ネット広告は「共同規制」で

講演・植村裕嗣さん

これは、3月9日にオンラインで開催されたメディア総合研究所の研究会での講演の一部をまとめたものです

放送レポート296号(2022年5月)

デジタル化が招くカオス

 今日は「ネット広告業界に見る社会課題の解決」という切り口で、お話しします。
 先日、電通から「2021年 日本の広告費」が発表され、インターネット広告費のメディア部分も2兆円を超え、新聞・雑誌・テレビ・ラジオのマスコミ四媒体の合算を超えました。
 よく、インターネットはテレビから広告費を奪っていると私は言われましたが、過去四半世紀の統計を見る限り、新聞・雑誌・ラジオの減少率のほうが大きく、またマス媒体以外の広告市場からのお金のシフトも大きいようです。例えば、電話帳広告です。
 NTTの豊島区のタウンページで「ペットショップ」のページを開くと、地域のペットショップの電話番号が順番に並んでいます。その横に出てくるペットショップの広告が、電話帳広告です。1990年代のピーク時には、電話帳広告だけで2000億円近い規模がありましたが、その大部分が検索連動広告に行ってしまいました。
 我々が何かを知りたい、何かを買いたいと思った時に、そのニーズに沿って表示される広告を「プル型」と言い、これはマス媒体にはない機能です。検索連動広告というものは実はインターネット時代の発明品ではなく、電話帳の本質的な機能を抽出したデジタル化です。電話帳の存在意義は、分厚い紙の束が各家庭にあるということではなくて、何かを調べたいときに的確に情報を出してくれるということだったのです。このような、ものごとの本質的な価値を抽出するということがデジタルトランスフォーメーションの真価でしょう。
 手紙、電報、電話、FAX、掲示板、伝言板、交換日記などの一対一のコミュニケーションの場のデジタル化が、いわゆるSNSです。かつて、駅の改札の前にあった伝言板やエコーはがきには広告が掲載されていましたが、SNSは民間広告放送のようにほぼ広告で収益を実現しており、無料でサービスを提供しています。
 そして、販売促進やセールスプロモーションもデジタル化が進んでいます。店頭でのPOPとか折込チラシなどですが、宅配ピザや地元のスーパーの広告がどんどんネット化しています。さらに展示会や見本市のようなイベントがコロナでできなくなって、デジタル化しています。
 このようにマス4媒体だけではなくて、広い意味での媒体がデジタル化して、ネット広告費になっているのが過去四半世紀の移り変わりなのです。
 広告主の企業は、自分のブランドの世界観や認知度を広く伝えるために4マス媒体を使い、実際に購買に結び付けるために通販やテレショップ、店頭での販売促進などを利用しており、これらのそれぞれがデジタル化しているということなのです。
 しかし、世の中にはまともな企業もたくさんありますが、確信犯の勢力も一定数いる…という状況は変わりません。たとえば、通信販売で初回は格安な金額を提示しておきながら、長期購入が条件であることをわかりにくく記載し、2回目以降に多額な金額を請求するような詐欺的な商法や、違法の風俗業など、デジタル時代にも世の中から悪意をもつ広告主はなくなりません。媒体の方にも確信犯がいるのもアナログ時代とは変わりませんし、法律や良識を守ろうとしない広告業者もあって、違法風俗のチラシをデジタル化しています。
 それでも、アナログ時代はまともな広告市場と、こういう闇市場の世界は、交わることはありませんでした。歌舞伎町に行かなければ、いかがわしいチラシを手にすることはありません。コンテンツも同様に、まともなジャーナリズムやエンターテインメントがある一方、フェイクジャーナリズムや、違法や不当なエンターテインメントがあったわけですが、市場の切り分けは実現できていました。
 それでも、これらの間にグレーゾーンがあって、事実なのかフェイクなのかフィクションなのか、よくわからないコンテンツがあり、またまともな媒体と違法な媒体の間にグレーゾーンの媒体があったわけです。これがインターネットにおいては、広告主と媒体の間にさまざまな事業者が入り、自由度を優先する中で俗にいう「カオスマップ」という玉石混交になってしまい、まともな企業の広告が出てはいけないメディアに掲載されるとか、逆に、まともなネット媒体にいかがわしい広告が出てしまうという事態が起きているのです。
 人間社会にはもともと善意と悪意があり、市場の知恵でこれを分断していたのですが、インターネット時代にはその垣根が取り払われ、性善説では対処できない多様な課題が、広告市場においても、コンテンツ市場においても噴出してきているのです。
 ビッグデータやAIを駆使しての排除にも限界があり、ルールの制定と運用や人海戦術等での対処などに世界中の事業者や業界団体、行政などが取り組んでいるのです。

ネット広告に潜む危険

 インターネットは、放送法のような法律も行政指導も業界団体もない自由な空気の中で生まれたわけですが、性善説が通用するうちは問題なかったのです。ところが、誰でも入っていい、情報発信していいとなると、悪意をもった連中が次々と入ってきます。インターネットの特徴である自由を守りながら、いかに悪い意図を排除するか。大人の知恵で、まともな市場と闇市場を分断し、いかに消費者、ユーザー、まともな企業をどう守るのかというのがインターネットの現在地点なのです。
 インターネット広告の課題をいくつか分類して説明します。
 まず、まともな企業の広告がよろしくない環境に出てしまうという問題です。
 これは企業のブランドを毀損しますし、出稿した広告費が反社会勢力の資金源にもなりかねません。いかがわしいコンテンツ、自殺幇助や殺人教唆など犯罪の助長、売春や児童ポルノ、銃刀法違反や詐欺、悪質商法、それから差別や人権侵害、ヘイトスピーチ、プライバシー侵害。誹謗中傷、名誉毀損などでページビューを稼いで金もうけをしようとするところなどに、効率がいいからというだけの判断で広告を配信してはなりません。海賊版サイトやドラマの剽窃サイト、偽ブランドや模造品・偽造品を販売するサイト、覚せい剤、危険ドラッグ麻薬などの販売その他、というようなところにも広告予算を流出させてはいけないわけです。
 ただ、この線引きが難しいのですが、戦争や犯罪がダメだと言っても殺人事件のドラマや戦争映画にCMを出すということはあるわけですし、新聞でも、殺人や戦争の記事の下に広告が出ても、ブランド棄損とはみなされません。取材経費の掛かる戦争報道、ジャーナリズムの維持のためにも購読料に加えて広告料収入があるのですから、報道の民主化を守るためにも、事件事故報道から広告掲載を引き上げるというのも、ジャーナリズムの歴史的にもおかしな話です。
 マンガやドラマの海賊版の問題に対しましては、広告業界団体が連携して広告配信NG媒体情報を共有し各事業者がこれらの媒体に広告配信をしない判断の参考にしてもらうことで、海賊版サイトにまともな広告主の広告費が行かないようにして資金源を断ちました。しかし、これはあくまでもまともなクライアント、まともな広告会社からの不注意によるお金の流れを絶っただけで、いかがわしい媒体、確信犯の広告会社からのお金の流れに関しては止めようがありません。
 まともな業界団体では、これにはもう対処のしようがありませんので、その先のアウトサイダーに対する対処は行政の役割となりましょう。これが後半に説明する共同規制の考え方につながります。
「アドフラウド」という詐欺的な広告もあります。いかがわしい媒体が広告掲載実績を水増しするようなケースもありますし、まともな媒体から不当に広告掲載料を詐取するような手法もあります。きちんと業務プロセスを踏んでいる事業者や媒体社に発注すること、最新の技術的な対処をすること等、防御策はいくつかあるのですが、短期的な効果を表面的な数値で判断すると、広告主も媒体社もフラウドに巻き込まれるリスクは高くなります。
 次はアドエクスペリエンス、広告経験というテーマです。よく、スマートフォンやパソコンでニュースのサイトを見ていたところ、画面全体を広告が覆ってしまってうっとうしいと思うことがありますよね。広告掲載レポートでは「間違いなく画面に表示され、しかもクリックされる率がこんなに高かった」と評価されますので、広告主は継続出稿をし、ブランド棄損を招きます。実際には広告を閉じる「×印」がわかりにくかったり、反応する面積が小さすぎて誤クリックを誘発したりされて。ユーザーの広告体験を疎外しているのです。

各国での対策と日本

 諸外国でも同じような問題が起きています。例えばアメリカでも各業界団体が連携して、さまざまな問題に対処する組織を作っています。
 イギリスでも、広告主の団体と媒体の団体と広告会社の団体に、効果測定するABC協会もからんで、広告品質に関する各事業者の業務プロセスを第三者的にチェックする団体を組織しています。
 これにならって、いま日本でも組織を作ろうとしています。日本インタラクティブ広告業協会(JIAA)という団体は、世界的にはIAB(Interactive Advertising Bureau)という団体の国内フランチャイズのようなものとして「IABJapan」と名乗っています。民放には民放連があり、アメリカにNABがあって、世界各国の民放連と、同じように情報交換をしていると思います。
 政府も国どうしで、アメリカ、EU、イギリスなどとも連携していますし、業界団体も各国の業界団体との連携をしています。そして当然、大手プラットフォーマーなどもグローバルに展開をするなかで、各国の業界団体と連携しているわけです。
 その流れで日本でも、日本アドバタイザーズ協会、日本広告業協会、日本インタラクティブ広告協会の3つの業界団体で、去年3月にデジタル広告の業務プロセスの品質を認証する一般社団法人デジタル広告品質認証機構(JICDAQ)を発足しています。アメリカやイギリスもそうですが、民間でちゃんと自主規制する一方で、行政にはアウトサイダー対策をお願いしています。「自主規制する正直者がバカを見ない市場の成立」ということは極めて大切なことです。

自由の代償

 放送には、各局による広告考査があり、民放連や各局の番組基準などがありますし、新聞や雑誌も同様です。これらは、長年の間に培われてきた読者や視聴者と媒体との共通認識や信頼の上に成り立っているルールであり、そのまま各社のデジタルメディア事業に援用していくと、さまざまな不都合も生じかねません。各業界団体間でも連携し合いながら、マス媒体の自主基準とインターネット媒体の自主基準のギャップに不具合が生じないよう調整することが必要となりましょう。
 具体的には、違法・不当な表示・表現、虚偽広告(フェイク広告)の問題、薬機法で絶対に認められない表現や、証拠を示さない最大級表現ステルスマーケティング等への対処です。マス媒体よりもネット媒体のほうが、コンテンツと広告の境界がわかりにくく、情報の発信元も判別しづらく、マス媒体よりもより厳しい規制を考えないと、ユーザーの誤解や不利益を起こしかねません。
 広告審査の課題としては、まず表示の審査です。これは、広告の表示が法令や各業界のガイドライン等を遵守しているかという点をチェックするものです。「ご利用は計画的に」や「処方箋をよく読んで服用してください」というようなことを、きちんと表示しているかというような審査です。
 2点目は表現審査で、最大級表現などのほか、ヘイト表現や女性・民族差別表現、公序良俗に反する表現などをチェックするものです。
 3点目は広告商品の審査です。そもそも広告している商品やサービス自体に問題がないか、ということです。
 こういうものは、実はいたちごっこで、つぶしてもつぶしても違う形で出てきて、審査をしていてもキリがなく、最後には法人審査になります。問題のある広告主や仲介業者を法人レベルで審査し対処するということになります。
 インターネットは、誰でも自由に情報発信ができるということは、ルールを守る気がなかったり知らなかったりする情報にユーザーを巻きこむことになり、これに対処するには「自由」に一定の規律をかけざるを得ませんし、その運用には膨大な知恵と手間も必要となります。自由の代償ということなのでしょう。

悪意や無知をいかに防ぐか

 以上、ご説明してきたインターネット広告の課題の数々は、実はどれも街頭チラシに例えると、もともと世のなかに存在していた事象のデジタル版にすぎないということがわかります。
「ブランドセーフティ」というのは配信先の品質のことで、まともな化粧品のチラシをいかがわしい場所で配るような行為はその化粧品のブランドセーフティを毀損する、ということです。
「アドフラウド」というのは、チラシの配布数の捏造で、一万部チラシを配る約束で配布せずにチラシを捨てるような行為です。この場合は詐欺ですが、広告商品の売り上げに対する成果報酬で契約をした場合は、チラシの配布数は約束しません。どれだけチラシを配布するか、つまりどれだけ画面に表示させるか、という契約をしたのなら、ちゃんと表示させなければいけないのは当然です。しかし、売り上げに対する成果報酬契約の場合、未配布は詐欺にはなりません。
「アドエクスペリエンス(広告体験)」は、チラシで言えば目障りな配り方をすることに当たります。チラシを強引に手に握らせれば、たしかにチラシは消費者に配られるわけですが、ブランド棄損を招きます。「ビューアビリティ」というのは視認可能性のことで、チラシを折りたたんで配布するなど広告が見えていない、というような状況です。ただし、視認可能な状態の割合が取引相場に織り込まれている場合も多く、一概に課題とも言えません。
 このように、インターネット広告の諸課題は耳慣れない言葉で名づけられていますが、人間が考えることはだいたい同じようなことで、そのような悪意や無知をいかに防ぐか、排除するかという対策の本質については、デジタル技術への深い知見とは関係なく考察することは可能なのです。
 ネット広告の問題と言うのは、消費者に迷惑をかける、まともな広告主に悪影響を及ぼす、媒体にも風評被害を及ぼし、反社会的勢力の資金源となって社会全体にも迷惑をかけるというものです。その中心にいるのが、ネットや放送を含めた媒体、メディアです。メディアにおいて良い・悪いをしっかり切り分けしないと、四方八方に迷惑をかけてしまう、ということはインターネット以前と変わらない原理なのではないでしょうか。

国と事業者がタッグ

 広告をめぐる法規制としては、広告主と広告会社、そして媒体の側にもかかってくるのは、個人情報保護法、著作権法、独占禁止法、景品表示法などがあります。主に広告主側にかかるものとしては、特定商取引法や消費者契約法、薬機法、不正競争防止法、といったものです。
 媒体側への法規制としては、放送局に対する放送法がありますが、インターネットでは「透明化法」と通称される「特定デジタルプラットフォーム取引透明化法」というものがあります。文字通り、巨大なプラットフォーム事業者が取引内容を透明化しているかどうかを促すための法律です。eコマース、アプリに続いて、広告がこの法律の対象に入りました。
 新聞社や出版社は、これらの法律や行政指導などは、放送業界と比較してあまり意識してきていないのではないでしょうか。表現の自由と公序良俗とどうバランスを取るかということを、自主規制や良識の中で報道や娯楽の提供を実現してきていると思います。電波という国民の共通財産を用いる放送とは違い、本来インターネットメディアも、この新聞や出版と同じように法規制ではなく業界の自助努力で健全化や信頼を実現することが理想でしょう。
 ただし、インターネットの業界は参入自由なので、アウトサイダーが入ってしまう。そうすると、各事業者の企業倫理や業界団体の自主規制に加えて、アウトサイダーをどう制御したらいいのか、という話になります。そこで出てくるのが、官民での共同規制という発想です。
 官民での共同規制というのは、日本ではあまり事例がなかったようです。たとえば、放送には放送法がありますが、放送法で決めているのは絶対にやってはいけない最低レベルの法規制です。これに対して、より厳しいのが民放連の自主規制ですよね。さらに厳しいのが個別の企業です。民放連の基準ではOKであっても、各放送局ごとの基準によっては掲載拒絶することがあるわけです。
 ところが一方で、最低基準でしかない法律さえも守ろうとしないアウトサイダーが世の中には存在するのです。国の仕事というのは法律を守らない連中を規制することで、自主規制や企業倫理を守るまともな業界、まともな企業を守ることにありましょう。
 法令や行政指導の遵守。業界の自主規制の遵守。さらに企業倫理の決定と相互牽制。そして最後には各会社で働く個人の職業倫理と、各段階で、しっかり業界を守っていきましょうということです。社会の秩序を守り、視聴者・ユーザー・読者・消費者を守るために、国とまともな事業者がタッグを組んで役割分担しましょうということだと思います。

自由と統制のバランス

 ネット広告の課題解決という話でしたが、人間の悪意、無知、怠慢、規範意識の低さといったところがインターネットでは出ていて、性善説ではやっていけません。そしてそれは、実社会がデジタル空間に投影されただけのことで、新しい犯罪ではなく、動機や発想は古いものです。それは自由の代償ではありますが、では自由と統制のバランスをどうとるのかということです。
 そして、人間の悪知恵がAIを凌駕しているということ。課題解決のためには、官民が対等な立場で連携すること、国際的にも連携すること、業界の自主規制、企業倫理、個人の職業倫理が大事である、ということです。
 ただ、現実にどう対処するかという問題は、我々オトナの智恵をどこに、どのようにかけていくか、という問題なのです。


うえむら ゆうじ
1966年東京生まれ。1989年株式会社電通入社。テレビ局勤務(TBS担当、地方局担当)2001年 BS-i(現BS-TBS)編成本部などを経て、2006年株式会社電通ネット広告部門へ異動。モバイルメディア部長、インターネットメディア部長、デジタル・ビジネス局局長補を歴任。2017年日本インタラクティブ広告協会(JIAA)常務理事、2022年株式会社電通デジタル常勤監査役。2007年より立教大学 社会学部「広告・PR論」「メディア実習応用」兼任講師、2020年より東京大学大学院情報学環「情報産業論」非常勤講師も務める。

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