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教材が定番になるのは

こんばんは。今日は「定番教材」のお話。

国語科教育法の授業で、漢文の授業体験について話す機会がありました。事前にWordファイルで小レポートを提出し、それを元に話すのですが、そこに私はこう書きました。

1年と3年の先生はどちらかというと文法重視で、漢文の句法語法をかなり意識して解説していたように記憶している。3年は毎週漢文の文法書である尚文出版さんの『明説漢文』、通称「パンダ本」のテストをしていた。

先生からのコメントで、「『明説漢文』懐かしいですね。」とあり、しかも別の受講生(九州の方らしい)も言及していました。どうやらこの参考書、かなり広く使われているようです。パンダ本の愛称も一緒でした。いわゆる名著なんでしょうか。

他にもターゲットやキクタン、アップグレード、チャートシリーズなども定番の参考書な気がします(最も私はユメタンとスクランブル、フォーカスゴールドだったのですが)。小学校かな、光村図書の国語の教科書が圧倒的シェアを誇っているとか、高校の世界史日本史の教科書では山川出版が一大勢力だとか。教科書の選択でも人気のあるものとそうでないものって結構わかれますよね。

さらに、俗に「定番教材」と言われるものってあると思うんです。国語総合の古文で「稚児のそら寝」などの小さな説話の次に『徒然草』が来たり、漢文で故事から始まったり、現代文の最初の小説で「羅生門」を扱ったり。「水の東西」や「山月記」、『こころ』なども定番でしょうか。

そういった定番教材がどうして生まれるのかが気になります。教材として高い価値を持つから、それはあるでしょう。参考書や問題集は使いやすさで選ばれているかもしれません。でもそれだけではない気がするんです。授業でも言われていたのですが、例えば「水の東西」なら西洋(ヨーロッパ)と日本の対比で収まらないものや例が古いものがあるんです。比較文化論なら他のものもありそうですが、あえてこの教材を教科書に採択するのはなぜなのか。「羅生門」が定番になる前は「蜜柑」が採録されることが多かったそうです。そもそも小説に戦後文学が少ないのは?

言葉は悪いですが教材研究の負担が減るという意見も聞いたことがあります。でもそれもまた全てではない。より多くの人が共通して持つ文脈があると良いから。学校教育で扱った作品が個人の中で文脈として取り入れられることによるコミュニケーションの可能性。これもありそうです。何かしらの意図があって作られた「定番」がありそうな気がします。

私自身は回答を持ち合わせていませんが、調べたら答えが出るのでしょうか。

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