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ルイーズ・アンリエット・ド・ブルボン=コンティ〜その奔放な生き方で寿命を縮めたプリンセス〜

皆様、いつもありがとうございます✨グリーンビューティ®専門家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。火曜日・木曜日にまとめて投稿しています。該当する偉人がいない場合はお休みです。

長文につき、時間があるとき、興味がある方をご覧くださいね。

楽しんでいただけたら、嬉しいです。


6月20日は、オルレアン公ルイ・フィリップ1世の妃、ルイーズ・アンリエット・ド・ブルボン=コンティが生まれた日。

ルイーズ・アンリエット・ド・ブルボン=コンティ(Louse Henriette de Bourbon-Conti, 1726年6月20日 - 1759年2月9日)

独身の頃は“マドモワゼル・ド・コンティ”(Mademoiselle de Conti, コンティ令嬢)と呼ばれた。

コンティ公ルイ・アルマン2世と妃ルイーズ・エリザベートの娘としてパリで生まれた。

幼少時代は、父ルイ・アルマンから母ルイーズへの家庭内暴力を見て育ったため、男性への不信感から奔放な女性へと育つ。

1743年12月、当時シャルトル公だったルイ・フィリップと結婚した。舅オルレアン公ルイは、息子の花嫁探しに大変苦労したため、キリスト教徒として気高い見本であるとか、信仰が篤いとか、そういった女性に求められる美徳をあまり重視しないようにし、少々良くない評判があっても目をつむり、ルイーズ・アンリエットを選ぶ。

結婚後、ルイーズ・アンリエットは、夫をよそ目に、その奔放な性格で、様々な男性と恋愛を楽しんだ。3人生んだ子供たちのうち成人したルイ・フィリップ(のちのオルレアン公ルイ・フィリップ2世)とルイーズ・マリーは、ともにルイ・フィリップ1世の子供ではなく、他の男性の子供であるといわれていた。

ルイーズ・アンリエットは、若くして健康を害し、33歳で死去した。

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