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エリザベス・コートライト・モンロー~アメリカの美しい人~

皆様、いつもありがとうございます✨グリーンビューティ®専門家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。火曜日・木曜日にまとめて投稿しています。該当する偉人がいない場合はお休みです。

長文につき、時間があるとき、興味がある方をご覧くださいね。

楽しんでいただけたら、嬉しいです。


6月30日は、第5代アメリカ合衆国大統領ジェームズ・モンロー夫人、エリザベス・コートライト・モンローが生まれた日。(1768年6月30日 - 1830年9月23日)

1768年6月30日 - 1830年9月23日

ニューヨークにて商人だったローレンス・コートライトと
ハンナ・アスピンウォールの娘として生まれた。

1786年に17歳で、27歳のジェームズ・モンローと結婚した。

エリザベスは細身で黒い髪と青い目を持ち、
優雅であり、亡くなる直前まで年齢より何歳も若く見える
いわゆる"美魔女"だったといわれている。

モンローとの間には3人の子供をもうけた。

夫のモンローが1794年に在仏全権公使に任命されると、
エリザベスも同行した。

当時のフランスは革命後の恐怖政治の真っ只中だった。

友人のアドリアンヌ・ド・ラファイエットを
ギロチンから救うために一芝居打った。

派手に馬車を仕立て、野次馬の群れに取り巻かれつつ
刑務所内のアドリアンヌを訪問し、
群衆の目の前で感動的な抱擁を演じ、
人々の同情をひいて喝采を浴びた。

この後に公安委員会から、アドリアンヌは釈放を取りつけた。

この出来事以降、エリザベスはフランスで非常に人気がある女性となり、
「アメリカの美しい人」と愛着を込めて呼ばれるようになった。

エリザベスは、30歳くらいから体調不良が目立つようになった。

リューマチ、頭痛、および発熱など生涯を通じて病気がちになる。

1817年、モンローが第5代アメリカ合衆国大統領になると、
エリザベスはファーストレディとなった。

エリザベスは、終始控えめで、パーティーを好まず、
出来る限りホワイトハウスの中でもプライバシーを守ったファーストレディだった。

1830年オーク・ヒルで亡くなった。享年62歳。

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