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太陽のように輝く女性解放運動家:平塚らいてうの尽くした平和の道

2月10日は、日本の女性解放運動家、平塚 らいてうが生まれた日。(1886年2月10日 - 1971年5月24日)

皆様、いつもありがとうございます✨
グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

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本名は平塚 明(ひらつか はる)。第二次世界大戦後は主に反戦・平和運動に参加した。日本女子大学校(現:日本女子大学)家政学部卒、2005年(平成17年)に同大学は平塚らいてう賞を創設した。

【生い立ち】

らいてうは国内外を飛び回る政府の高級官吏を父に持ち、何不自由なく育つ。ひ弱で小柄な少女だった。
彼女が育った時代、当時の女子教育は「良妻賢母」の理念が掲げられ、女性は家を守ることがよしとされた。彼女も例に漏れず、良き妻、良き母となることを父に望まれ、1900年に東京女子高等師範学校附属高等女学校(現:お茶の水女子大学附属中学校・附属高等学校)へ優秀な成績で進学。
が、復古思想を強める父や当時の女子教育に疑問を持つようになり、級友と「海賊組」という集団を作り道徳の授業をサボるなど、活発な女学校時代を過ごした。
卒業後は父の反対を押し切り、日本で初めての「女子のための大学」である日本女子大学校に進学。ここで、創立者の成瀬仁蔵による「実践倫理」に心酔し、哲学や宗教、倫理学を通して、後の女性活動家としての人生の素養を身につける。

【元始 女性は太陽であった】

女性として自活することを目指して様々な思想や学問を探求する中で、25歳の時に、日本初となる女性による女性のための雑誌、『青鞜』を発刊。この時、「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。」という創刊の辞を寄せ、他の光によって輝く蒼白い月のような生活を余儀なくされていた当時の女性たちを啓蒙する活動家となっていく。

【彼女のキーワード】

彼女が持っていた星は、「石門」、そして「貫索」。これらの星が示すのは、平和。2回経験した戦争に対し、強固な反戦意識を持って人生に向かっていった女性ではないかと感じます。


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