入れ墨と日本人と多様性
※サムネイル画像は口元に伝統的な入れ墨(シヌイェ)を入れたアイヌ人女性(画像はこちらからお借りしております)
以下の記事を読んで。
タトゥーはメインカルチャーに対するポップカルチャーであるとか、体制に対する反発の表現だと捉えること無く、「入れ墨」や「タトゥー」について、正しく捉えること。
このマオリ族の女性のニュースが、”別の国の出来事で自分たちには関係のない話”、”マオリ族やニュージーランドだからできた話”というように特殊な例として捉えないこと。そのことがいわゆる多様性の時代においては重要な態度のように思えます。
一見するとマオリ族というのは遠い存在のように思えますが、彼らも日本人と同じモンゴロイドなので、祖先を同じにする存在です。このことも多様性とは結局のところ、長い時代をかけて分化していった結果だということを教えてくれます。
そこで「入れ墨」と「日本人」と「多様性」いうテーマで書き留めておきたい。昔ちょっとしたキッカケで(=ルドフスキーの『みっともない身体』や鷲田清一先生の本にハマってた頃)、日本における入れ墨について調べたことがあるので(本当は「入れ墨」「刺青」「墨入れ」「彫り物」「タトゥー」「文身」は細かく言うとそれぞれ違うという考えもあるのですが、それらの違いを述べるのが本文章の趣旨ではないので、全てまとめて”入れ墨”と表記します)。
以下、思い出しながら記述。
まず、上記記事の例にもあるように日本人は入れ墨についてタブーのイメージが強い。たまに「日本では歴史的に入れ墨に対して尊厳etcは無かった」とおっしゃる方もいて、そもそも日本では”ずっと”入れ墨はタブーだったと思われていることがあります。しかし、それは正確ではありません。
アイヌ、及び琉球方面では近現代まで入れ墨は残っていましたし、(浮世絵にも見られるように)江戸時代にもありました。江戸時代は肉体労働者を中心に入れ墨を入れてる人は多く、特別なものではなかったことは知られています。谷崎潤一郎本人が処女作と言う彫師を主人公にした『刺青』も江戸時代がモチーフですね。
日本の歴史をもっと遡れば、縄文時代の土偶、古墳時代の埴輪などにも、当時の人々が入れ墨を施していたと思われる装飾があったりしますよね(ちなみにアイヌは弥生時代がなく縄文から続く続縄文・擦文という時代・文化があり、そう考えると縄文時代から続く入れ墨文化があった?とも考えられますね。凄く長い)。
一方で入れ墨がタブー視されたのはなぜか?というと、江戸時代に吉宗の頃に罪人に「入墨」をすることが明確に定められたこと(=入れ墨によってどのような罪を犯したかがわかる)と、そもそも江戸時代の武士階級の嗜みであった儒学・儒教において入れ墨がタブーだと考えられる記述があったことがあります。
孔子の書いた『孝経』には、
という一文があり、これは”親に与えられれた髪や皮膚に傷をつけないようにするのが最初の親孝行である”という意味で、ここから入れ墨は儒教精神においてはタブー視されたと言われています。江戸時代に日本において罪人に入れ墨をするようになったこと、一方で入れ墨を庶民に対して禁じた(でも守られることはなかったが)のも、これが背景と考えられていますし、現代日本においても「髪を染める」「ピアスをあける」ということに顔をしかめる人がいるのも、この影響を受けていると考えられます。また中国と朝鮮半島という儒教が広がった地域では、入れ墨に対して同様の扱いをしています(儒教の影響を受けなかった台湾の少数民族などでは入れ墨は拡がっていた=日本のアイヌ・琉球と同様)。
じゃあ「遠山の金さん」で知られる遠山金四郎景元はどうなのよ?という話になりますが、実際には”桜吹雪の入れ墨”は無かったのではないか?とも言われてます。
※上記の流れとは別に、残念なことに水死体となってしまったときに身元判別をしやすくするように入れ墨をした、という漁師界隈の入れ墨文化も日本には存在します。この漁師や奄美など海周辺の人々に施された入れ墨は「文身」と呼ばれた。
で、結局入れ墨が「タブー」から「罪」になったのは、明治時代に当時の刑法で「入れ墨は罪」と記載されたから。江戸時代に吉宗らが入れ墨を「刑」とした一方で庶民にそれを禁じた際には、「罪」というほど取り締まりが厳しくなかったと言われています。
というわけで、「日本には”歴史的”に入れ墨が〜なかった」というのは、むしろ江戸〜明治を経て我々の社会の中で形成された「入れ墨=タブー」という社会的な認識に発するものであって、実際は”歴史的”には、入れ墨は日本において広く拡がっていた文化・風習だと言えると思います。
もともと先祖は太平洋の海洋民族で琉球などと同様に東南アジアを起源に持ち、我々と同じモンゴロイド系でもあることが知られているポリネシア系民族。その一つであるマオリ族が、タトゥーの文化をそのまま残していてそしてそれを”多様性”ととらえることはSDGsな世界においては至極当然な流れに思いますし、隣のオーストラリアではアボリジニに「ウルル」を返還した流れと同じ大きな潮流の中にあると思います。
【関連書籍】
身体論関係の本
入れ墨と日本人に関する本
自然人類学の立場から、日本人やポリネシア人の関係をしるための本
おまけ:アイヌ文化との入り口として
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