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海と牛と送電線と

 つい先日、行ってみたかった隠岐諸島で休暇を楽しんで来た。
 カルデラに残った小さな島。知夫里島、西ノ島、中ノ島で構成される島前と島後島の比較的大きな島に人が住み、それに加えて無人島が180島。隠岐諸島は島間を連絡船が通っているのでバス代わりに使うことになる。
 タイトルの写真にもある通り、知夫里島の電気は西ノ島から島伝いに届く。自由な牛と、島民よりも多い狸。本土では見ないタンポポや蝶が飛び、自然と共に生きる。観光客として、その一端を少しだけ認識する。
 ここで放牧されている牛は隠岐牛としてブランディングされていて、隠岐の海士町で食べることが出来た。少し高めだけれど、食べる価値は有るように思う。

 隠岐の島には4日ほど滞在し、それぞれの島を巡った。どこでも緩やかな時間が流れているように思えた。日々の生活と歴史、自然を辿る、e-bikeの予約がブッキングしていても特に気にせず、代案で満足する。
 忙しない普段の生活から逃れるように、ゆるりとした時間で何かを考えたような気になって、昔の流刑地を周る。
 イカ寄せの浜では、イカが彫られた神社があり、その中々見ない意匠を楽しんだ。
 転職の節目に瀬戸内海にやって来た。そして、結婚の節目に日本海を渡って隠岐の島で海を見ていた。
 
初めは仕事、そして、結婚。人生をやるということ、その過程でどこでも海がある。日本であるから、切っても切れない自然。
 学生の頃、よく深夜に海まで行って友人ととりとめのない話をしながら現在いまや未来のことを考えていたのを覚えている。この先に仕事をして、結婚をして……
 そうして今がある。僕はもう若くもなく、友人たちと会話をすれば過去の思い出が増えてくる。彼女が出来ないだとか、グダグダと話しながら盛り上がっていた若い頃からちっとも中身は変わっていないままで、それが現実。
 いつか死ぬから、その時は海に骨を撒いて欲しい。そんな風に思い始めたのも、ずっと海を眺めていたからなのだろう。

知夫里島 山頂からの眺め

 島から地平線の先は見えず、昔に本州からの流刑地であったのは相応しい島のように思う。
 知夫里島ほとんどが山で、一部に人が住む集落がある。今は広大な牛の放牧地で、昔は棚田があったと聞く。牛たちは車で近づいても面倒くさそうにどくだけでゆったりとしている。別にそこにいることに対して、特に反応はない。この距離感が楽しい。
 人々もそんな感じでおおらかに繋がっていけたらいいのに、と思う。何故か今の社会ではどちらかの態度を取らなければいけない。世界はグラデーションなのにも関わらずSNSでは0と1のデジタルに相応しい領域が広がり続けて、どこか病んでいる。ある程度の傾向があることすら見えないように。
 ぼんやりと休日を過ごしていて、ただyoutubeやSNS上の話題を眺めて終わっていく時間。しょうもないゴシップや、画面越しに受け取る情報で「何か」疲れてしまう。

 だから、そんなことを考えないで済むように、物理的にどこか離れた場所で過ごせばそうした『疲れ』から逃れられるかと思い、隠岐諸島への旅行を考えた。
 結果的に結婚旅行として、鳥取の七類港からフェリーに揺られて2時間ばかりかけていくことになる。
 様々出会いや人生の節目、仕方なく色々なものを抱えて、少なからず自分がそれに納得して生きていくことが出来た。
 人それぞれ生きてきた中で抱えたものがあり、偶々タイミングが良かったから、似たような考え方で一緒に生きられる人が見つかったりもする。この先の不安と楽観、取り残されて独自の生態系となった島。
 オキシャクナゲもその一つ。果たして、この社会で取り残されるのはよくないことなんだろうか、それに合った生き方もある。多様性もまた、社会を肯定的に捉えるものとなってよい方向に進めばいいが、どこか人間の頭でっかちな部分が邪魔をしているように感じる。

シャクナゲ
陸続きだった時代の名残

 魚もしっかりと考えて、その環境の中で最適な行動を取る。海の中も見れる遊覧船「あまんぼう」に乗って、けれどマンボウ(かつてはウキキと呼ばれた面白魚)は見れなくて、海の林の中にイシダイを見付ける。
 透明度が高く、ずっと青い海は関東に居た頃は見たことが無かった。社会人になり自分で色々な場所に行くようになってからだったと記憶している。
 もっといえば、海の生物に興味が湧いて来たのはここ数年の話で、多分それはサメ一つとっても多様で面白い生態をしていることを知ったから。
 考えても見れば海の中の植物プランクトンが地球の酸素放出に多分に寄与していて、地上に比べてずっと広いのだから、実のところ地上よりも多様性に満ちた世界が広がっているんじゃないか。
 そんな風に最近感じていて、知るのが楽しく思える。それこそ、仕事なんか放りだして、色々な生き物を調べる方がいい。
 そんなことを思ったとて、一人の人間だけでは弱く、組織の中で何とかやっていくくらいしかなさそうだ。

イシダイちゃん?
餌をくれると分かっているから、あまんぼうにやって来る。

 大人になってから関東から西へやって来た。
 まだ見たい海は無数にある。それは日本に限らないし、ちっぽけな人間にとっては茫漠な海の広さの中で少ないけれど、感傷的な意味以外で生態や文化に触れていきたいと思う。
 人生はとても短く、したいことも分からないままさまよう。
 それでも色々と思い、触れていくことは続いていく。


 今回はずれたローソク島の写真でお終い。
 人は色々な自然の形状や現象の中で生きているから、こうした形を生活の一部に見立てたり、信仰の一部に見立てて、生きることの歓びや苦しみを表現しているように思う。
 そしてそれが、時に息苦しくなる都市化した生活、日本における歪な個人主義から一息つけるのだと、ただそこにあり、あるがままの自然を眺めていて感じている。

ローソク島
船の発着場にローソンとコラボしている売店があり面白かった。

それでは、また


釘を打ち込み打ち込まれる。 そんなところです。