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[親子城巡り] 江戸城②東御苑へ 江戸城天守台と対面!

2日目 いよいよ江戸城跡地へ

① 今日は東京駅からスタート!

丸の内北口を出て、丸の内駅前広場へ。
東京駅は乗り換えと、お土産コーナーばかりで、駅前広場に来たのは初めて。

明治41年(1908年)3月に着工し、大正3年(1914年)12月に開業した日本の玄関口、東京駅。丸の内駅舎は日本の近代化を担う首都東京に誕生した中央駅として、数々の歴史の場面を眺めながら、日本を代表するビジネス街とともに発展してきました。平成24年(2012年)、国指定重要文化財である丸の内駅舎は創建当時の姿に復原されました。

東京ステーションシティより


クラシックで素敵

西洋に追いつこうと近代化を進めていた日本は、ドイツ人技師のフランツ・バルツァーが設計するはずだった和風建築を辞めて、辰野金吾の設計した西洋建築にしたそう。日本風じゃ意味なかったんだな〜
レンガ作りで関東大震災でもびくともしなかったほど堅牢だったけど、東京大空襲で焼失。残念ですね。。

ライトアップが素敵なので、今度は夜に行ってみたいです。

② そのまま歩くと、行幸通りに

ここは幅74m。
なんでだだっ広いんだろう?と不思議に思ったら、皇室行事などの時に馬車が通るそうです!

③ 坂下門到着

ここは普段は出入りできなくて、一般公開の時のみ。
なので、お堀の外から富士見櫓を見るだけでした。
富士見というからには、上に登ると富士山が見えるのかな?

富士見櫓

④ 途中休憩 和田倉噴水公園へ。

無料休憩所があり、ひと休み。
そして、天皇陛下のご成婚記念の公園を散策。子ども達は元気復活で走り回るー
噴水があり、さすが豪華な感じ。両陛下の写真パネルも飾ってありました。

⑤ 大手門へ!


内堀通りに出て右折、5分くらい歩くと左手に大手門が見えます。

 『大手』とは、城と城下町をつなぐ門につけられた名称で、「大手門」は徳川時代を通じての表門として使用されていました。慶長12年(1607)に築城の名手である藤堂高虎が建造し、その後、伊達政宗らが修復しました。

 名誉ある大手門を任されたとは言え、この大工事に要した費用は金2千6百76枚、人員42万3千人余りと膨大だった為に、富豪を誇っていた伊達家にとっても大変な痛手となったと言われています。

一般財団法人国民公園協会より

ニノ門。どどーん!

威厳があります!大きい!

⑥ 同心番所と百人番所は現存!



仮の休憩所に寄って涼んでから、三の門へ。
大手三の門を警備していた同心番所を抜けると、百人番所があります。

同心番所を駕籠に乗ったまま通ることができたのは、尾張・紀伊・水戸の徳川御三家だけで、それ以外の大名はここで降ろされ、検問を受けました。

千代田区観光協会

百人番所は、その名の通り、100人が詰めていた江戸城最大の番所で約50m続く建物です。
ずらーっと検問していたんだろうなぁ。


⑦  いよいよ天守台へ!!


芝生広場を歩くと、遠くに何か建造物が見えてきました。と、遠い!遮るものが何もなくて暑いっ!

着いたー!

残念ながら、火災で焼け落ちた後再建されず天守台は残っていません。
土台のこれだけ。

千代田区観光協会よりお借りしました。

なお、江戸城天守再現アプリがあり、私たちもインストールして見てみました。
スマホ画面を通して天守が現れるので、雰囲気は掴めます。

おまけ

切込接(きりこみはぎ) 規模感が凄い。美しいつくりですね。

感想

日本最大の城である江戸城。規模感が今まで見てきた城と全然違いました。
それから、戦国時代に建てられた城とは違い、荒々しさはなく、細かい所まで作り込まれていて整っています。
通路の幅も広く、大勢の人が往来していたのが窺われます。

日本の城は、明治政府の廃城令によって多くが取り壊されてしまい、残った城も価値が無くなってしまいました。
江戸城も火災を逃れて残っていたとしても、江戸幕府の象徴なので明治政府によって壊されていたのかもしれません。

城好き息子(小4)のひと言

「天守台の石が切込みはぎで、きっちりしすぎてて凄かった!」


アイロンビーズで作りました。

おわり。

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