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『開戦不可なり』夫と共に大本営に打電し続けた女性〜小野寺 百合子〜

10月1日は、翻訳家であり、作家であった小野寺 百合子が生まれた日。(1906年10月1日 - 1998年3月31日)

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グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

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東京生まれ。父は陸軍皇族付武官少佐、一戸寛。

母は陸軍大将男爵大久保春野三女くに。祖父は第14代黒羽藩藩主、大関増徳。

少女の頃は、利発で活発な少女だった。

夫は、陸軍少将であり、後に中立国スウェーデンで、「駐在武官」となった小野寺信。

「駐在武官」とは、在外日本大使館に属する陸海軍の武官で、その国の軍隊との連絡・交流を通じて軍事情報の収集にあたり、必要に応じてはスパイともなる「軍服を着た外交官」。

小野寺夫妻がストックホルムに到着したのは1941年。

ヨーロッパでは、第二次世界大戦が既に始まっており、ヒトラー率いるナチスがパリを陥落、破竹の勢いでヨーロッパ各地を攻めていた。

スウェーデンは武装中立を保っていたため、戦況における様々な有益な情報が集まっていた。この情報を集めて日本に発信するのが小野寺の任務であった

が、ストックホルムの武官室は規模が小さく、とても暗号を専門に扱う事務員を雇う余裕がなく、情報漏えいを防ぐためにも、百合子の存在が不可欠だった。

まず、収集した情報を小野寺が文章化し、それを百合子が、暗号化して電文の形に整え日本の参謀本部に送る、というのが、夫婦の役割分担だった。

暗号化には「換字表」「乱字表」と呼ばれるものが使われ、暗号電報の発信には先ず最初に電報原文を「換字表」によってアルファベットの略号に換え、それを「乱字表」にかけて一字一字新しいアルファベットに置き換え、最後に五文字ずつ区切って電文としてタイプ打ちするというものだった。

夫妻は当時のヨーロッパ戦局を正確につかみ、本国へ「ドイツ軍の敗北は必至」「日米開戦不可ナリ」と、夫婦で何度も警告した。

が、これらは全て無視され、親ドイツ派で固められた大本営主戦派、陸軍は戦争へと舵を切っていった。

戦争の終局には小野寺夫妻は「戦争ヲ終結スベシ」と何度も打電。

大本営の主戦派がこの情報を握り潰したことを悟った小野寺は、単独でスウェーデン国王を介した和平工作を試みている。

戦後、齢60を過ぎ、百合子は、『ムーミンシリーズ』を翻訳。スウェーデンの児童文学翻訳家としても活躍。


74歳を過ぎたころ、百合子は、これらのことを後世に残すべく『バルト海のほとりにて』にまとめ、発表。

「本書は一木片の必死の行動を無視し流し去ってしまった時の流れに対するささやかな抗議でもあるのだ。」と述べている。

小野寺は、1987年に89才で亡くなった。

翌年、百合子は『平和国家への研究 小野寺信遺稿集』を出版。

百合子はその11年後の1998年に91才で死去。

歴史に「if」は、ないけれど、でももしこの夫婦の思いが通じていたら、沖縄、東京大空襲、広島長崎の原爆は無かったのではないかと思ってしまう私がいます。


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