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バンドマンじゃなかったときの人生。

諸々の事情で、自分が今活動しているバンドに入ったきっかけを思い返す機会があった。わたしが活動しているバンド、カタカナに入ったのは22歳のころ。今から5年も前にあたる。

短大を卒業後も友人や先輩とバンド活動を続けていたが、メンバーがそれぞれの道を歩んだり、はたまた消息を絶ってしまうメンバーがいたりと、なかなか思うように活動を進められなかった。バンドを動かせないときは仕事に精を出してみたけれど、やっぱり音楽がやりたかった。22歳のわたしは、今後自分がどうしていくかの岐路に立っていた。


転職3回目の職場は物静かな人々が集まるソフトウェア会社。しかし、その会社は派遣スタッフを雇用することが初めてだったらしく、”派遣の子雇うって、意外とコストかかるやん!”となり、わたしは3ヶ月であっさり契約満了。仕事を失った。2013年4月のことだった。その後も派遣会社から仕事を紹介されるも、働きたい条件の会社がなく一向に仕事が見つからない。妥協して条件を下げればいくらでも仕事は見つかるのだが、当時のわたしにはそれができなかった。

ジャガイモを醤油とバターでいためておかずにする、そんな生活が続いた。毎日パソコンで仕事を探し、エントリーをし、「選考した結果、あなたを見送ることにした」という旨のメールを受け取る。外は春の温かい陽気なのに、わたしの気分はズブズブと陰気な沼に沈んでいく。

わたしが仕事でこんな好条件にこだわる理由ってなんだろう?派遣スタッフじゃなきゃいけない理由とは?そこには、”これからもバンド活動を続ける可能性があるから”という理由があった。しかし、バンドメンバーが定まらないなど、思うように活動できていない状況下で、そこにこだわる必要はあるのだろうか。


『バンドなんかやめて、普通に仕事をすれば良いのでは?』…ハッと我に返った。バンドにこだわることをやめれば、仕事の選択肢は両手からあふれるほどに広がるのだ。わたしは22歳。4年制大学の学生たちが卒業するのと同じ年。頑張ればなんだってできるし、何かをはじめるのに遅すぎることはない年齢。そう思うと、”バンドをしないのなら、せめて自分が好きだと思える仕事がしたい”と思った。わたしは絵画がとても好きである。その頃も、古本屋やオークションで画集を買っては、のんびり眺めたりしていた。だから、わたしにとって理想の働き方は『美術館で働くこと』だった。

美術館で働くには”学芸員”という資格が必要だ。そしてその資格を取るには、通信教育でコツコツ勉強して取得するもよし、または大学に通って資格を取得してもいいらしい。わたしはすぐに資料を取り寄せた。もちろん、この資格を取る費用は安くない。まずは1年間どこかで働いてお金を貯めてからやっと勉強がスタート。資格を取得するには、さらにそこから2年ほどかかるだろう。しかも学芸員を募集している美術館は、極端に少ないらしい。約3年後、美術館で本当に働けるだろうか…?

その一方で、やはりバンドを諦めたくない気持ちもあった。音楽をやめるのは寂しいし、生活にハリがなくなるようで怖かった。しかし気持ち良く音楽活動を続けられる土台がないのに、バンドにこだわり続けることは、仕事を探すうえでの負担でしかなかった。


こうして学芸員に関する資料と、派遣会社のサイトとを睨めっこをしながら、「音楽をやめる、やめない」というモンモンとした思いを抱えて長い一日を過ごしているうちに、突然派遣先の職場が決まった。4月も終わりに差し掛かっていたころである。

そのときわたしが真っ先にしたことは、ガラケーからiPhoneへと機種変更したことと、「mixi」というソーシャルサイトで”メンバー募集しているバンド”を探すことだった。

学芸員を目指す道・まだ音楽を続ける道、この2つが天秤にかかっていたのだが、結果はすごい勢いで「まだ音楽を続ける道」に傾いた。気持ちはいつでも正直だ。ならば、思う存分続けるぞ。
ただ、もう自分でバンドを動かすことに限界を感じる…。だから、人が動かしているバンドに入ろう。あんなに我が強く、自分の表現したい音楽しかやりたくない!…そう思っていたわたしが、「人の音楽でも良いじゃん!」と思えるなんて…。そうしてまで、音楽を続けたかったのかもしれない。

そして見事「イイジャン!」と思えるバンドと出会い、ベーシストとして加入したのが今のカタカナというバンドである。ところが、そこから1年半ほどで、ただのベーシストから”ベースボーカル”という役回りになった。「ベースだけ弾ければいいや!」そう思って加入したバンドで、また歌詞を書いたり、歌ったりすることができるようになったのである。すごく大変だったけれど、今ではとてもありがたいと思っている。


22歳のわたしが、迷わず「学芸員」という道を選んだ可能性もあった。そして、美術館勤務2年ほどのスタッフとして、美術館の片隅に鎮座している。そんな人生もあったかもしれないんだよなあ、と思い返した今日この頃。久しぶりに美術館の空気を吸いにいきたいと思った。

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