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舞台に響く天才の調べーセルゲイ・ディアギレフとバレエ・リュスー

3月31日は、ロシアを代表する総合芸術プロデューサー、セルゲイ・ディアギレフが生まれた日。(1872年3月31日- 1929年8月19日) 美術雑誌『芸術世界』の発起人や、バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)の創設者として名高く、数多くのバレエダンサーや振付家を育成するとともに、当時の名だたる作曲家に歴史に残るバレエ音楽の傑作を依嘱し、20世紀のヨーロッパ音楽史において、伝説的な興行師としてその名を残している。

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グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

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【生い立ち】

ウラル山脈に近いロシアのペルミで生まれる。裕福な地方貴族であったが、母親は出産の数日後に死亡している。父の再婚に伴ってペテルブルクで幼少時代を過ごし、10歳の時にペルミに戻る。

【芸術への溢れる興味】

1890年、ペテルブルク大学に入学し法科に在籍するも、学業には、見向きもせず、芸術家を志して声楽、作曲を学び、帝室マリインスキー劇場などで行われる演奏会へ頻繁に通う。

が、師であるリムスキー=コルサコフから作曲家としての資質がないといわれ、自ら芸術家となることはあきらめる。

【芸術世界の刊行】

義母の莫大な遺産を手に西欧各地を旅行して絵画を買い漁り、1897年以降6回にわたって自前の展覧会を開催する。これをきっかけに、雑誌『芸術世界』(ミール・イスクーストヴァ)を刊行。1904年の廃刊まで、ビアズレー、モネをはじめとする西欧の新しい美術や、ロシアの前衛画家の作品、さらに歌川広重や葛飾北斎にいたる幅広い芸術を紹介し続けた。

【パリへの進出】

1906年、パリのプチ・パレにて、ヴラジーミル大公を組織委員長とするロシア人画家の大々的な展覧会を開催、この成功により、フランス文化界や社交界と交流するきっかけをつかんだ。

【バレエ・リュスの立ち上げ】

バレエ・リュスの立ち上げは1909年、パリ。それから亡くなるまでの20年間、自らの眼で選んだ若手の天才芸術家たちをコラボレートさせ、数多くの革新的なステージを生み出した。

ダンサー、振付師はニジンスキー、マシーン、リファール、バランシン。舞台装置や美術にはピカソ、マティス、ローランサン、シャネルといった、当時パリで活躍していた前衛アーティストを起用。そして音楽は、サティ、ラヴェル、ファリャ、ストラヴィンスキー。

まさにバレエ・リュスは天才たちが集った「総合芸術」だった。そしてバレエだけでなく美術やファッション、音楽の世界にも革新と興奮をもたらし、大きな影響を与えた。

【ヴェネツィアに死す】

パリの占い師から「水辺で死ぬ」と予言されたために船旅を恐れたが、『水の都」ヴェネツィアで客死。享年57歳。

【シャネルとの友情】

特にシャネルは、ディアギレフの生涯の友人となり、バレエ・リュスの資金援助をしたり、バレエ衣装のデザインをしていた。



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