『教育と愛国』を制作して 講演・斉加尚代さん(毎日放送ディレクター・映画監督)

放送レポート298号(2022年9月)
これは、日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)主催のオンラインシンポジウム<「表現の不自由」に抗うために>で行われた講演をまとめたものです。

いつも通り語ることで

 今日は、職場で安倍晋三元首相銃撃事件を聞いて動揺しました。暴力によって物事を解決しようとする行為は断じて許されるものではありません。私自身は、言葉と映像の力を信じる立場であり、暴力行為に対して抗議の意思を強く表明したいと思います。暴力は民主主義社会を壊し、人々の心すら壊してしまう行為です。それに抗わなければいけない。そして今回、安倍元首相がこういう不本意な形で亡くなられたことに、心より哀悼の意を表したいと思います。本当に残念なことになりました。
 この『教育と愛国』の映画の公開を決定し、公開情報をリリースしたのが2月24日でしたが、その日もロシア政府軍がウクライナに侵攻し、ウクライナの無辜の人々と双方の兵士の命が奪われる戦争が始まりました。今日はそれに匹敵するぐらい、この社会が私たちにさまざまなことを問うているんじゃないかと思います。けれども、いつも通り語ります。いつも通り語るということがむしろ今求められているんじゃないかと思います。

大阪の教育現場を見つめて

 映画『教育と愛国』は2017年7月に放送したテレビ版『教育と愛国―教科書でいま何が起きているのか』という番組を元に追加取材し再構成した作品です。最近、テレビドキュメンタリーが映画になるのは珍しくなく、いろんな局で行われています。放送後、1年から2年後に映画化されるケースが多いんですが、なぜ5年かかったかということをまずお話したいと思います。
 MBSは1980年から「映像シリーズ」という、月に1回、最終日曜日の深夜0時50分から1時間の報道ドキュメンタリーを放送しています。放送局でドキュメンタリー番組を月に1回放送し続けているというのは大変まれなことです。しかも40年以上、さまざまなテーマでドキュメンタリーを作ってきて、その1つが今回こうして映画になったわけです。
 私自身も、通常は年に3~4本のドキュメンタリーを制作しています。4人のディレクターが年間12本番組を制作しますから、1人年間少なくとも3作品は作らなければいけないというミッションを負っています。なので、レギュラーの番組を外れて映画を作るということは難しく、そういう職場状況から、2018年『教育と愛国』がギャラクシー賞のテレビ部門大賞に選ばれて以降、映画にしたらどうかという話があったものの、なかなか映画化に踏み切ることができませんでした。
 ただ私自身は、大阪の教育現場がとても好きでずっと取材を続けてきて、それこそ1990年代に何度も通った大阪の公立小学校や公立中学校の子どもたちはいろいろな家庭の事情があって、日本以外のルーツ、例えばコリアンの子どもたちであったり中国籍の子どもたちであったり、多様な子どもたちに先生が体当たりで向き合っていました。大阪の公立学校の教育実践を取材することに私自身は喜びを感じて、当時、お世話になった先生たちと繋がりながら、ここまで来ました。長い時間軸の繋がりがあって教育を見つめてきたからこそ、この映画にたどり着いたと言えます。

進む教科書の書き換え

 当初、映画化するつもりはなく、レギュラー番組があるので難しいと思っていたのに、なぜ映画にしようかと考えたかは、2020年以降、新型コロナウイルス禍で学校現場がどんどん疲弊していく大きな原因の1つが教育現場への政治介入だとはっきり肌身で感じたからです。
 振り返ると、大阪では「2・26ショック」として語られている出来事があります。
 2012年2月26日に大阪で「教育再生民間タウンミーティング」というシンポジウムが行われて、ここに当時下野していた安倍元首相と大阪府知事になったばかりの松井一郎さんが登壇して教育を語ったのでした。「政治の力で教育を変えていきましょう」と。例えば教科書採択は、首長がしっかりと教育委員会の教育委員をすげ替えて、思うような教科書に換えていきましょうと言ったのです。
 その当時、安倍さんが信念を持って語っていたのは、教育に政治がタッチしてはいけないことはないんだということでした。はっきりそこで表明されたのです。
 当時、学校の先生たちは「2・26ショック」というぐらいですから、衝撃をもってその場面を見つめたわけです、MBSをはじめ当時のメディアがこれをどう報じたかと言うと、本当に小さな扱いでした。当社も夜、「大阪維新の会が進めようとしている教育改革に安倍さんが『自分たちと方向性は同じだ』と支持を表明する」という1分くらいの短いニュースでした。
 私はその時現場にいなかったのですけれども、その後このシンポジウムの様子を最初から最後まで全て映像で確認した時にすごく衝撃を受けます。安倍さんは「日本人というアイデンティティーを備えた国民を作る。教育の目標の1丁目1番地に道徳心を培う」と発言していました。教育現場に政治がやってくる、教科書採択の現場にもまさにその政治の力がくるんだ、と感じ取ったのでした。
 ニュースでは流れていなかったその場面を入れて完成したのが2017年のテレビ版『教育と愛国』ですが、当時その場面を改めて見た教育関係者の人たちも大きな衝撃を受けて、これまで小さな変化だと思ってきたことが、こうして1つひとつ変化を積み上げていくと大きな変化に至ってしまうということを痛感したんじゃないかと思います。
 2017年は、道徳の教科書が戦後初めて復活して、その教科書の中の読み物で、パン屋さんの場面が和菓子屋さんに書き換えられるという滑稽な出来事が起きました。このことも私がテレビ版を制作した時の動機だったんですけれども、このパン屋さんが和菓子屋さんに変わるという、ちょっと滑稽でクスッと笑ってしまうような出来事の中に、圧力と忖度の世界になっている教科書検定制度の問題点が浮かび上がるとピンと来たんですね。それは、歴史教科書で沖縄の集団自決(強制集団死)の日本軍関与の記述が2006年度の検定で書き換えられたことと繋がっていると感じ取ることができたか
らです。
 教科書の記述の書き換えというのは本当にじわじわと進んできて、事態が深刻化してきています。本来の教科書検定というのは表現の自由を妨げてはいけないもので、検閲ではないということを文科省も打ち出してはいるんですけども、実質的には執筆者の自由を奪いとっていくような流れができてしまっている。そこに問題を感じて、この映画を制作することになりました。

社外の力が背中を押して

 映画を制作するにあたって、実はいちばん苦しかったことを振り返ると、社内でなかなか事業化に進まなかったということでした。
 コロナ禍が深刻化して学校現場が疲弊していく中で、テレビドキュメンタリーという枠を超えてもっと大勢の人、全国各地の人にこの教育の問題を伝えるには映画という表現の場がいいんじゃないかと自分で決めて、映画の企画書を書いて社内でなんとか事業を通そうとした時に、次々と厚い壁が立ちはだかりました。
 テレビドキュメンタリーの場合は自分の所属している局の中で完結してできるわけで、テーマの設定も制作者の裁量で自由にやってこれたんですが、映画事業となると社内のコンテンツ戦略局という別の局の事業として予算を立てなければいけなくて、その部署が合意しなければ前に進まない。組織のプロセスを踏まなければいけなかったんですが、社会派ドキュメンタリーに対する理解が、同じ放送局の中でも報道ディレクターである私と、コンテンツ、商業映画を扱っている局員では想像以上に認識の差がありました。当初はビジネスとして成り立たないコンテンツだと言われ、ドキュメンタリーは、映画化しても稼げないんじゃないかと何度も言われたのです。
 それに対して私は、例えば富山県のチューリップテレビが作った映画『はりぼて』とか、大島新監督が作った『なぜ君は総理大臣になれないのか』とか「ドキュメンタリーでもすごく支持されている作品がたくさんありますよ」と説得しました。また、人によっては「政治的な色を帯びている」と言われる作品でも支持されることがあるということを主張したんですけども、コンテンツ側の局員は、決して政治的だという言い方はせずに「ビジネスとしてダメなんだ」ということを繰り返し言いました。そこで「どういうふうに突破したらいいんだろうか」とすごく思い悩んだんです。
 職場で、プロデューサーをしてくれた澤田隆三と2人で「どう社内を突破していくか」と繰り返し話し合いましたが、振り返るとやはり社外の人たちの力を借りたのが大きかったです。配給会社きろくびとや、株式会社ネツゲンの大島新さんもそうですけど、社外の人たちがこれを「映画として実現すべきじゃないか」という声を強く寄せてくれたのです。そして、MBSの社内ではなかなか声が上がらなかったんですけど、グループ会社の1人の社長が「これは今の時代が求めている作品なんじゃないか」と役員会で意見を述べて、いくつもの社外の力が背中を押してくださり、ようやく社内の合意を取り付けることができたというプロセスを踏みました。

映画を観た方の感想

 よく「テレビと映画はどう違いますか」と聞かれるんですけど、映画事業にすると決めた時に「ちゃんと赤字を出さずにできるのか」とすごくシビアに言われ、劇場公開した後にも「ポツンと自分がたった1人で劇場で舞台挨拶している姿」を悪夢のように繰り返して見ていた時期があったんですが(笑)、実際のところは公開初日から満席のお客さんが来場してくださって、すごく熱気に包まれる中で舞台挨拶をすることができました。
 初日の5月13日、応援に駆けつけてくださった作詞家の湯川れい子さんが開口一番、「貴方は空気を読めない女ね。空気が読めないからこの映画が作れたのよね」と仰って「わきまえない女の連帯よ」と激励してくださいました。確かにこの『教育と愛国』が、ビジネスにならないとか映画として成り立たないとかいろいろ言われた時に「いやそれでも私はこれまで取材してきた中でお世話になってきた先生や子どもたちのために、これをなんとかテレビではなくて映画にしたい」と強く思い続けてきましたから、確かに「空気読んでなかったな」と。それこそ「社外の人に騙されてるんじゃないか」と陰口を叩かれたりしたこともあったんですが、へこたれず「これは映画にしたいんだ」とずっと言い続けました。そういう意味では、本当に空気を読んでなかったな、読まなくて良かったなと、湯川さんの言葉を受けてしみじみ思ったんです。
 映画になって、いろいろな方たちとこの2ヵ月あまりで出会ってきました。「私は社会科の教師です」と語る方はもちろん、「文科省の職員です」と言って、わざわざ身分証まで見せて「この映画が良かったです」と語ってくれる女性もいましたし、「内閣府の職員です」と語りかけてくれた方、「自分のパートナーが教師をしているけど、パートナーから聞いていた話がこの映画を観てようやく深く理解できた。こんなことになっていたんですね。衝撃でした」と話してくれた方もいました。衝撃を受けて、うまく言葉にできないような言葉を語ってくれた方もいました。
 特に印象に残っているのが静岡の劇場でした。教員志望の若い女性が、私の顔を見るなり「悔しいです」とひとこと声を発して涙を流したのです。「自分は今教師を目指して勉強してるんだけれど」と言って、言葉が続かなくなって…。彼女がこぼした涙というのは「教育というのは不当な支配に服することなく」と戦後の教育基本法の中で謳われているにもかかわらず、いま政治家の政治圧力が現場に押し寄せていて、それが子どもたちの学びに大きく影響しているということを映画から知って、許せない、悔しい、何とかしなくちゃと思って涙してくれたんじゃないかと思うんです。
 感じとって、涙したり、言葉にしてくれたり「自分は文科省の職員だけどこの映画を支持します」と言ってくれたり、観た方たちがそれぞれに自分の立場から語ってくれるということが、私にはとても希望に思えました。そういった方が、この映画を支持して、その後、SNSとかいろいろなところで発信してくれているということをとても心強く思っています。そしてこの社会に表現の自由があって良かったなと、まだ私たちはやれることがいっぱいあるんだと思う日々です。

▲映画「教育と愛国」

見えない圧力を描きたい

 先生たちと関わる中で私自身、教育に対する思いが自分の中でも培われていくのを感じます。例えば昨年、大阪ではコロナ禍で、露骨なトップダウンの指示が首長である松井大阪市長から学校現場へ降りてきます。映画をご覧になった方はわかると思いますが、大阪の政治主導の教育というのは2010年に誕生した大阪の維新の会の政治手法によってスピーディーに進んできた、国の教育制度改革の先兵の役割を果たしたという側面があります。
 去年5月に1人の小学校校長が提言書という形で、松井市長に対して公教育のあり方を今考え直す時が来ているという提言を出し、SNSで広がったことも、強く印象に残っています。「おかしいことはおかしいと言わなきゃいけない」と、子どもたちのために1人の校長が勇気をだして提言を公表した時に大阪市の校長会は沈黙して、地域の他の校長たちも出会っても何も言葉に出さなかったと聞きました。その提言に対して意見を何ら発しなかったというのを聞いて、すごく今の社会を表しているなと思いました。
 一方で、その地域以外の人たちから手紙が押し寄せて「まさに言いたいことを言ってくださった」「提言を読んで勇気が出た」と、大阪市の外からどんどん寄せられてきたというのです。海外からもその提言を支持すると声が寄せられてきたというのを聞いて、やっぱり政治的に抑圧された状態の中ではモノを言うことが難しくなる状況になってしまうと、そのことに当時、危機感を抱きました。
 さらに、モノを言うことを難しくしているといちばん私が感じたのは、映画版『教育と愛国』を制作する中で、教科書を製作している現場の人たちが教科書について語らないことでした。この事実に直面したことで、むしろ教科書検定制度を映画を通じてより深く描きたいと思いました。
 例えば元教科書調査官、検定意見の原案を書いていた人たちに、手紙やメールを送ったりして、今は学者をされている方も少なくありませんので、コンタクトを取ろうとしたのですが、無視される。あるいはメールで「お断りします」と返ってくる。わずかにご意見をくださる方もいたんですが、「テレビや映像の取材は一切受けられません」と皆さんが口を揃えて言うのです。
 日本の教科書は、軽量化のために薄い紙で、色がきれいで、技術的に高い水準で作られているということでしたから、教科書が作られている過程の事例として、印刷の現場も撮影取材したいと思い、大手印刷会社から次々に申し込んでいくんですけども、それも次々に断られました。断られる理由も「発行元出版社の了解が取れないです」とか「目立ってしまって文科省や政治家に目をつけられたら困ります」とか。教科書編集者で断わってこられた理由で印象的だったのが「取材を受けることが政治的中立性を疑われかねない」とか「政治的だと思われるから受けられない」というものでした。「政治的文脈の中に置かれるから困る」とおっしゃった方もいました。
 私からすれば、教育の普遍的価値、政治と距離をとらなければいけないという、そのテーマで政治に向き合って取材してるわけですから、政治に触れずには取材を進めることはできません。その政治が一線を越えてきている。その普遍的価値を壊そうとしていることに対して意見の表明を求めるんですが、そこにたどり着けないという苦しさがずっとあったわけです。やっぱり、ある特定の政治の圧力がかかり続けてしまうと意見を表明することが怖くなってしまう、意見を述べにくくなってしまう社会になるという問題をすごく感じました。
 教育の自由とか学問の自由というのは、主体的に学びあって作り上げていくものだと思うんです。それができないような状況が作られているということがひどく問題じゃないか、と映画を作りながら思ったんですが、この映画は自分が思っていたような取材プランがなかなか前に進まない中で、少しずつ軌道修正しながらまとめ上げていったものです。
 ただ一貫して考えたのは、教育や教科書の現場にかかっている見えない圧力を描きたい。有形無形の圧力なんですけど、カメラマンに「見えない圧力を撮ってね」と無茶なことを言って、カメラマンが困った顔をしていました(笑)、MBSの映像チームは優秀なスタッフが揃っているので、私の無茶振りにもなんとか応えようとして、その雰囲気とか空気を撮ろうと努力してくれたと感謝しています。

ちゃんとした日本人を作る

 映画を観てくださった方が必ず触れるのが、東大名誉教授の伊藤隆さんへのインタビューについてです。伊藤さんはテレビ版の時にインタビューを受けてくださって、映画版を製作するために再度インタビューを申し込んだ時には、1回目はコロナを理由に断られたんですけれども、再度申し込みましたら、住まいの近くまで来てくれるんだったらいいよと受けてくださいました。
 伊藤さんは、ご自身のスタンスがはっきりしています。2回目は私が正直に「これは映画になります。教科書をテーマにして映画を作るんです」と説明したら「こんなのは本当に映画になるのか? 絶対稼げないよ」と言いながら、それでも「あなたの映画には期待はしないけれど、取材を受けます」というふうに言ってくれました。
 伊藤さんが執筆した育鵬社の教科書について、「何を目指してるんですか」という質問に対して「ちゃんとした日本人を作ることです」と答え、その後に「左翼ではない日本人」そして「反日ではないこと」という言葉が続いていくわけなんですが、その言葉を受けた時に私自身も動揺して、同意はできないけれども、そこに挑戦的に完全否定する言葉も投げかけられないし、けれども、もっと語っていただかなければいけないし、この緊張関係を保ったインタビューをどう続けていったらいいんだろうかと、本当に悩みながら言葉を1つひとつ返していたんです。
 伊藤隆さんは東大の歴史学の権威で、日本の近現代史の研究、特に一次資料の発掘については歴史学を学ぶ人はほぼ避けて通れないぐらいのものすごい実績のある方なんですね。先に対談をした京都大学の藤原辰史さんという歴史学の准教授もおっしゃっていたんですが、「ファシズム研究するにも伊藤さんの論考・研究は避けて通れない、すごい人なんだ」と言うのです。その人が「ちゃんとした日本人を作ることだ」というある種、雑にも聞こえる言葉を教科書執筆者として語るということの重要性と言うか、それが日本の歴史学の歴史と言ってもいいのでしょうか、そういう場面なんだなと改めて重みを感じました。
 私は歴史学の専門家ではないので、伊藤さんが語った中身を自分自身どこまで理解できているだろうかと思って、その後もいろいろな本を読んだりして勉強は続けているんですけれども、受け止めきれないところはあります。ですが、その伊藤さんが今、この世界の状況の中で日本が日本でなくなるという危機感を持って、とにかく憲法を改正するために強い政治家が必要だということを私に力説しました。
 そして、2回目のインタビューの後は、大阪からやって来て映画を作ろうとしている女性ディレクターに言いたいことを言ったんだという表情で取材を終えて去っていかれた。タクシーに乗り込んで去る場面は私にはとても印象深く、とても満足そうに去って行かれるわけなんですね。ですから伊藤さんの中では今でもその戦いが続いていると言うか、敗戦国である日本はずっと戦後を問われてきたはずなんですが、伊藤さんの中では「そうじゃない日本」という戦いがずっと続いてきたのかもしれない、と感じました。

世界共通の課題として

 今回の映画について、海外のメディアもすごく注目してくれています。6月30日、中国の中央テレビが7分ぐらいの特集で取り上げてくれました。国際ニュース枠で、いま日本では「教科書の書き換えが行われて、歴史を消そうとする動きがある。それに対して日本の放送局のディレクターが映画を作った」という取り上げ方をしてくれました。
 その中で「従軍慰安婦」を「慰安婦」に、朝鮮半島からの「強制連行」を「徴用」に、さらに「南京大虐殺」を「南京事件」と、教科書は言い換えている、これに映画監督である私が「子どもたちの学ぶ権利を奪うものになってしまうんじゃないか。自国ばかりではなく他国から日本の歴史がどう見られているかということを考えることを奪ってしまうんじゃないかと危惧している」という話がインタビューで入っていくものでした。
 これを取材したのが女性記者でしたが、彼女はアジアの平和のために歴史がとても大事だということを共感の言葉で私に語ってくれました。一方、今、中国は香港の歴史を書き換えようとしていることを、取材者たちは知っているはずです。もちろん私との取材の中では語らないんですが、『教育と愛国』を中国で取り上げるということは、その中身がブーメランのように自国の政権に跳ね返っていく意味合いもあるのではないかと私は考えました。そういうことも水面下で意識した上で取り上げてくれたんじゃないかと思わせるような丁寧な取材でした。
 さらに、韓国の朝鮮日報や聯合ニュースの記者たちも取り上げてくれました。朝鮮日報は日本人の元朝日新聞の記者の方が取り上げてくれたのですが、大きく取り上げてくれて、今この歴史を次の世代にどう語り継いでいくか、権力者・国家権力が権力をむき出しにした時に、必ず歴史教育に手を突っ込んでくるということが世界共通の課題になっているんじゃないか、ということでした。
 国境を越える課題ということは、映画を公開し、その後いろいろな人たちと出会う中で感じるようになりました。歴史と教科書そしてこの「愛国」という言葉によって、他者や他国を否定したり排斥しかねない動きが生まれてしまうこと、これはミャンマーやロシアの例を挙げるまでもなく、世界共通の普遍的テーマになっているんじゃないかと考えるようになりました。

切羽詰まった思いで製作

 私はもともと、政治に向き合うのは非常に困難を伴うことを理解していて、政治部記者は目指したこともなく、子どもたちが学んでいる教室に密着して元気な子どもたちを取材するのが好きなタイプの記者だったんです。最近出した集英社新書の『何が記者を殺すのか 大阪発ドキュメンタリーの現場から』という拙著でも、もとは「暇ネタ記者」と自分のことを紹介しています。
 ですが、教室の中ののびのびとした自由な学びというのは、1人ひとりの先生がどんなにがんばって学びを深めようとしても、ある時政治の力ががさっとその学びを壊してしまいかねない流れになっている、そのことを意識しておかないと、教育の自由や学問の自由を守ることができないんじゃないか。その自由を守るために、この映画で「いま危ない時代が来ているんですよ」ということを伝えたいと、いても立ってもいられない切羽詰まった思いで製作しました。
 この映画を介して教育と政治の関係について身近な方たちと語り合い、何でもいいので小さな行動を起こしてくださったらと願います。ありがとうございました。

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