私にとっての婚活

婚活は終活だと思う。

37の春に「婚活しようと思う」と言った時の母親の嬉しそうな顔よ。
結婚しなさいとか言う親じゃなかったけど思ってた…というか、低所得な私の行く末を心配してたんだろうな。

「あんたもYちゃんが結婚して子供産んだから焦りが出たのね」

いや、ごめん、全然焦ってない。

ちなみにYちゃんは3つ年下で、アラサーの時に婚活を初めて、結婚出産に至った同人友達です。
同人誌で知り合ったけど基本親族オンリーの結婚式に友人代表で呼んでもらったくらい仲良くなった。
萌えを分かち合えるの大事。

そう、私は腐女子も腐女子、二次創作活動も20年を越えるゴリゴリのアレなのです。
三度の飯より薄い本が好き。
ちなみに商業BLも大好きです。
素敵なおっさん受けがあったら教えてください。

私が婚活をしようと思ったのは老後のことを考えたからでした。
老後を考えたと言っても別に不安になったから拠り所がほしいとかではなくてね。
老後に自分がどんなことをしたいかと考えたときに、街道歩きとかしたいって思ったのだ。
そんで街道歩きとか神社仏閣巡りとかする時、友達よりパートナーのが気を使わずにいけるんじゃないかなって考えた。
友達とパートナーって気持ちの上で開ける部分、気を使う部分が違うなって。
友達に甘えられる部分、パートナーに甘えられる部分は違うと思う。

そんで私はその両方がほしい。

パートナーがいれば友達は要らないとも、友達がいるんだからパートナーがいなくても寂しくないとも思えない。

でもそれは老後のことで、今すぐパートナーがいないことに焦りとかはなかった。
焦りはなく、たとえばいつか誰かいればいいなぁと生きていた。
老後に茶飲み友達とかそういう人がいればいいなぁと漠然と考えていた。

で、ある日ふと、

「老後にパートナーを探すより、今パートナーを見付けて、その人と老後まで続けた方がいいんじゃない?」

「もしその人とダメになったら、老後にまた探したらいいんじゃない?」

「その方がリスク低くない?」

なんて事を思ったのです。

だから私にとっての婚活は終活なのです。

それに婚活で選ぶ人って、究極的には「看取ったり看取られたりする人」なんだなぁって。
だからは私は37の春に婚活でそういう人を見付けると決めたのでした。

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