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監視員しおりは座らない #03 善悪の知識の木のそばのアダムとエバ

美術館の監視員って楽そうだよね? と言われることがある。確かに重い荷物を運んだり猛スピードで料理を作ったりする場面はないので、そういう仕事に比べると楽な仕事のように思われるかもしれない。ただ、監視員が必ず直面する困難がある。それは  睡魔だ。

薄暗く冬場でも暖かい部屋。それがじわじわと集中力を削いでくる。それだけならまだしも、特に昼食を食べた後は秒速で眠気が襲ってくる。その困難を乗り越えるための工夫がローテーションシステムだ。30分ごとに担当エリアを交代することで全員が集中力 をキープし合える画期的な仕組みだ。それでも対抗できない強烈な眠気が襲ってきたら……それはもう、皮膚をつねるしかない。

【いたぁっ!】

という声が聞こえてきた時は、私が眠気と戦っている時なので優しく見守って欲しい。


今日はルーブル美術館展の14日目。持ち場にはいつものように椅子が置いてある。

けれど  私は座らない。
監視員としてお客様がいる限り。


今日もまた、私の座らない一日が始まる。



ー新国立美術館・展示場ー

今日私が担当しているエリアにあるのは【善悪の知識の木のそばのアダムとエバ】だ。作者は17世紀から18世紀にかけて活動したオランダの画家ピーテル・ファン・デル・ウェルフ。神が作った最初の夫婦アダムとエバが神から食べることを禁じられていた善悪の知識の木の果実を食べようとしている場面を描いている。


(絵の前にやってくる二人の若い男女)

男:やっぱりルーブル美術館の絵は凄いね

女:うん。生で見るってすっごく勉強になるよね~

男:これがアダムとエバか……

女:このタッチ好きかも

男:俺も。あ、ここにトカゲいるね。

女:あ、ホントだ。トカゲって確か……んーと、なんだっけ?

(談笑しながら史緒里に近づいてくる二人)


女:すいません。ちょっと聞いていいですか?

史:はい。

女:2人の足元にいるトカゲって確かに悪の象徴でしたよね?

史:そう言われてます。

女:やっぱり♪ ありがとうございます。こういう細かい所まで解釈できるのがすごいよね。

男:そうだね……こういうの描けるようになりたいなぁ。


史:(心の声)あれ? 今の男性、颯太(そうた)君に似てるな……


颯太君というのは私が高校時代に片思いしていた同級生で、一度だけ一緒に美術館に行ったが何一つ進展しなかった。

って、私は一体誰に説明しているんだ?

  でも違うか。彼は絵には興味がないはずだ。

(絵について考察する2人をこっそり見ている史緒里)


史:(心の声)でも……本当に似てるなぁ。颯太君にしか見えない。あの二人、何を話してるんだろう? いや、私はここを守る監視員なんだ。聞き耳を立てている場合じゃない!

(更に白熱する二人の会話)


史:(心の声)あぁ……聞いちゃだめだ聞いちゃだめだ! お客様の話に聞き耳を立てるなんて、監視員として罪深すぎる。うぅぅ……でもやっぱり気になる! 何を話しているの?

(会話をしたまま絵から離れていく二人)


史:(心の声)あぁ、行っちゃった。まぁ……他人の空似だよね? こんなところにいるはずがない。

【ピッ……史緒里さーん。そろそろお昼休憩入ってくださーい】

史:ありがとうございます。

(イヤホンマイクのスイッチを切り、食堂へ向かう史緒里)



ー新国立美術館・喫茶店ー

【いらっしゃいませー】

(空いている席に座る史緒里)


史:(心の声)あれ? さっきの二人がいる。あの人、やっぱり颯太君に似てるなぁ……え? 私の方に近づいてきてる? そんなわけないか

(だが、足音は真っすぐ史緒里に近づいてくる)


史:(心の声)いや、やっぱり近づいてきてる! なんで⁉


男:あの、人違いだったらすいません。史緒里ちゃん、だよね?

史:はい……そう、ですけど。

男:やっぱり。高校の同級生だった松村颯太だけど覚えてる?館内で見かけた時からもしかしたらなって思ってたんだ。

女:お知り合い?

男:あ、うん。同じ高校の友達で  

女:ほぉぉ? 高校時代の、女友達ね?

男:それどういう意味だよ。

女:うっふふ。ねぇ、颯太ってぇ、どんな高校生だったんですか?

史:え、颯太? いや、どんなって私に聞かれても……

女:例えばぁ、どんな人と付き合ってたとか  

男:ちょちょちょ、変なこと聞くなって!ごめん、紹介せずに。彼女は奈々って言うんだけど、初対面からゼロ距離なんだよね。

女:それ、褒め言葉?

男:どう受け止めるかは、お任せします。

(わざとらしく睨む女性に笑顔で切り返す男性)


史:(心の声)待って待って待って待って! 情報処理が追いつかない。ちょっと落ち着け私。えっと……まず、やっぱり颯太君だった。でも、なんで颯太君が美術館に? こんなTHE美大生みたいなおしゃれ女子と一緒に……しかもこの2人、とっても仲が良さそう。どんな関係なの? いやいや、お客様の素性を探るなんて監視員としてあるまじき行為。


女:あ、てかもうこんな時間じゃん。私バイトだ、行かないと。

男:え? 今日バイトだったの?

女:うん。言ってなかったっけ?

男:いやいや聞いてないよ。

女:じゃあ、今言った。じゃあね〜♪

(笑顔で手を振りながら去っていく女性)

男:えぇ……ホントに行っちゃったよ。ごめん、びっくりしたよね。あの……まさかこんな所で史緒里ちゃんと再会するなんて  


史:(心の声)奈々さん帰っちゃったけど、結局どういう関係だったの? よく考えたら颯太君と二人きり!? ここから何話すの?


男:史緒里ちゃん聞いてる? おーい

(動揺する史緒里の前で手を振って見せる颯太)


史:え、なに? あぁ、そうだよね。颯太君と美術館で再会するなんて思ってなくて。

颯:そんなびっくりすること?

史:だって一緒に美術館に行った時、颯太君あんまり絵に興味ないのに私が語りすぎちゃって引いてたよね。

颯:全然引いてないよ。ごめんあの時は。絵とか美術のこと全然知らなくて ……黙り込んじゃった。

史:そうだったんだ。

颯:それに、史緒里ちゃんが熱く絵について語ってる姿見て羨ましくなっちゃったんだよね。あの頃の僕は何も夢中になるものが無かったからさ。

史:ううん。私はただ空気を読めず、勝手に話しちゃっただけで。

颯:実はさ、あれから勉強したんだよね。

史:どういうこと?

颯:史緒里ちゃんがあれだけハマってる美術の世界ってどういうものなのかなって思って、ちょくちょく美術館に行くようになったんだよね。そしたら 徐々に面白くなって……実は今、美大に通ってるんだ。

史:び、美大?

颯:うん

史:颯太君が美大? 凄いよそれは! じゃあ絵も描いたりしてるの?

颯:見る?

史:いいの?

颯:あの、でも……笑わないでね?

史:笑わないよ

颯:スマホだから見づらいけど……これ

(スマホを操作し、画面を史緒里に見せる颯太)


史:え……凄い。これ本当に颯太君が描いたの?

颯:そうだよ。ここで他の人の絵見せたらずるいでしょ。

史:だとしたら本当に上手だよ。私この絵好きかも。

颯:それは褒めすぎだって。

史:しかも高校から勉強して美大に進むなんてブルーピリオドじゃん。

颯:やっぱり読んでる? 僕も奈々に勧められて読み始めたんだよ。


史:(心の声)出た、奈々さん。やっぱり彼女ってこと? これはもう聞くしか……


史:あの、奈々さんって……

颯:あ、奈々は同じ美大の友達。いやー彼女の絵、素晴らしくてさぁ。友達でもあるんだけど良いライバルなんだよね。美大に1ヶ月住み込んで作品作ったり、23歳年上のフランス人と付き合ってたり。ホント規格外の生き方してる変わり者でさ、一緒にいて面白いんだよね。

史:あ、そうだったんだ。自由な人だね。


史:(心の声)彼女じゃなかった……私、今日ずっと勘違いしてた。


颯:あ、僕そろそろ時間だわ。今日は久しぶりに話せてよかったよ。

史:ん、私も話せてよかった。

颯:LINE変わってないよね?

史:……変わってないけど  

颯:そしたら、また連絡するよ。じゃね!

史:じゃあね……


史:(心の声)また連絡するって言った!?



ルーブル美術館展は愛をテーマにしているのに、私はまだまだ愛を知らない。そんな中、颯太君とまさかの再会。

これから一体どうなるの!?

ーつづくー



【次回予告】

『よかったらなんだけど、今度……』

えぇぇぇぇ!? 噓でしょ?



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