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モダンきものの先駆者、大塚末子のデザイン哲学

3月9日は、日本の着物デザイナー、大塚 末子が生まれた日。(1902年3月9日 - 1998年11月25日)大塚きもの・テキスタイル専門学校創立。1956年第1回日本ファッション・エディターズ・クラブ賞を受賞

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グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

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【生い立ち】

福井県敦賀市出身。実業学校中退後、呉服屋のお針子となり、上京して1932年結婚。夫の勧めで文化服装学院に入学して洋裁を学び、1935年に卒業。

【ファッションデザイナーに】

戦後、末子が考案した「もんぺスーツ」が『暮しの手帖』に掲載される。1948年に夫と死別し、『装苑』の編集者を務めていたとき、イサム・ノグチに着用していたもんぺスーツを絶賛される。その後、退社。

1952年からは銀座の「たくみ工芸店」に勤務するかたわら、本来は洋裁のものである型紙や洋服地を和服に導入して、機能的な和装デザインを次々と考案した。「お末羽織」「ワンピースきもの」「ツーピースきもの」「スリーピースきもの」などが代表的である。

70代で“直線を着る”という先進的なファッションショーを開催。着物を現代風にアレンジ、三宅一生、山本寛斎を始めとした多くの後進のデザイナーに影響を与えた。

「私は福井県の敦賀の鮮魚問屋の娘として育ちました。周囲の環境から贅沢なものへの恐れを人一倍知って育ちました。両親は朝から晩まで魚にまみれて働きつづけ、庶民の像が焼き付いています。

働き者の敦賀女は女仲仕として船にのり、船のなかで働いて い ました。 こういう人達はたいていモンペのうえに上っ張りを着ていました。

何の事はない私の ”新しいきもの”の原型は敦賀の港町の労働者のきものなのです。女の人たちにとってこういう格好がいちばん働きやすいのです。

いかに伝統的にすぐれたものでも、大衆から離れたものだったら現代にマッチしているとはい えない でしょう。きものの機能のなかで達成されなければならない要素は現代生活に役立つという事です。」

デザイン学研究特集号 SPECIAL LSSUE OF JSSDより


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