不当な差別に立ち向かった一人の女性がもたらした大きな変革 ― ローサ・パークス
2月4日は、アメリカ公民権運動活動の母といわれたローザ・パークスこと"リー”ローザ・ルイーズ・マコーリー・パークス(1913年2月4日 - 2005年10月24日)が生まれた日。
アメリカの公民権運動のきっかけになった女性。
1987年にはローザ・レイモンド・パークス自己開発教育センターを創設して青少年の人権教育に尽力した。
1999年、アメリカ連邦議会が議会名誉黄金勲章を贈った。これは最も偉大なアメリカ市民に贈られるメダルである。またアラバマ州モンゴメリーにはローザ博物館も設立された。
【その日】
アラバマ州モンゴメリー。1955年12月の夕方、バス停で市営バスが停まり、きちんとした身なりの40代の女性が乗り込んだ。彼女は、ローザ・パークス。
仕事帰りに有色人種用の席の一番前に座って、彼女は乗客たちが乗ってくるのを静かに眺めていた。
ところが、運転手が白人に席を譲れと彼女に命令した。
彼女が発した言葉は「ノー」だった。
運転手は警察を呼んで逮捕させるぞと彼女を脅した。「どうぞ、そうなさい」パークスは答えた。
警官がやってきて、なぜ席を譲らないのかと訊いた。
「どうして私が罪に問われなければいけないの?」彼女は簡潔に訊き返した。
「知るもんか。とにかく、法律は法律だ。おまえを逮捕する」警官が言った。
【その背景】
パークスは、幼少期からの差別に疲れ切っていた。あちこちで隔離政策が行われ、水飲み場さえ「白人用」と「黒人用」に公然と分けられていた。幼いパークスは、こう不思議に思っていたという。「白人用の水は、黒人用の水よりおいしいのだろうか」
自分の祖父の代から続いている黒人差別。それがパークスの身にも降りかかり、すでに40年の月日が過ぎていた。
パークスがバスで白人に席を譲るのを拒絶したのは、そんな人種差別の積み重ねがあってのことだった。
理不尽な扱いを受けることに、もうこれ以上、耐えられなかったのだ。
【公民権運動】
この事をきっかけに、我慢の限界に達していた黒人達は勇気を奮い、当時新しく赴任して来た若干29歳だったマーティン・ルーサー・キング牧師を筆頭に立ち上がり、バス乗車ボイコット運動を初め、その後の人種差別開放へと向かっていった。
【彼女に影響を受けた日本人】
「リーゼントマネージャー」という呼び名で知られているマイクロソフト シンガポール、アジア太平洋地区本部長を務める岡田兵吾氏は言う。
「大学4年生で、交換留学でアメリカのオハイオ州クリーブランドに行ったとき、ローザ・パークスという「公民権運動の母」といわれている女性のスピーチを聞く機会がありました。
彼女の「One person can change the world.」に衝撃を覚えました。大聴衆が固唾をのんで見守る中、彼女がスピーチを始めると、僕より体の大きい大の男が話を聞いて涙を流すんです。それを見た時に、「俺も絶対ローザ・パークスのようになろう」と思ったんです。世界を変えたい、世の中に、何か貢献してやるぞ! という気持ちが強くなって。そこからソーシャルチェンジということが僕の信念になりました。」
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