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[散策]三嶋大社から、地面の案内標示に導かれて着いた先は?

結論から言うと、「三嶋暦師の館」という所にたどり着きました。
経緯は、、、

前回、『鹿児島睦 まいにち展』を見に、佐野美術館に行きました。
せっかくなので、三嶋大社でお参りして帰ろうということで、寄り道。

サクッとお参りして、近隣の有料駐車場に向かうとき、近道していこう〜と脇の細道を進んでいたら、足元にこんなものが!


なにこれ〜!?

なにやら、館があるらしい!
「これ、干支が書いてあるんじゃない?」と左下の○を見て言う息子。
読み方は「みしまれきし?」、「いや、みしまこよみしだってー」
なにそれ〜?ってことで、矢印の方向に行ってみることにしました!

急に冒険風になって、みんなで駆け足〜
わくわく。

不安になるころに、標示。そしてまた走る!

すると、こんな建物が住宅街の中に現れました!

三島暦師の館!どーん!

よく分からないけど、着いたからには入ってみよう。見学無料って書いてあるし、ということで。
「こんにちは〜」
すると、おじいさんが出てきて、
「君たち何年生?それなら、見学は説明が難しくて飽きちゃうと思うから、印刷体験をしてみよう。」
と、あれよあれよと、別室へ行き、印刷体験をさせてもらうことになりました。

印刷体験!

墨をころころ

どうやら、鎌倉時代から暦を作っていた河合家の館があった場所らしい。当時の建物は安政の大地震で倒壊。今、残っている建物は十里木関所の廃屋を使って建てられたとのこと。

そして、河合家から三嶋市に寄贈されたのを機会に、2005年から暦の歴史・文化に親しめる場所となったようです。
おじいさんは、三嶋暦の会のボランティア会員とのこと。開館時間は常時、ボランティアで運営しているようです。
それで、無料なんですね。

半紙に写していきます

完成したのが、こちら「三嶋暦」

天保15年の暦

当時は、山桜の木を鑿(のみ)で彫った版木に墨を塗り、ばれんで一枚ずつ摺っていたそうです。
中世から江戸初期まで東日本で普及していたらしい。

この三嶋暦を復活させたいという思いから作られたのが現代版の三嶋暦です。
摩耗してしまうので、素材は木ではなくなりましたが、一枚ずつばれんで印刷するのは変わりませんね。

正月、二月とあります。

下半分に、「神よしふく日」や「ふく日たねまきよし」など、その日にするべきことが書いてあるそうです。
当時の人は朝起きると暦を見て、その日の行動を決めていたそうですよ。
暦師と陰陽師で調べたら、共通点が多くありました。同じ系統なのかな?歴史が深すぎでよくわかりませんでした。
三嶋暦は太陰暦(旧暦)の暦です。江戸幕府の影響力を断ち切るために、明治時代になって太陽暦に変わった説や、太陰暦だと、ズレが生じるために不便。諸外国と合わせるためなどの理由が考えられます。

ボランティアさんありがとうございました! 有難い半面、思うことも。。


きれいな印刷を作りたい気持ちが強すぎるおじいさん、手出し、口出しが凄かったです。
その後、館内で三嶋暦について子どもにもわかるポイントのみをガッツリ解説してくれました。
プライドを持って活動しているのが、ぷんぷん伝わってくるボランティアさんでした。

知識もあり、管理運営もしていて、情熱もあるボランティアさんですが、なんというか愛が強すぎて圧を感じるのも確か。無料なので、若干の押し付け感も。
ちょうど、来たばかりの観光客がいたのですが、声かけに圧を感じたのか「私はけっこうです〜ごめんなさい。」と断っている方もいました。
ふら〜っと訪れて自分のペースで見たい方もいますよね。

それから、無料ということに関して。
解説の内容に申し分はないので、有料にしてもいいのにな。と思いました。
印刷体験も環境をもう少し整えれば、充分にお金をとれる内容でした。
今の世代が引退したらどうなるんだろう。
有料にして、ボランティアさんにも多少のお金が入るようにすれば、活動が続くし、お客さんのことが少し視野に入るかも。とか考えました。

ちなみに、心付けボックスがあったので、気持ち程度にお金を入れたら、すかさず、「ありがとうございます。」とポストカードをいただいてしまいました。

こんなに頂いてしまいました

マニアックな探訪になりましたが、楽しかったです!行き当たりばったりが旅の醍醐味ですね〜


最後までお読みくださりありがとうございました。

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