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皇妃エリザベートが崇拝した革命詩人

12月13日は、ドイツの詩人、ハイネこと、クリスティアン・ヨハン・ハインリヒ・ハイネ( 1797年12月13日 - 1856年2月17日)が生まれた日。

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ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

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デュッセルドルフの貧しいユダヤ商人の家に生まれ、生涯に亘って「ユダヤ人」という足かせがついてまわった。

そのため、フランスへ亡命しパリで生涯を終えた。

少年期に自由・平等・博愛のフランス革命の影響を強く受け、ベルリン大学でヘーゲルの講義を受け、後にはマルクスと親しく交わったため、革命詩人とも評されている。

1856年2月17日に亡くなり、モンマルトル墓地に埋葬された。

オーストリア、ハプスブルク家皇妃エリザベートは、バイエルン公女の頃より詩を書いていた。
皇后になってからはハイネを巨匠(マイスター)と呼び、崇拝した。

ハプスブルクの皇后となってからでも詩の中では慣例、しきたり、きつい姑などシェーンブルン宮殿を"牢獄"と呼び、毛嫌いしていた。

自由と平等を教えてくれた詩人ハイネへの崇敬の念は止むことなくパリ、モンマルトルの墓地にあるハイネの墓に大理石製の花冠を捧げるのみでは止まず、コルフ島にあった別荘、アキレオンのその庭にもハイネのための記念の祠を祀って日ごと夜ごとに詣でたという。

また、ナチス時代にはハイネの著作は焚書の対象になったが、ジルヒャーによって曲が付けられた「ローレライ※」だけは、ハイネの名前が抹消されて歌われていた。
フランツ・リスト、クララ・シューマンもこの詩に曲を付けている。

「ローレライ」
訳詩:近藤 朔風
なじかは知らねど心わびて
昔のつたえはそぞろ身にしむ
さびしく暮れゆくラインのながれ
いりひに山々あかくはゆる
うるわしおとめのいわおに立ちて
こがねの櫛とり髪のみだれを
梳きつつくちずさぶ歌の声の
くすしき魔力(ちから)に
魂(たま)もまよう
こぎゆく舟びと歌に憧れ
岩根もみやらず仰げばやがて
浪間に沈むるひとも舟も
くすしき魔歌(まがうた)
うたうローレライ

※ローレライとは、不実な恋人に絶望してライン川に身を投げた乙女で、水の精となった彼女の声は漁師を誘惑し、岩山を通りかかった舟を次々と遭難させていったという。


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