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なぜ日本を代表するビジョナリーカンパニーを作るのか【25日目】

こんにちは!
株式会社メディアエイドAdvent Calendar 2023 最終日の記事を担当します、メディアエイド代表の九島です。

はじめに

私はこのメディアエイドを大学2年生の4月に創業し、現在に至るまで学生と経営者の両輪で全力の日々を送って参りました。
創業してからあっという間に2年半が経ったわけですが、当然のことながら今まで幾度とない至難が訪れ、それを乗り越えることに必死でした。

そんな中で、改めてこのアドベントカレンダーという機会を利用して、創業してから今に至るまで全て振り返っていこう!
いやなんなら、幼少期から今に至るまでどんな思考で生きてきて、今なぜ医大生をやりながら「日本を代表するビジョナリーカンパニーを作る」という思考回路に至ったのか、自分の頭の中をできるだけ簡潔に言語化していきたいと思います。

ざっくりですが、

  1. 幼少期から高校まで

  2. 大学に入ってから創業し、今に至るまで

と2つのパートに分けております。

まずは知っていただくために私のベーシックステータスも記載しておきます。

  • 生年月日:2000年9月19日

  • 血液型:B型

  • 出身地:東京都

  • 出身校:暁星高校

  • 趣味:ゴルフ・車

  • 子供の頃の夢:医師

  • 好きな食べ物:坦々麺

それでは早速本題に入って参ります!

幼少期から高校まで

私は幼少期の頃を一言でまとめてしまうと、自分で言うのもなんですが、「育ちの良い、根は真面目な、負けず嫌いのイキったガキ」でした。
これだけだとどういうことかさっぱりだと思いますので、補足説明をしていきますね。

まず、私は小学校から高校まで一貫校で同じ学校にいました。ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが「暁星」という東京の九段下にある学校です。
この小学校にはいわゆる"お受験"をして入ったのですが、キリスト教を重んじる伝統ある男子校で、なんと授業を聞くときは「前で手を組んで聞かないといけない」とか、「ご飯は黙食」だったりと、とにかく規律が多くありました。

前述した通り、我ながら根は真面目なので、小学校の6年間はその規律の中で模範的に行動し、成績に関しても上位10%に入るくらいでした。
部活も野球が好きで野球部に入ったのですが、積極的に参加していましたし、真面目に取り組んでいました。

これが前半部分の「育ちの良い、根は真面目な」という部分です。(これ自分で言うのは相当きもいのですが、許してください。今回はすべて正直に書いていきたいのです。対外的な見え方を気にした"ブランディング記事"にはしたくありません。)

そして後半部分である「負けず嫌いのイキったガキ」これはなんなのか?
まず『なぜ負けず嫌いなのか?』これは結論ロジックではわかりません。強いて言うのであれば、ずっと野球という競争の環境で育ってきたからなのか?とか思いましたが、野球を始めたタイミングではすでに負けず嫌いだったので、これはロジックではなく生まれつきなのかもしれません。

『どのくらい負けず嫌いなのか?』これは正直異常なくらいだと思ってください。ただ"自分が興味関心のある領域において"という限定があります。基本的には自分が歩んでいる道の中で関わってしまったものに対しては全て1位である必要があるという思想です。前述の通り、ここにロジックはありません。

「イキったガキ」の部分について。
1つそれを代表するエピソードがあります。こんな感じのものが何個もあると思ってください。

SNSの発信を見ていただいている方は分かるかもしれませんが、私は心底車が好きです。
車好きに芽生えたのは小学校4年生のときに行った家族との箱根旅行。今でも覚えていますが行きのロマンスカーに乗る前に駅のコンビニで手にした「カーセンサー(リクルート運営)」の雑誌がきっかけです。
親が行きの電車で暇になる私を懸念して購入してくれたわけですが、その雑誌を読んだことをきっかけになぜかいきなり車熱が爆発してしましました。
どのくらい爆発したかというと、そのカタログに書いてある車の全長全幅を覚えたり、続刊を買い漁ったりと、ハマったロジックは全く不明なんですが、どっぷり漬かり込んでしまったのです。

そしてハマり込んだ私は、自分の家の車に目をつけ始めます。当時実家の車はトヨタだったんですが、行っている学校は進学校なものでみんなボンボンが多く、ベンツとかポルシェとか、友達の車がそんなんばっかりだったんですよね。
そしてその状態に、極度な負けず嫌いである私はどうしても許せず劣等感を感じ(関わったものすべて1位理論です)、「こんなんじゃダメだ」と奮起し両親に交渉することにしました。

交渉の仕方はシンプルです。6年生の最後の成績で5が5つ以上ついたら好きな車を買ってくれという交渉です。
これは実は結構難しくて全体の評価項目が8個くらいあってその中で5つも最高評価である5を取らないといけないのです。両親もまさかいけないだろうと思ったのでしょう。合意が取れちゃいました笑
あとは頑張るだけということで、日々車の獲得のために勉学に励みまして、結論をお伝えしますと6年生の最後の学期でなんと綺麗に「5を5つ獲得」という結果となりました。
今でも覚えています、成績表をもらった瞬間に父親に「5が5つ!!車決定だね!明日ディーラーに見に行こう!」と当時はガラケーで連絡したことを。

そしてそして、ディーラーに行くのですが、カタログを読み込んでいる私はセールスの方より圧倒的に詳しいわけです。車のサイズからどんなオプションをつけることができるのかまで、正直そのディラーで一番詳しかったと思います。
最終的にブランドに関してはBMWにしようという結論になるわけですが、セールスの方が勧めてくる在庫の新車が何個かあり(これが通例の車屋さんの売り方)それを試乗していたのですが、6年生の私は本当に生意気なことに、それだと納得できなかったんです。
何が納得できなかったかを言語化するのは非常に難しいのですが、当時店の誰よりもBMWに詳しい私はその在庫にある新車がイケてないなとシンプルに思いました。

そこで当時まだ少年、素直な心しかない私は、「オーダーメイドで頼みたい。」とか訳のわからないことをほざき出しました。これって本当にセールスの方からしても面倒ですし、金額も高くなりますし、自分得でしかないのですが、そんなこと少年の私には関係ないですから、欲しいオプションの「オプション依頼書」を作って、セールスの方と小6の私が直接FAXでやりとりをしてオプションを決定していきました。

これも今からしたら考えられないですよね。セールスの人も小学6年生と車購入のやりとりをしたのは初めてだと思います笑
本当に面倒な手間をかけたセールスの岩崎さん、ごめんなさい笑
とまぁこれが完全にイキったというか、世間知らずであり、負けず嫌いであるがゆえに起こってしまう"イキリエピソード"って感じです。こんなことを何回も繰り返しながら高校生くらいまで過ごしてました。

幼少期から高校までの話で、長くなりすぎてしまうので、ここのパートでは最後に高校の受験時代の話をして終わりますね。
なぜこの話をするのかというと、私の中ではこの受験の頑張りが、ビジネスのハードワークの原点だと思っているからです。

私は高校のとき3年生の5月まで部活をやっていて、成績も学校の中では半分くらい。模試をやろうもんなら偏差値40くらい。こんな悲惨な状態で受験勉強を開始しました。

こちらの動画を見ていただいたら一発で理解できてしまいます。)

結論。9ヶ月間で2845時間勉強して現役で「東京慈恵会医科大学」に合格しました。

なぜ合格できたのか?
「スタディプラス」という勉強時間を記録するアプリがあるのですが、これがまじで私との相性抜群でして、「負けず嫌い」に刺さったんです。このアプリは勉強時間を記録するだけではなくて、その勉強時間を他の受験生と競うことができるんです。
なので私は「週間ランキングで1位を取る。」これだけを意識していました。本当にそれだけで、毎週毎週1位を取るためにひたすら勉強する。それが最初はきついのですが、1週間、1ヶ月、3ヶ月と経つうちに完全に日課となり、圧倒的な量で競合をぶち抜き現役で合格しちゃったという訳です。

ここで何が言いたいかというと、受験では「ハードワーク」と「競合に勝つ力」を学んだということ。ビジネスにおいて、というか人生において、「負けず嫌い」で「ハードワーク」であれば、勝てないことってあるのでしょうか?
生来たまたま持ち合わせていた先天的「負けず嫌い」と受験で培った後天的「ハードワーク」これが本当に今ビジネスの上で勝因となっています。

大学に入って創業し、第一創業期まで

高校時代まででなんとなく私のことを理解していただけましたでしょうか?少し長くなりましたが、ここからが本題ですよ笑

無事大学に合格した私は、1年生はなんの変哲もない他の大学生と同じ日々を過ごしました。飲み会に行ったり、部活したり、バイトしたり、大学生活満喫って感じです。

そこから2年生になり、コロナという世界的パンデミックが到来します。もちろんのこと学校は閉鎖。部活も停止、バイトも禁止。シンプルにやることがなくなりました。

しかし結果的にはこのコロナがこのメディアエイドという会社の起点にも、私個人の人生における分岐点にもなりました。
なぜか?それはこのパンデミック中に出逢ったのが"tiktok"だからです。

簡単にtiktokを始めることになった経緯を説明しておきます。意外とシンプルな理由でして「かとゆり」というtiktokerがいるのですが、その子が実は幼馴染で、コロナパンデミックの中真っ先にtiktokを始めていたのです。
そして美貌を活かしてあれよあれよとバズりまくっている中で「お前もtiktokやりなよ?」みたいなノリからtiktokを開始しました。本当にこんな感じのノリです。

ただ、私たちの世代は中学生頃にYouTubeが一気に成長しているのを見ていましたし、ネクストYouTubeはtiktokなんじゃないか?という感覚はあったので、なんとなくやっておいたら良いことありそうだよな?と始めることに対しての抵抗感は少ない、むしろ良いきっかけだとまで思っていました。
ここからバズるまでも大変ではあったのですが、このあたりの話はよくメディアでもしているので、割愛させていただきます。

無事にバズらせることができた私は、周りにいた美容外科の先生方から「俺のtiktokもバズらせてよ。」と言われるようになりました。実はこれが弊社のSNSソリューション事業の始まりです。
自分のtiktokがバズって案件をもらうとか広告収益とかは想像がついていましたが、裏方をやる需要があるとは考えてもいなかったです。なんせ普通の大学生ですから、ビジネスのことなんて無論よくわかってません。

「あ、それが仕事になっちゃうんだ」と気づいた私は、クリニックに営業活動をするようになります。最初にコンタクトが取れたのが、東京慈恵会医科大学の先輩のクリニックでして、「一度クリニックにきてくれ。」と言われたので、クリニックに伺うことになります。
ただ当時まだ右も左もわからない大学2年生。社会人経験もありません。そんな私はスーツを着るわけもなく、そこらへんにいそうな大学生の格好で名刺も持たずに営業にいきました笑(ヤバさマックスですよね、、、) 

通されたのはカウンセリングルーム。5分ほど待っていると院長先生とマーケティング責任者がいらっしゃって名刺を渡していただきました。もちろん私は名刺という文化をその時に知りましたので、受け取り方もわからずおどおどしながら受け取るしかりません。
BtoBで名刺渡し方わからないとか、名刺がないとか圧倒的論外なのですが、本当に知らなかったので仕方ないんです笑(確実にやばいやつだと思われていました)

と、そんなこんなで席について商談スタート。まずは慈恵の2年生であることを説明した上で、tiktokをどれだけロジカルにバズらせることができており、再現性があるのかを説明。先生は意外と興味がありそうに聞いてくれています。10分も説明していないと思うんですが、その時に先生が一言「いくらなの?」と聞いてきました。

一瞬私の時が止まりました。やばすぎます。値段なんて決めてないです。だって受注したことないですし、サービス資料という概念を知らないのですから。ただなんとか誤魔化して「25万円くらいです」と言うとなんと先生が即答で、「おけ、やろう。」と。(後日談ですが、いくらでもやると決めてくださっていたみたいです)
これが初の受注です。これあり得ないでしょ、盛っているでしょと思われるかもしれませんが、ガチガチのリアルです。この1社目、大切な大切な1社目は無事結果を出すことができるようになり、紹介や営業でお客さんが増えていき、気づけば法人化した。これが弊社の原点です。
今もその先生はお客様ですし、私が住んでいる家もその方からのご紹介で同じ家に住んでいます。絶対に忘れてはいけない原点だなあ、自分だったらあの場面で「おけ、やろう。」といえていたかな?本当に男気ある方だなあと心から尊敬しています。

さあそんなこんなでビジネスの世界に飛び込みました。ビジネスの世界は当然競争ですから、競争がスタートします。つまり、自分の中では1番を目指す旅がスタートします。このセクションでは第一創業期までをお話しします。そして次のセクションで第二創業期のお話をします。

第一創業期:創業してから2期目が終わるまで」とここでは定義します。
第一創業期に関しては、端的にまとめると「リテラシー不足に伴う目標設定の低いオーナー企業」です。

”リテラシー不足”の部分について。
これは前述もした「名刺の渡し方がわからない」にはじまり、全般的に社会人としてのリテラシーがありません。
つまり、目指すべき1番を判断する判断軸が自分の中でも曖昧だったということです。これにより何が起きるか?答えは「目標設定が低くなる。」これでしかありません。
見えているものの中から1番の定義を決めることになるため、SNSで発信している社長や自分のお客様の中で一番稼いでいる社長など、自分が見える範囲内で1番を定義していました。

何もそれが悪いと言っているわけではないですし、何をもってして1番なのかに関しては人それぞれだと思います。しかしながら、自分の中での1番を決めるための範囲は広げておかなければ、母数の数が一定以上なければ、1つを選ぶときに確からしさは低くなります。

めちゃくちゃ簡単に例えるとするならば、野菜の種類をトマトときゅうりとキャベツしか知らない状態で、一番好きなものをチョイスしろと言われたら、他に本当は好きな野菜があるかもしれないのに、その3種類しか知らないので一つを選びますよね?この状態です。まずいですよね、、、?本当にキャベツが好きという確からしさどこにありますか?という話です。

つまり創業してから2年間はオーナ企業やSNSで見ている企業の中で1番を目指そうと頑張っていました。SNSで有名であるかどうか、お金を使えるやつなのかどうか、正直このあたりが1番の判断軸になっていたと思います。
なので目標は、フォロワー数とか年商とかそういったものになるわけです。案の定、フォロワーを集めるために派手なこともたくさんしましたし、そのためにお金もたくさん使いました。それでも売り上げはみるみる上がっていきました。目標達成の路線に乗っている、そう思っていました。
しかし、、、私は野菜の種類を知らなかっただけでした。

第二創業期を経て、なぜ日本を代表するビジョナリーカンパニーを創るのか

ここからは第二創業期の話をします。
こちらも端的にまとめると「野菜の種類を知り、好きな野菜が確定した。」こんなイメージです。
第二創業期:3期目以降」と定義していますが、まさにそのあたりから、野菜の種類をたくさん知るというイベントが訪れました。

その中で最も大きなきっかけになったのは現COOの石毛のジョインです。
(石毛の話はこちらの動画を見ると、より理解できます。細かい話をし始めるとこれくらい長くなります。すみません、動画の会社なもんで動画ばかり多くて、、、笑)

石毛は元々"燈"という東大のスタートアップを共同創業しており、メディアエイドの初期メンバーである大学同期の谷口からの紹介で、2022年の12月末に副業としてジョインしていました。
その彼が正式にジョインしたのが4月からなので、第二創業期を4月からという設定をしています。

彼は私とは違い、エンプラの領域を顧客層的にも見てきていましたし、目標に関しても、年商をあげようとか、SNSで有名になろうとかではなく、また別の目標・志を持っていました。(何度も言いますが、どっちが良い悪いとかはありません。)

その目標・志は、”日本を代表する企業を創る”や”業界のゲームチェンジを起こす”だったんです。そして見ている会社の領域もお金持ちなオーナー企業だけではなく、いかに社会にインパクトを与えているのかという軸で会社の1番を定義していたのです。

正直当時の私にはそこまでスケールの大きな話は見えていませんでした。「いかに社会にインパクトを与えるかが大切だよね」っていうのは、めっちゃ当たり前の話に聞こえるかもしれないのですが、起業したての当時はそんなに周りのことを広く見る視野もないですし、教えてくれる人なんていませんから、そんなことよりも年商だろとか、有名であることが正義だろとか、本気で思っていましたからね笑 
正確にいうと視野が狭かったといいうよりは、勝手に大手企業になることは諦めていた、というか見ないフリをしていて、見える範囲の中で1番を目指していたのかもしれません。

そして石毛と出会ったことで見える範囲広げることになり、自分の中で「勝利の価値観」「会社の在り方の価値観」が変わってきたという感じかもしれません。
「利益を上げて目立っている会社」ではなく、「世の中に対して大きなインパクトを永続的に与え続けることができる会社」。これを"ビジョナリーカンパニー"といいますが、視野が広がることによってビジョナリーカンパニーが私にとっての1位の定義となったのです。

脳みその可能性の天井の蓋が開いたような感じですかね。ここからはシンプルです。目指すところが決まればあとは負けず嫌いに身を任せてやるだけです。

念の為"ビジョナリーカンパニー"の定義を洗っておくと、(『ジム・コリンズ著.ビジョナリーカンパニー』から抜粋)

  • 業界で卓越した企業である

  • 見識ある経営者や企業幹部の間で広く尊敬されている

  • わたしたちが暮らす社会に、消えることのない足跡を残している

  • 最高経営責任者(CEO)が世代交代している

  • 当初の主力商品(またはサービス)のライフ・サイクルを超えて反映している

上記のような特徴があり、具体例として、ジョンソン・エンド・ジョンソン、アメリカン・エキスプレス、ソニー、ウォルト・ディズニーなどがあげられています。

ビジョナリーカンパニーに共通する事項は、優秀な経営者が必要なわけでも、革新的なプロダクトが必要なわけでもなく、会社の基本理念が全員に浸透しており、熱狂的に支持されている状態が必要である。という結論が出ています。(本を読んでいただくのが1番理解できます)

では、どのようにして今足元で「ビジョナリーカンパニー」を目指しているのか。

これまでメディアエイドでは、業務委託を中心として、業務単位で業務を切り出し、売り上げを上げていく組織でした。
しかしながらこの組織には重大な欠点があります。業務単位で切り出す=業務間の業務が穴あきになっており、求心力が弱くPDCAを回しているのが幹部レイヤーのみ。このような状態に陥っていました。

正直このままでは直線的な成長はできても指数的な成長を見込むことはできない、そう感じていました。そこで今では業務単位ではなく、目的ベースで行動することができる社員中心の組織にするために改革を行っています。
そしてその組織として目指すゴールを決めるべく、ビジョンミッションの策定・浸透を全社をあげて行っています。
スラックのスタンプ作成、tシャツの作成、ステッカーの作成、全体mtgのアジェンダ化などの細かい点まで、何から何まで会社として強化しております。

このような組織論から始まって、経営論など、ビジョナリーカンパニーになるためにできること全て。に日々取り組んでいます。
ということで第二創業期の話をしてきました。ここまでで生まれてからビジョナリーカンパニーを目指すようになるまでを理解していただけましたでしょうか?

最後に1番伝えたいこと

長々と書いてしまいましたが、要約するとすんごくシンプルです。
私個人という人間は、生まれつき「負けず嫌い」という特性を持っており、常に1番を目指す習性があるということ。

そして外的要因(後天的要因)である競争環境を大きくし続ける(脳みその蓋を開け続ける)ことで永遠に成長を続けることができる。
今はビジョナリーカンパニーを目指しているが、もちろんその上を知れば、脳みその可能性の蓋が開けば、また上を目指し連続的に成長していく。というこんな感じの人です笑

なので今はとにかく「日本を代表するビジョナリーカンパニーを作る」ことに全力投球いたします!!またどうせ言っていることは一年後には大きくなっているとは思いますが、今はこれに尽きます!!最後までお読みいただき、ありがとうございました!

そんな私が代表を務める弊社では現在、"メディアエイド"という船に乗っていただける仲間を全力で探しております!!
我々と共にビジョナリーカンパニーで歴史を創る当事者となりたい方、それを達成できる自信のある方、ぜひ一度お問い合わせください!!

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