しさがなくなり。
そうすると、パワーバランスが崩れて重心が傾く。
今までなら、さらにまた違う道へ寄り道して新しい「当たり前」を探していたけど。
また、なくなってしまう事がこわくなった事。
その道の駅に、希望とか期待なんてものは皆無な事。
くたびれてしまった事。

以上の事をもちまして!
一旦高速道路から降りて周りの景色をしっかり観ながら、自分と向き合う事にしたのですな!うむ。

「ミーはそんな娘じゃない」

そんな言葉を数年前に耳にした。
うん、そうなのかな、わかってくれてるんだ、この人は。
いや、そんな事ない、私はそんな娘ですよ。

そうだな、こうして長い長い年月をかけて自分に正直になる
「わたしはそんな娘じゃなかったなあ」
(理解するのに軽く小学校入学卒業出来る…)

「ミーちゃんは、ほんま生きんの下手くそよなあ!(笑)」

最後に話した会話。
頭の中でずーーーっとその会話の一部始終がまわりまわっている。
本当、お前さんにアドバイスされるなんざまっぴらごめんよ!
って喧嘩したいが。。。
人生の先輩として素直に受け止めて、こうして向き合いながら生きて行こうとしている。
そのうち、私が歳上になり、いつか会う日が来たら、嫌って言うほど説教したんねん!と心に決めて。

今あるものを、大切に。

今無い物に執着しない。

人間変わるのは難しいけど、意識して行くだけで随分と変わる。(今更の気づき!)

今日も母と大笑いし、幸せだった。
こんな毎日が続いて欲しい。


「ボーナスで母と北海道!(あと車買う、あと、引っ越す!)」

既に欲剥き出し……

笑う門には福来る!

bye!

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