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この桟橋は、幸せな未来へと続いてる。

つい先日NHKの72時間を見た。

72時間は好きだけれど、なんとなく日々に追われて去年は見れないままになっていた番組。
今年こそ、とNHKプラスで見るようにした。

実家にいる頃はよく両親が見ていて、それにつられて見ていたりした。
なんとも言葉に表せられない独特の空気感と、『この世界にはいろいろな人がいるなぁ』と改めて感じられる世界観が好きだった。

そんなこの日は千葉のある桟橋が舞台。

私は知らなかったのだけど、南房総に大正時代の漁業で使われていた桟橋があるらしい。
柵もなく、東京湾に長く伸びていく桟橋は今ではなかなか見ない風景で、密かに人気スポットだとか。

3日間の中で私が1番印象に残ったのは、子育てがひと段落して何年かぶりに一緒に旅行にきた2人の女性だった。

当時浪人してまで大学にいく女性がまだ少なかった時代に、お互い支え合いながら浪人生活を過ごした同級生とのことだった。

今よりも『女性はクリスマス(25歳)がくる前に結婚して子供を産み育てる』という思考が強い時代。
そんな中、浪人してまで大学に行く女性はかなり少なかったそう。
番組を見ながらでも当時どれほど肩身が狭かったのかが見て取れた。

それでも卒業してお互い結婚・出産・親たちの介護を経て、やっと子育ても落ち着いて2人だけで久しぶりの旅行に来たという。

これを見て、私は『自分の未来にもきっと同じようなことが起こりうるんだろうなぁ』と、ただ純粋に未来が少しだけ楽しみになった。

同時に大学時代から今も仲の良い友達を思い出した。

彼女は、私の結婚式の時に『この大学に行かなければ貴方に出会うことはなかったと思うと、行って良かったと思います』と手紙をくれた友達。

偶然にも私も同じようなことを式の直前に思っていたので、この一言には本当に驚かされた。

私も彼女も、通っていた大学は出身県ではないので、本当にどちらかが違う大学に進学していたらたぶんすれ違うことすらなかったと思う。

そう思うと当時、『京都で4年間暮らすんだ!』と信じて疑わなかった私の決断力が気付かぬうちに人生の大きな転機になっていたんだと、今更じわじわ気づく。


私たちは卒業したらそれぞれの地元(私は関東県内だけど)に就職したので、そんな頻繁に会える距離でもない。
共通の友達と年に1回会えれば良いほうだった。

それでも会ったら何年も会えてなかったのが嘘のように、いい意味で『変わらない』し、深い話から笑っちゃう話まで、当時のままに語り合える自信がある。

大学時代、着物で京都を散策したり、
夜中までくだらない話をしたり、
所属してたサークルの部室棟の片隅で、2人だけの秘密会議を開いたり、
卒業しても東京でランチしたり、
彼女の結婚式にはスピーチを頼まれたりもした。

気づけばたくさんの想い出が積み重なっていて、いつの間にか出逢って10年以上が経っていた。

その間に彼女も2人の子供のお母さんになって、今は働きながら子育てをしている。

2人で東京でご飯を食べたのも、1人目の子が生まれてしばらくしてからだったので、私の結婚式で会ったのも少なくとも5年くらいは経っていたと思う。

毎年なんやかんやと連絡は取ったりして、そのたび『会いたいね』とは話すものの、それが実現する日はなかなか来なかった(コロナ禍で特に)。

それでも先日の72時間を見て、きっと私たちもこの番組に出ていた女性たちのように、またいろんなことが落ち着いたら2人でゆっくり話す時が来るのだろうなぁと自然と思えた。

遠く離れていても
今は会えなくても
きっと10年後、20年後には
今ある大変なこと、悩んでいること、不安なこともすべて『良い想い出』として語り合える日がきっと来るのだろう。

そう思うだけで心が少しだけ軽くなるし、未来がちょっとだけ楽しみになった。

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