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『母という病』読了

今から4年前に『母という病』を読んだ。

私の母はよく愚痴をこぼしていた。母が私に愚痴ることで、楽になったり、スッキリするのであれば、子どもとしては嬉しいことだと、当時は本気で思っていた。

だけど、私のなかにある父親と祖母、父方の親戚(特に叔父)に対する腹立たしさや、ネガティブに物事を捉えたり、人の顔色を伺ったり、自己犠牲に走り、自分の気持ちを素直に話すことが出来ないのは、母親から愚痴を聴かされ続けてきたことが、原因だったんだとわかりました。

お母さんが楽しそうにしているのを見たかった。

それを見て、私は安心したかった。

幸せそうに笑っている母でいてほしい
と、願っていました。


これまでに、私は母親と何度か、愚痴の件でも色々ケンカしたり、ぶつかったりしてきた。母親なりに反省して、前よりは幾分マシになったけど、愚痴っぽいのは相変わらずだから、「私に言われても知らんがな。本人に言いなさいよ!」と言い放っています。

これからは、自分の状態によって、聞く時は聞く。
しんどい時は聞かない。拒否する。
それか聞き流す。。

聞くのがしんどくて、もう止めてくれって時は、こっちが離れればいい。
愚痴るなとは言わない。愚痴ってないとやってられない時は、誰にだってあるのはわかる。

だがしかし!子どもは、愚痴を吐き出すバケツじゃないぞ!!
ロボットでもないぞ!!感情があるよ!!!

私は、お母さんのカウンセラーじゃありません!
子が親を思う気持ちを、利用しないでください!
子どもだから娘だからって、何でもかんでも受けとめられるかー!!


愚痴るばっかりで、本当はどうしたいのか、自分でなんとかしようとする気持ちがないのが、すっごくムカつくんですよ๛(º言º)

↑ ↑ これは私にもある悪い癖だから、あまり偉そうなこと言ませんが・・・


人目が気になったり、色々気にしすぎて、思わず母親に悩みを打ち明けたことがあった。母は、私に対して「そんなこと気にしないでいいさ」「心の持ちようだよ」 ・・・・って言いました。

これね、私には地雷ワードなんですよ。気にしない、心をどう保てばいいかわからないし、出来ないからつまづいてんだよ。相談したんだよ。周りなんか気にしないで、自分らしくやり過ごせられたら、そりゃあ幸せだよ!


今、母と仲が悪いわけじゃない。感謝出来る部分があって、それにいつも救われてる。だけど、許せない気持ちも正直ある。だからもう、母親のことで、分かり合えないところがあってもいいような気がしてきた。良い意味で諦めたほうがいいと思えるのだ。

親子は分かり合えるなんて幻想は捨てていく。完全に理解してもらおうなんて、他人でも難しいのだから、親子でも無理だって思い始めてきた。

わかってもらえない部分があってもいいんだよ。それで自分がどうしたいか?どう感じているのかを、素直に伝えるだけでもいいや と。

ぶつかってもいいや。ちょっと怖いけど、もう我慢はしたくない。

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