白井先生

米国腫瘍内科医に聞く、アメリカ臨床留学の話

白井敬祐先生とは

Dartmouth-Hitchcock Medical Center

Norris Cotton Cancer Center Associate Professor of Medicine, Hematology/Oncology

Geisel School of Medicine at Dartmouth

キャリア

1997年に京都大学卒業。横須賀米軍病院で1年間の研修終了後、福岡飯塚病院を経て、国立札幌がんセンターに放射線腫瘍医として勤務。2002年に渡米し、ピッツバーグ大学で一般内科レジデント、サウスカロライナ医科大学で血液腫瘍内科フェローを経て、そのままサウスカロライナ大学腫瘍内科スタッフに就任。2009年には同大学でClinical ResearchのMSCR (Master of Science of Clinical Research、臨床研究修士) も取得。2015年よりダートマスに移り、現職に至る。専門は悪性黒色腫、肺癌、頭頚部癌、緩和療法。
連載:侍オンコロジスト奮闘記~Dr.白井 in USA~(https://www.carenet.com/series/samurai/cg001336_index.html)

腫瘍内科という選択とアメリカ留学

――白井先生が腫瘍内科に進んだきっかけを聞かせてください。

もともと終末期に興味があり、がんを専門にする道に進みました。初めに放射線腫瘍科を選んだのは治る癌から緩和治療まであり、かつ子どもから高齢者まであらゆる癌を診る事ができると思ったからです。

腫瘍放射線科医をしている中でたまたまアメリカにいける機会があり、競争の激しい放射線腫瘍科のレジデンシーより内科レジデンシーの方が現実的にアメリカに行きやすい事、アメリカの放射線科医は病棟に関わることが少ない事などを考えて腫瘍内科の道に進むことになりました。

――渡米する前にUSMLEを取得していたと思いますが、USMLEを取ろうとおもったきっかけや勉強方法、取得のタイミングなどについて教えてください。

もう25年くらい前ですが、当時は米国の医療系ドラマ「ER」が流行っていて、漠然と米国医療に興味がありました。5年生の時に週に1回行われていた大学内のUSMLEの勉強会に参加するようになり、せっかく勉強したならと思い、国家試験と一緒にStep2を受験しましたね。Step1は横須賀米軍病院時代に取りました。勉強はひたすら問題集一冊をやりましたね。

――意外にも今のキャリアのすべてのきっかけは何となく参加した勉強会だったんですね(笑).次にアメリカでのキャリアに関してお聞きしたいのですが、米軍病院に行ったきっかけ、渡米のきっかけ、その後のキャリアに関して詳細をお聞かせください。

もともと一年上の先輩の現京大皮膚科教授の椛島先生が横須賀米海軍病院に行っておられて、「おもろいし絶対白井に向いているから」と誘っていただき、それなら挑戦してみようと思い受験しました。

横須賀米海軍病院で1年の研修終了後、1年先に行っていた同級生の2人から「おもろいし、充実してるで」とすすめられて福岡の飯塚病院に行きました。たまたま九州に講演に来られた札幌がんセンターの西尾正道先生の話しにひかれて、その後は札幌がんセンターに行き、放射線治療を学びました。

そこで、たまたまピッツバーグ大学の内科のプログラムディレクターが札幌に来るという事を友人から聞き、アポをとってランチに行きました。そこで「USMLEを取得しているならアメリカに来る?」と誘っていただきました。当時すでに横須賀で研修した同級生6人中5人はアメリカに行っていましたし、州によってはUSMLEの最初のステップを 取得してから7年以内にレジデントを始めないとまた一からといううわさも聞き、せっかく取ったなら行ってみようと思い渡米を決断しました。スティーラーズ(アメフトのチーム)も魅力的でしたしね(笑)。そしてピッツバーグ大学の内科レジデンシーにOut of Match枠に入れて頂けることになりました。

その後、フェローシップに応募した中からオファーのあった病院の中からサウスカロライナ医科大のフェローに進んだ理由は横須賀米軍病院の先輩にあたる小川真紀雄先生や肺癌ですごく御高名なMark Green先生がいらっしゃったからです。

腫瘍内科で大学に残るのであれば研究が必要だと思い、臨床研究修士も取得しました。スタッフとして楽しくやっていたのですが、たまたまダートマスで悪性黒色腫を専門にしている腫瘍内科医を探していると研究仲間の友人が声をかけてくれ、ダートマスに行くことになりました。

――偶然こういったキャリアになったという部分も多いんですね。振り返ってみてキャリア形成に重要なポイントというのはありましたか?

キャリア形成に重要なポイントで特に意識してきたことはありませんが、たまたま悪性黒色腫を専門にしたタイミングで免疫チェックポイント阻害剤が悪性黒色腫を対象に登場し、サウスカロライナで一番免疫チェックポイント阻害剤の経験がある医師になれたのは大きかったかもしれないですね。

流れにのっかる事ができてラッキーだったかもしれませんね(笑).もともと日本で放射線治療やっていた時から肺癌を見ていたのですが、そうしたら、免疫チェックポイント阻害剤が肺癌にも適応拡大となりました(笑).

日本と米国の腫瘍内科

――アメリカではたくさんの臨床試験が行われている反面、日本では臨床研究論文の本数が減少傾向にあると聞きますが、実際にアメリカで臨床試験に関わっておられる白井先生はどういった違いを感じておられますか?
 

臨床研究は大学病院などの教育病院で行われているもの多いですが。民間で行うところも増えてきています。臨床試験は患者さんにとって、ある意味Opportunityとして捉えられていて、標準治療が終了した後に可能性のある臨床試験を提供できるのはメリットとも考えられているというのはあると思いますね。

――個人的には研究費の面以外でも、臨床試験コーディネーターなど臨床研究に関わる人的資源がしっかりしていたり、学生でも将来のキャリアアップの為に臨床試験の手伝いをしている人達もいたりして、そういった環境の面でも違いを感じました。

そうですね。みんながみんなやっているわけではないですが医学部に入ることを目標に学部生を終わった後に臨床試験コーディネーターを仕事として経験する人もいますね。

――日米両方でトレーニングを受けられた立場として同期の研修医やレジデントで違いを感じる点はありましたか?

そこまでは感じてないですね。ディスカッションする機会がアメリカの方が多いので、ディスカッションが上手な人は多いとは思いますが、日本人の先生でもうまい人もいるので一概には言えないですね。あとはオンとオフがしっかりしているという事ですね。

――日本はまだまだ腫瘍内科という科ができて新しいといいますが実際に日米でどういった違いがあるのでしょうか?

私は現在、日本で臨床をしているわけではないので、細かいことに関してはわからないというのが正直なところです。ただ、日本ではまだ臓器別に各科で腫瘍を診ている施設が多いので、腫瘍内科といってもまれな癌や原発不明癌や肉腫が中心になると聞いたこともあります。

反対に、アメリカでは婦人科以外の腫瘍は基本的に全て腫瘍内科で扱います。中にはFox Chase Cancer Centerなど婦人科系のがんも腫瘍内科が診ている ところもあり、多少異なる施設もありますが。そういった日米の違いはあると思います。

――腫瘍内科医になるためのトレーニングを受けるにあたって腫瘍横断的に学べる施設はまだまだ日本には少ないのですね。

そうだと思います。例えばダートマスの腫瘍内科フェローは、朝は肺癌チームに入り、昼は消化器癌チーム、その次の日の朝は白血病チームについてと毎日色んな腫瘍を経験していますね。腫瘍内科の他の指導医達や外科医達もみんな同じ区画で外来に当たっているためしょっちゅうディスカッションする機会もありますね。

――アメリカは腫瘍内科の歴史も長いですよね。腫瘍内科の歴史も気になるところですね。

そういった歴史について有名な本があるので気になったら是非読んでみる事を奨めますよ。「The Emperor of All Maladies」(日本語版:病の皇帝「がん」に挑む)という本で、PULITZER賞も受賞していうる名作です。著者はこの本を書いた当時はまだ、ハーバードの腫瘍内科フェローだったと聞いています。

――フェローの先生が書かれた本ですか。すごすぎますね(笑)

本当にすごい人です。HarvardにはAtul Gawande先生だけではなくてそういったすごい人もいますよ。本の内容は少しHarvard寄りではありますが、がん治療の黎明期などがダイナミックに書かれていてとても面白いですよ。

――アメリカ医療と言えば保険の違いがまず思い浮かびますが、アメリカは保険に入っている保険によって患者さんによって受ける事ができる治療が変わるといったこともあるのでしょうか。

私の働いている環境では、それはないようです。メディケイドの方もメディケアの方も病院に受診されている方には標準治療が適応されています。Dartmouth-Hitchcock Medical Centerは営利病院ではありますが、一方で地域基幹病院としての役割も担っているので、保険に入っていない人に充てる予算も組まれています。ただ規模の小さい開業医グループでは、支払いがなされるかは大きな問題なので、保険の確認が重要だとも聞いています。

腫瘍内科医にみる、がん患者さんとのコミュニケーションスキル

――白井先生の外来に入らせてもらって先生のがん患者さんとのコミュニケーションの取り方がとても印象的でした。時に冗談を織り交ぜたり、時に率直な意見からはいったり、個人個人の状態に合わせてコミュニケーションを使い分けているように感じましたが、普段の外来で意識されていることはありますか?

まず一人一人の患者さんに合わせる事はすごく大事だと思います。血糖値を見てインスリンの量を変える、血圧を見て血圧の薬を調節するといった事と全く同じようにコミュニケーションのスタイルも患者さんによって変える必要はあります。

例えば、画像のフォローアップで来ている患者さんの場合でしたら、頭の中は今日の画像がどうだったかでいっぱいですよね。そういう場合に普通に順序通り診療を始めるよりも、画像結果をまずは伝える事から始めて、その後に通常の診察した方がいいですよね。

――がん診療の場合、初診時にはシリアスな事実を伝えるといった事も多いと思いますが、そういった場合は白井先生ならどのようにお伝えされますか?

まず一番大事なのは「どのように聞いているか教えてもらう」という事です。「僕は自分なりの考えはあるけれど、あなたはどういった経緯で、来られているのか、どう聞かれているか、どう理解されているかを教えてください」と言って診療に入っています。

――その時に患者さんの今の理解を聞いてそれに合わせたコミュニケーションスタイルを考えるわけですね。

そうです。患者さんによっては画像だって見たくない人もいるので、そういった点も確認する事が大事ですね。フェローの時は”Don’t assume!”(決めつけないように!)とよく言われましたね。こうだろう、ああだろうと決めつけずに、必ず患者さんに聞きなさいと言われましたね。

また、ギャップがどこにあるのか探す事も重要です。患者さんの想いと医療者の見立てのどこにギャップがあるのか。言語が変わっても基本となるコンセプトは変わりません。

――先生の診察を見学させて頂いて、背景の異なる色んな癌患者さんがいる中でそれぞれに合わせた雰囲気を作るのがすごく上手で、プロフェッショナルな技術を感じました。一方で、最近はSICG(Serious Illness Conversation Guide)ができるなどこういったスキルをプロトコール化しようという運動もありますよね。

そういった運動も患者さんの不安を和らげるのにとてもいいと思います。

例えば、いきなり「今のあなたの不安はなんですか?」とか聞かれると「え!?」ってなっちゃいますよね。その前に「外来に来られている全ての患者さんに聞いている質問なのですが」と一言入ると、余計な不安をする心配は減りますよね。それだけでなく、「何を聞いていいかわからない」という、医療者側の不安を減らすのにも効果があります。

それがこの運動の狙いだと思います。コミュニケーションが上手い下手で左右されるのではなくて、苦手な医師でもできるようにしようという事ですね。

――プロフェッショナルな技術を持つ緩和医療専門の医師だけではなく、がん診療に携わるすべての医師のコミュニケーションスキルのボトムラインを上げるというイメージですね。

医療の「不確実性」をきちんと伝える

――最近ノーベル賞を受賞した免疫チェックポイント阻害剤が話題となっていますが、一方でがんの万能薬であるかのような誤解も生みだしています。先生はそういった免疫チェックポイント阻害剤に高い期待をもたれている患者さんにはどのように対応されていますか?

その話は最近とても話題でJCO(Journal of Clinical Oncology)にも高い期待にどう対応するかといったエッセイがでています。(参考:http://ascopubs.org/doi/abs/10.1200/JCO.2017.76.2146 )

従来の化学療法に比べ実際に効いた人は長続きするし、副作用の頻度は少ないですが、当然治療の副作用で亡くなる方もいるし、みんながみんなに効く万能な薬ではない。2019年の時点ではどういった人に効くのかもわからない。やってみないとわからないと いう不確実性があるということを説明します。

つまり、免疫チェックポイント阻害剤だけに限らす医師はそういった「医療の不確実性」に関する部分をきっちり説明することが大事だと思います。

例えば、統計上は平均生存期間が12か月といっても、目の前の患者さんが実際に12か月生存するかはわかりません。そういった「幅」のあるものを如何に伝えるか、コミュニケーション能力の必要なところではあると思います。実際には平均値でも知りたい人もいれば、そういった情報は一切知りたくないという人もいますから。

――光免疫療法も最近何かと話題になっていますね

光免疫療法は私の京大の先輩にあたる小林先生がされている研究です。まだ研究段階ですがMD Andersonなどで臨床試験もされていますね。まだ光を照射するためのデバイスが必要なために表面にある癌を中心とした臨床試験しか行われてないようですが、デバイスを工夫すれば膵癌などにも使えると言われています。すごく今後が期待されている治療の一つだと思います。

――臨床試験は頭頚部癌などで行われていますね。光免疫療法もがん診療の「game changer」となる可能性を秘めていそうですね。

自分で選び、自分で責任を取る

――最後に全国の学生に一言お願いします

「何かを選ぶという事は何かを捨てるという事」でもあります。

アメリカで医師をするという事は、同時に日本での生活を捨てるという事でもあります。
日本では呼吸器内科医になると気管支鏡などの手技も化学療法も経験する事ができますが、アメリカでは各科ごとにきちんと役割分担がされていて、腫瘍内科医になると化学療法はできても、基本的には手技はしません。

またアメリカでも開業医グループで腫瘍内科医となれば乳癌も大腸癌も肺癌も多くの種類の癌を診ますが、大学病院で腫瘍内科医となれば何かに特化する必要があるので全部の癌を診るという事は捨てなければいけません。学生の皆さんにはそういった一面も是非知っておいてほしいとおもいます。

――自分のキャリアイメージとマッチしているかどうかを考える必要があるということでしょうか?

でも私自身このようなキャリアを思い浮かべていたかと言うとそういうわけでもありませんでした。私の場合は完全に行き当たりばったりで今のキャリアに至っていたという感じです。

ただ、「自分で選ぶ、だから自分で責任をとる」ということは意識してきました。日本で放射線腫瘍医を経験していたことがきっかけで面白がって色んな施設から腫瘍内科のフェローシップの面接に呼んでもらえましたし、フェロー1年目でスタッフとして残らないかと誘ってもらえました。当時、周りで悪性黒色腫を専門にしている人がいなかったから悪性黒色腫を専門にしました。そしたらそれがダートマスにくるきっかけにもなったという感じですね。緩和医療に興味があってずっとやっていたら今ではダートマス大学の学部生や医学部生、工学部の大学院生にも講義しに行くようになりました。

――意外でしたが偶然の積み重ねでキャリアが形成されるのですね。それにしても第2外国語として英語を話す白井先生が英語を母国語にしているダートマスの学生達にコミュニケーションを教えるというのはすごいですね(笑)

基本のコンセプトは言語が変わっても変わりませんからね。ギャップがどこにあるのか探すという事です。患者さんの想いと医療者の見立てのどこにギャップがあるのか。

学生の内はやりたいことをやってみる事が大事だと思います。何にしてもまずは飛び込んでみないとわからない事は多いですから。一般的に論じられる日本の医療にしても、実際に見学に行ってみると病院ごとに違うカルチャーがあるという事にも気が付くはずです。
ともすると何でも一般化しがちですが、実際に見てみると実は個別に色んな違いがあるという事に気が付きます。

インタビュワーあとがき

ニューハンプシャー州にあるアイビーリーグの名門校、ダートマスの基幹病院であるDartmouth-Hitchcock Medical Centerに訪問し、侍オンコロジストとして著名な腫瘍内科医、白井先生にお会いしてきました。

白井先生の下で3週間、腫瘍内科の見学をさせて頂きました。科には様々な腫瘍の専門医がおり、横の区画では外科の専門医もいるなど、「がん」を中心に多くの専門医、コメディカルが一丸となって診療にあたっている様子がとても印象的でした。

実習中は毎日色んなOncologistの先生方の外来に入らせて頂きました。癌の患者さんとどのように向き合い、どのように医療情報を伝えるのか、すごくシビアな状況もありましたが、色んなスペシャリストの先生方のアプローチを身近に見られたことはとてもいい経験でした。

また、腫瘍内科フェローの先生方の勉強会やカンファレンスにも多く参加させて頂きました。カンファレンスやレクチャーでは日々アップデートされていく論文や研究の結果が引用され、とてもついていけていない感じがした事も多く、毎日様々な論文を読んだりして勉強しましたが、白井先生から「発展著しい腫瘍内科の分野では知識はすぐに変わっていくので、学生の内は細かい知識より診療のAttitudeを学んでほしい」と言われ、ハッとし、肩の力が少し抜けた気がしました。

 今や日本では2人に1人ががんに罹患し、3人に1人ががんで亡くなる時代です。一方で、がん診療は免疫チェックポイント阻害薬、CAR-T療法など日々進歩し、複雑化してきており、臓器横断的に様々な治療、支持療法、緩和療法に精通する腫瘍内科医の社会的ニーズは日増しに高まっています。まだまだ日本では各科毎のがん診療が主流だと感じますが、全国で腫瘍内科がぞくぞくと立ち上がってきており、これからのさらなる日本のがん医療の発展を期待されています。


インタビュワー:瀬口京介(近畿大6年)

編集:中村雄一(近畿大6年)

インフォグラフィック:手嶋遥(島根大2年)、山口貴士(新潟大3年)


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