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ブロンテ三姉妹の三女、シャーロット・ブロンテ

4月21日は、イギリスの小説家、シャーロット・ブロンテが生まれた日。(1816年4月21日 - 1855年3月31日)ブロンテ三姉妹で知られている。

三姉妹は、共同で『詩集』を発表後に、シャーロットは『ジェーン・エア』、エミリーは『嵐が丘』、アンは『ワイルドフェル屋敷の人々』などの長編小説を発表、イギリス文壇に多大な影響を与えた。



皆様、いつもありがとうございます✨
グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。


【生い立ち】

シャーロットは、イギリスのヨークシャーのソーントンに、牧師パトリック・ブロンテの三女として生まれた。

1821年に母マリアが死去。1824年8月、姉2人と2歳下の妹エミリーと共にランカシャーのカウアン・ブリッジ校に入学する。しかし、その学校の施設は環境が劣悪であり、姉2人は寄宿舎の劣悪な環境により結核にかかり、死去した。


【ジェーン・エア誕生】

1846年5月、カラー・ベルというペンネームを使い3姉妹共同の『詩集』を出版するが、売れたのは2部。それから3人は小説を書き始め、シャーロットは「教授」を完成させた。この作品は出版社に受け取ってもらえなかったが(死後出版)、父の看病の合間に第2作「ジェーン・エア」を執筆し、1847年10月にカラー・ベルのペンネームで刊行。社会に反抗する同名の女主人公は大反響を呼び、その名前を広く知られるようになった。


【相次ぐ姉妹の死】

1848年、エミリー、30歳で没。さらに翌年にはアンも倒れ、29歳で亡くなった。


【順調な作家生活】

「ジェーン・エア」が売れ、知名度が高まると、文壇著名人、ギャスケル夫人やサッカレーらとも交流を重ねた。エミリー・ブロンテという本名で、作品も『シャーリー』(1849年)、『ヴィレット』(1853年)などを発表。


【早すぎる死】

1854年6月に副牧師のアーサー・ベル・ニコルズと結婚した。だが妊娠中に妊娠中毒症にかかり、1855年3月31日、「エマ」を未完のまま胎内の子供と共に死去した。38歳没。

ヨークシャー州ハワースにあるパリッシュ教会系「聖マイケルと全ての天使の教会(St. Michael and All Angels' Church)に一家で眠っている。

ブロンテ一家がその短い生涯を送った1800年代前半のイギリス、ヨークシャー州のハワースでは、この墓地に一日平均5~7人の亡骸が埋葬されていたそう。

当時、ほとんどの家にはトイレがなかった。生活用水と一緒に汚水や汚物を路上に廃棄し続けたせいで、人口の増加にともなって衛生状態はみるみるうちに悪化。コレラ、チフス、結核といった病気が蔓延し、多くの住民が亡くなった。


【ジェーン・エアあらすじ】

ジェーン・エアは孤児となり、リード夫人とその子供達から差別されて怒りと悲しみの中で育つ。10歳になった頃、寄宿学校ローウッド学院に送られ、そこで優しい先生やヘレンと出会う。ヘレンの深い信仰心と寛大さにしだいに尊敬の念を抱くようになるが、折しもローウッドでは不衛生の問題からチフスが大流行し、ヘレンは結核にかかり死亡する。

生徒として6年間、教師としては2年間ローウッドで過ごした後、ジェーンはソーンフィールド邸で家庭教師として雇われる。そこで当主ロチェスターとの身分を超えた恋により、結婚を申し込まれるも結婚当日になってロチェスターには、精神病の妻の存在が判明する。

深く悩んだジェーンは神に救いを求め、一人黙ってソーンフィールドを去る。

路頭に迷い、行き倒れになりかけたところを牧師ジョンとその妹、ダイアナとメアリーに助けられ、その家へ身を寄せることになる。しばらくしてジョンとその妹たちがジェーンのいとこであることが判明し、1年間をともに過ごして勉学に励む。

ジョンより、神の忠実な僕として宣教師の妻になりインドへ同行することを求めらるが、彼にはジェーンに対する恋愛感情がない。

信仰心からジョンの申し出を受けようとしたとき、嵐に紛れて頭の中にロチェスターが、ジェーンを呼ぶ声を感じ、ジョンを拒んで家を出た。

その後、火事でロチェスターの妻が亡くなり、ロチェスター自身も片腕を失って盲目になったことを知る。彼のもとを訪ね、財産も年齢も健康な体でさえも愛の前には何ら障害でないと彼を諭し、結婚することを自ら誓って2人は静かに結婚式を挙げる。



【ミュージカルとしての「ジェーン・エア」】

「ジェーン・エア」は、これまで何度も映像化され、1996年にカナダでミュージカル化。その後、2000年にブロードウェイにてロングラン上演され、トニー賞で作品賞など主要5部門にノミネートされた不朽の名作。

日本では2023年3月4月に東京、大阪にて上白石萌音主演で上演された。



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