短編:幸福な眠り

近未来を舞台にした短編です。途中でぐっと雰囲気が変わります。

気に入ってもらえると嬉しいです。

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ジリリリリリリ
遠くで、非常ベルのような耳障りな音がなっている。
ああ、嫌だな。心地よく、寝ているのに。
その気持ちを知られてしまったかのように、その音は近づいてくる。
ジリリリリリリ
もううんざりだ。やめてくれ、俺は、俺は、
「ちょっと!いつまで寝てんのよ!」
大きな声が耳元で聞こえ、急激に覚醒する。
「いつまでもうるさい!いいかげんにしてよ」
「ああ、ごめんごめん。」
妻の由紀子が怒った顔でこちらを覗き込んでいる。目覚まし時計の音に耐え切れず飛んできたようだ。
「まったく毎日毎日。だいたい何よこのふっるいポンコツ時計!!」
ぶつぶつ言いながら部屋を出ていく妻の背中をぼうっと見る。
なんだろう。長い夢を、それもとびきり悪い夢を見ていた気がするんだけど、思い出せない。
いつものベッド。いつもの目覚まし時計(佐久間はこの時代遅れの代物を愛していた。なんでもできるデバイスでなく、目覚ましに特化した時計。いつみても潔くて愛しい)。いつもの部屋。
永遠に続くような日常。また朝がきてしまった。
「起きるか。」
誰にともなく呟いて支度を始める。

朝食だけは皆で一緒にという妻の方針により、中3の娘の幸も小4の息子の健もいつも眠そうながらもなんとか席についている。テーブルの上には湯気を立てるコーヒーに、トーストとたまごのシンプルな朝食。すべて冷蔵機能付きオーブンレンジに時間をセットしておけば自動的に温められて出来立てを楽しめるようになっている。最近購入した自慢の最新家電だ。
「パパ遅いよ。あたしだってもっと寝たいのに」
「ほんとよ。まったく、幸と健に示しがつかないじゃない。」
「ごめんごめん。昨日遅かったもんだから。」
「飲んで遅いは言い訳になりませーん」
健が由紀子の口癖を真似て答える。この生意気息子ーと言いながら脇腹をくすぐってやる。健がキャハーっと高い声で笑いながらフライングで食べていたトマトを吹き出し暴れ出す。ちょーっと暴れないでよ健きたなーい!もうパパやめてー!と幸。
そこに由紀子の今度こそ本気の雷が落ち、父と子はしょんぼりと席に着く。
いただきますを言って、もそもそと食事が始まる。
ふと、食卓の赤が気になった。
「あれ、そういえば健、お前トマト食えるようになったのか?」
「?トマトずっと好きだけど?」
「ああ、そうだったっけ。」
あれ?おかしい。なぜ健がトマトが嫌いだなんて思ったりしたのだろう。去年の夏休みには一緒に育てて自由研究にしたくらいだったのに。
「お父さん、わたしたちに興味ないのねえ」
澄ました顔で由紀子が言う。
「そんなことは」
「はいはい、いいからご飯。」
見慣れた顔な筈なのに、なんだか他人のようにも見えた。こんな顔だったけな。俺が愛した女は。初めて会った頃を思い出す。もちろん、初めて会ったときの衝撃は覚えている。
でも、なんだか今日は調子が出ない。自分が自分でないような・・・。

もそもそとトーストをかじる間に、皆さっさとご飯を終えていた。
「ちょっと!いつもの早食いはどうしたのよ。いつも一番にかっこむくせに。食洗機スイッチ入れていってね。」
「ああ、ごめんごめん。なんかぼーっとしちゃって」
「えーらしくない。今日あなた変よ。」
「疲れてるのかな?」
「あんなに寝てたのに?更年期じゃない?男性にもあるっていうよ?」
「まさか!」
苦笑いになる。そんな歳になったとは思いたくない。
遠くで、子供達が出かける気配がする。「いってきまーす」と元気な声に、つかの間、安らぎを感じる。

少し急ぎめで支度をし、車庫の車を起動させる。
寝てても着いてしまう、というほどの完全自動運転はまだできないけれど、衝突することがほぼなくなっただけでも、俺が子供の時よりだいぶましだ。駐車だって自動でしてくれる。

数十分後、会社に到着した。リモートワークが一般的になったとはいえ、ON/OFFの切り替えが苦手な佐久間はオフィスに来ることが多い。後輩には野暮に写っているのかな、と思ったりもする。ただ、理由はそれだけではない。
「佐久間さん、おはようございます。」
車を降りたところで、声をかけられた。少し震えたようなこの声は、隣の部署の紗江さんだ。20代後半だったか。いつも綺麗な爪をしている。
「今日、ぎりぎりですね、私たち。これ、疑われちゃうかも。」
「え!?」
「嘘です。大丈夫、ばれたりしてないですから。」
いたずらっぽく笑う彼女に、一瞬息が止まった。かわいい。

駐車場で別れた後、ふと、嫌悪感が背筋を貫く。大事な家族と会話を交わしたその顔で、浮気相手に微笑みかけている自分に愕然とする。
「何、やってんだろ、俺。」

オフィスには人はまばらで、ほとんどの人は黙々とPCに向かうか、会議室にいる。佐久間も席に着き、働かない頭を奮い立たせて資料の作成を開始する。

午後になり、取引先との会議に出るためオフィスを出た。ロボット、AI、IOT、そんなものたちが生活を楽にして、生産性を上げ続けているのに、まだ俺という人間は足を使って週5日、仕事をしなくてはならない。これから死ぬまで、このままなんだろうか。

「ああ死ぬんだって時に、幸せだったと思いたい。」
誰が言ってたんだっけな。確かにそうだ。このままで、幸せなんだろうか。生きる意味ってなんだ?

最寄駅に歩いて向かいながら、ぐるぐるととりとめもない思考が頭をめぐる。
あれ、何考えてるんだ、俺。キャラじゃないだろ。

いつもの家族、いつもの会社、いつもの同僚。
でも、この違和感を説明できない。自分の身体は正常なのに、周りがなんだかおかしい。

ふと、黄色いレインコートを着た男の子の背中が視界に入った。5歳くらいだろうか。
強烈な、懐かしさと親しみが、佐久間を襲う。でもどうして?

ジリリリリリリ
また、あの音がしている。目覚まし時計が近くにあるはずがないのに。
とにかく、この男の子を逃してはいけない。そう思ったとき、、
「ねえ、なんで僕のこと忘れてしまったの?」
振り向いた大きな瞳がまっすぐにこちらを据える。
その瞬間、轟音とともに熱風が押し寄せ、こちらを見ている顔の皮が焦げ、筋肉がただれ、燃えながら灰になる。髑髏になっても、彼はこちらをまっすぐに見ている。
悲鳴にならない悲鳴をあげる。

暗転。

しばらく、自体を飲み込むことができない。暗闇の中で、自分がじっとりと嫌な汗をかいていることがわかる。
乾いた喉で絞り出すように声をだす。
「ロック解除」
その途端、ぷしゅうと音がして視界がひらけた。
深く腰掛けていた卵型の装置からゆっくりと降りた。

一息ついてから、モニターの前に座り再生ボタンを押す。

ああ、また失敗だ。もとの意識を完全に消すことができなかった。
選択画面に映る、「ごく一般のサラリーマン家庭、佐久間のある1日(2027)」という文字を見つめる。ひと昔前の設定だ。
俺には、ごく平凡な家族の、たった1日のささやかな幸せも追体験することは許されないらしい。

春太が、それを許さなかった。

今の技術ではまだ、人間と同等の動きと思考ができるいわば機械脳を、人間の大きさに入れ込むことができていない。

その一方で、人の脳には、普段使用されていない領域がかなり多くある。この部分を使用して、もうひとつのまったく別の意識を存在させる。過去の記憶とともに。
ちょうど、1つのPCをユーザー変更して、二人で共有するように。

もともとは、完全なスパイを生み出すための研究だった。
ひとつの意識でふたりの人を演じる。念入りに準備したつもりでも、なかなか咄嗟のところでの演じ分けというのは難しい。
ところが、1つの脳で1つの身体で、ふたつの意識をスイッチできたらどうだろうか。
もとの意識を消すのではなく、新しい意識をインストールして、スイッチして使い分ける。
そうすれば、スパイはヘマをしにくくなり、生存率も向上する。
また、任務終了後は必ずもとの意識に戻すことで、本人がPTSDなどに苦しむこともない。

重要なのは、2つの意識が混濁することがないようにすること。
その技術の研究を、真壁はリードしていた。政府の諜報機関と共同で、地下深くの研究所で毎日研究に明け暮れていた。

本当に意識が切り替わったか、シミュレーションにより確認できるようになっている。この卵型の装置がそうだ。自分がシミュレーション内にいるときには対象になりきっていて意識を切り替えられないため、あらかじめシミュレーションにいる時間をタイマーで設定しておく。その時間がくると、アラームとともに自動的に意識が切り替えられ、もとの自分に戻った状態で覚醒する。
「今回は、性格的に互換性が悪かったか。」

このひとつひとつのソフトは実際に存在する個人の記憶を読み込み、それをベースとして作成されている。
自分の記憶で新しく作成したとしたら、きっと、暗い、悲しい世界になってしまうことだろう。
あのとき、自分の(自分にとっては)平凡な日常を、保存しておけばよかった。

完成は間近だった。完成した暁には、日本のテロ元年となった2020(ニ、マル、ニ、マル)以降、急速に活発化した各国へのスパイ活動に大いに役立つはずだった。

先週、世界が終わるまでは。

実際に何が起きたのかはわからないままだが、ものすごい熱と爆風とともに、東京は消失した。
隕石なのか、いつどこから降ってきてもおかしくなかった兵器なのか。
夜中だった。
そのとき、俺は、地下深くのこの研究室にいた。
政府の直轄の研究所であり、もちろん極秘であるこの場所に出入りを許されている者は限られている。ましてあのような時間にここにいたのは真壁ひとりだった。
残ったのは、政治家ではなく一介の研究者というのは皮肉だ。

結局地上には1度しか出ていない。
カメラで見たことが全て嘘であると、ドッキリのようなものであると、どこかで期待していた。というか、ほぼそんなことだろうと思っていた。
でも違った。非常用階段を使ってなんとか這い出た街は、ビルも家も店も何もかも、建物だったことがかろうじで分かる残骸だけ残して消し飛んでいた。いつかの古いSFで観た世界の終わりの灰色の街。舞い上がる灰や埃で視界が悪く、昼であるはずなのにどんよりと暗い。
もう繋がらない携帯を握り締めて、弥生と春太がいるはずの高層マンションのほうに向かう。
頭の隅では分かっている。残っているわけないと。でも、視界が悪く遠くを見渡せないせいで、建物が残っている場所があるのでは?とどこかで期待が捨てきれない。
もとの地面がどの程度下にあるのかもわからないまま、不安定な瓦礫の上を進む。軍手を掴んできたのは正解だった。
だが、あるはずの方角に、どこまで進んでも建物はなかった。
灰だらけの顔に涙が流れるのを止めもせず、ただただ何キロも進み続けた。

もちろん真壁は軍事研究所勤めの常として電気シールドを身につけていたので傷つけられることはなかったが、それでも途中でひどいものを見た。
放置された死体、奪い合い、殺しあう人々。

真壁の世代にとっては当たり前だった、安全で、クリーンな東京は幻想でしかなかった。

死んでしまっても良かった。
でも、じいちゃんの言葉が頭から離れない。

死んだじいちゃんが元気なときに言ってた。
ああ死ぬんだ俺は、って時に、幸せだったなと思いたい。

真壁は、研究所に戻ることに決めた。
息を引き取る瞬間はただただ幸せだったと思いながら眠りにつきたい。

それから真壁はたったひとりで研究を再開した。
でも、完成はもうすぐだ。

そうすれば、真壁はもう、大丈夫。

この卵型の機械の中で、平凡な日常の、シミュレーションの世界で生きていくのだ。
機械か身体が滅びるまで。

ささやかな、けれど完璧な幸せの中で、俺は眠りにつく。
その幸せが、たとえ偽りのものであっても。

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最後まで読んでいただきありがとうございます。
この本と対になる物語、「メモリインザワールドエンド」をKDPで出しています。

こちらもよろしければよろしくお願いします。

メモリインザワールドエンド

猫助のnoteまとめはこちらです。




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