江戸風俗研究家、杉浦 日向子
11月30日は、江戸風俗研究家、杉浦 日向子が生まれた日。
漫画家、エッセイストでもあった。時代考証が確かで、江戸や明治の生活風俗を生き生きと描いた作品を残した。
(本名:鈴木 順子(すずき じゅんこ)、 1958年11月30日 - 2005年7月22日)
中央区京橋生まれ。日本橋で開業する呉服屋の娘として幼時から歌舞伎、寄席、大相撲、江戸文化にひたって育つ。
また、5歳上の兄の影響で、ロック・映画などのサブカルチャーに早くから関心を寄せる。
日本大学鶴ヶ丘高等学校を卒業、日本大学芸術学部デザイン学科に入学するも中退。
家業を手伝いながら、手描きの友禅の勉強をする。やがて、独学で勉強できる「時代考証」に興味を抱き、朝日カルチャーセンターでの稲垣史生の「時代考証教室」では、その熱心さに正式な「弟子」として認定されるが、手っ取り早く生活できるようになる漫画家へと転身。
22歳の時、月刊漫画『ガロ』1980年11月号で、吉原を題材にした『通言・室之梅』(つうげん・むろのうめ)で漫画家としてデビュー。
浮世絵を下地にした独特な画風に特徴があり、江戸の風俗を生き生きと描くことを得意とした。
漫画家としての代表作には、『百日紅』、『百物語』、『合葬』、『風流江戸雀』がある。
日本漫画家協会賞優秀賞、文藝春秋漫画賞受賞。
私生活では、荒俣宏と結婚したが、互いに多忙のため同居せず、荒俣の女性問題が原因で、半年でスピード離婚。
1992年、血液の免疫系の難病と診断され、そのため、潔く漫画家を引退した。
1992年から2000年まで『コメディーお江戸でござる』(NHK総合テレビ)では江戸の歴史、風習についての解説コーナーを担当、好評を博す。
それからは、毎日新聞の書評委員で、死、病気、老い、いのち等に関する本を多く取り上げた。
2003年には、咽頭癌が発見される。2年後、1人で南太平洋クルーズに旅立つ。
最晩年は、掌編小説集『ごくらくちんみ』『4時のおやつ』を書き遺す。
2005年下咽頭癌のため千葉県柏市内の病院で死去。享年46歳。
杉浦が師事した稲垣史生は1912年生まれ。NHK大河ドラマの「竜馬がゆく」「樅もみの木は残った」など多くの時代劇の時代考証を担当。その厳しい時代劇評はテレビ・映画関係者を恐れさせていたそう。
また、兄の鈴木雅也氏は、杉浦の死生観を、次のように語っている。
「人間は病の容れ物。何かしら病があるのが当たり前で、それと引き換えに生きている――。生老病死を春夏秋冬のように受け入れていた江戸人の死生観に、自分を重ねるような文章が目立ちました」と。
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