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都市から生まれたカルチャーは、インターネットに場所を変えた

その昔といってもほんの20年ほど前、渋谷にはたくさんのミニシアターがあって、本屋があって、カフェに入ると本屋で買った本やら雑誌やらを熱心に読んでいる人たちがいました。

渋谷には、本・雑誌の中でもサブカルチャー寄りのメディアや、ミニシアター系の映画というコンテンツが溢れかえっていました。渋谷で本屋に入り、スタジオボイスなんかを眺め、シネクイントでバッファロー66を観て、個人経営のカフェで感想などを語り合ったのです。
渋谷にはサブカルチャーやミニシアターならではの作家性のあるメディアコンテンツが溢れていて、それを求めて人々は都市に集い、カルチャーが形成されていったのです。2000年代まで渋谷は長らく映画の都市でした。新進気鋭の若手クリエイターの監督作品や、エッジの効いた海外の作品を観たいならシネマライズに、前衛的で思想的な映画を観たいならユーロスペースにといった具合で様々なタイプの映画作品が上映されていました。
そういったタイプの違う映画ジャンルが混在しつつも、渋谷というひとつの都市に内包され、足しげくそこに人が通って渋谷の映画カルチャーが醸成されていたのです。
渋谷の本屋やミニシアターというハブスポットがあり、それらが有機的につながり合い、人という粒子はそのハブを回遊していたのでした。

カルチャーを形成するのは人です。そして人を集めるのは都市です。だから、都市からしかカルチャーは生まれなかったのです。フランスといえば芸術の都市ですが、かの岡本太郎もフランスに留学し、アートや哲学についてフランスのカフェで激論を交わしたそうです。都市と人は相互に影響をおよぼし、よりカルチャーが強固になって共感する人を呼び寄せます。

しかし、シネマライズをはじめとして渋谷のミニシアターは次々と閉館し、映画都市としてのカルチャーは崩壊しつつあります。カルチャーというのは、一定の規模の人々が同じメディアコンテンツに接触し、異なる感想を交わすことで醸成されていくものです。ミニシアター文化が盛んだった頃は「映画好きであれば観ておく映画はコレ」的なくくりがありましたが、今では別に何の映画を観ていても観ていなくてもどっちでも良いという空気があります。
カルチャーを発信していた都市という形が崩れつつあり、それとともにカルチャーの在り方も変わってきています。

カルチャーの発信源は、都市からネットに場所を移しつつあります。今もまだ、都市と密接にからみついたカルチャーとして原宿カルチャーがあります。原宿カルチャーを地方へ伝える重要な媒介は、かつてはストリートスナップ誌でした。しかし、インスタグラムやWearなどの登場によりストリートスナップ誌は廃刊となり、原宿カルチャーを伝える媒介はインフルエンサーであり、使うツールはインスタグラムなのです。しかも、インスタグラムは自分でいいねを押したりコメントをして感想や感情を伝えることが出来るので、雑誌にはないインタラクティブ性があります。本来、都市が果たしていた人と人のつながりをインターネットが代替しているのです。インターネットはただ単に情報の媒介ではなく、カルチャーをのものを生む都市の代替にすらなっています。
これを図に表すとメディア、コンテンツに対して共感した人々が繋がるという都市そのものの構図であり、そこから直接カルチャーを生み出しているということになります。

しかし、インターネットで生まれたカルチャーも、具現化することはあります。ニコニコ動画は紛れもなくネットから生まれたカルチャーですが、ニコニコ超会議というリアルイベントを行っています。同じくネットから生まれた初音ミクもまた、リアルイベントが行われています。ネットから生まれたカルチャーといえども、人はそれを「体験」したいと思います。だから、ネット出自のカルチャーもイベントとして具現化するのです。しかし、それは時おりネットから形を具現化したものなので、特定の都市にひもづきません。

これからも都市とカルチャーの結びつきは弱まっていくでしょう。そして、ネット出自のコンテンツや人そのものがカルチャーの発信源となり、時折イベントとして具現化するという流れに進んでいくのではないでしょうか。

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