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祖母が風になった日


「散歩」を「三足」と書いたり、「マッサージボール」を「マサジボテ」と書く人物、それは僕の祖母だ。

そんな祖母が唯一、漢字で書ける言葉がある。


「骨粗鬆症」だ。


祖母は10年ほど前に骨粗鬆症の診断を受けた。
それからは週に一度整形外科に通っているが、年々腰は曲がって行くばかりである。

ある日、祖母はこの骨粗鬆症が原因で圧迫骨折を引き起こして入院した。
入院時、祖母は歩くことすらできなくなっていた。



こんな状態の高齢者を支えるシステムがある。
介護保険だ。
要介護認定を受けると様々な介護サービスを受けることができるのだ。

もちろん、誰でも介護認定を受けれるわけではない。
「本当に介護が必要かどうか」の審査があり、条件に満たないと介護認定を受けられない。

僕ら家族は、この介護保険認定の申請を入院してすぐに出した。
役所の担当の方が審査のために病院にやってきたのはそれから数週間後のことだった。


担当者は祖母に対し、「立つことはできますか?」「歩いてみてください」といった問診や身体機能のチェックを行う。

ここで、祖母にとって重要なのは「日常生活に必要な動作のできなさ」をアピールすることである。
審査時に「できなさ」をアピールしないと介護が必要だと理解してもらえない。

しかし、祖母は「立つことができますか?」と言われてスムーズに立った。
めちゃくちゃ背筋がのびていた。
初めてあんなに背筋の伸びている姿を見たかもしれない。


同席していた僕はすかさず「無理しなくていいよ」と声をかけた。

それに対し祖母は担当者に「いやー本当にこの孫たちのおかげで元気です!」と余計な宣言をしていた。




その後も祖母は問診に対して体の丈夫さをアピールする。
スポーツテスト的なものだと思っているのかもしれない。
元気エピソードも盛って話していた。

終わり際に担当者が車輪つきの介護用歩行器を指差して「その歩行器を押して歩くことはできますか?」という質問した。
祖母は「これを使わなくても歩けます」と答える。

それに対し担当者が「無理しなくて大丈夫ですよ!歩行器を使って貰えれば…」と言ったので祖母は仕方なく歩行器のU字の手すりに手を置く。

「じゃあ、歩いてみてください」と担当者が合図を出す。

その瞬間、
祖母はとてつもないスピードで歩行器を押し、病室を飛び出し、廊下を駆け抜けていった。

風のようだった。

僕は絶句した。

担当者もア然としていた。

廊下の向こうから誇らしげに戻ってくる祖母を見て、
担当者は「と、とりあえず、もうちょっと元気じゃないときにまた審査しにきますね」と言い残し、風のように去っていった。

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