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海苔養殖の母、イギリスの藻類学者であったキャスリーン・メアリー・ドリュー=ベーカー

11月6日は、海苔養殖の母、イギリスの藻類学者であったキャスリーン・メアリー・ドリュー=ベーカーが生まれた日。

(Kathleen Mary Drew-Baker、1901年11月6日 - 1957年9月14日)


皆様、いつもありがとうございます✨
グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

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海苔(ノリ)養殖に必要な「人工採苗」技術の開発に大きな貢献をし、日本の海苔産地では「海苔養殖の母」と呼ばれている。
海苔がいつでも食べられるのはこの方のお陰です。

イギリス・ランカシャー出身。サリスベリーで教育を受け、1922年マンチェスター大学を卒業、同大学植物学科の講師を2年間勤めたのち、北米に留学、加州大学で2年間海藻学を研究、帰国して母校大学工学部教授ベーカー氏と結婚、二児を出産。

女史は海苔の生活史研究において、海岸でノリの糸状体をカキの貝殻の中に発見し、それまで知られていなかったノリが夏をどのように過ごすのかを明らかにした。

親交のあった藻類学者、九州大学瀬川宗吉教授に手紙で知らせ、それをヒントに瀬川や、熊本県水産試験場研究員の太田扶桑男らが研究を進め、1953年頃までに海苔の人工養殖技術を完成させた海苔はウェールズでも伝統的な食材として使われていた。

今でこそ手頃な値段でどこでも手に入る海苔となったが、江戸時代初めに始まった養殖技術はなかなか確立されず、年によって収穫量が不安定なために、価格は相場に大きく左右されていた。さらに1940年代後半には、水質汚染や台風の打撃を受け、日本の海苔養殖産業は壊滅の危機に瀕した。

現在の海苔養殖は、海苔の果胞子を貝殻に潜らせて育て、果胞子が糸状に成長して再び果胞子を発芽させ、そこで生まれた胞子を海苔網に付着させて育てる「人工採苗」という方法で増殖させる。

しかし、瀬川教授が女史に日本の海苔人工採苗を見せたいと考えた矢先に、逝去。

享年56歳だった。

瀬川教授は大変悲しまれ、「日本の海苔養殖業に大きな進歩をもたらし、偉大な業績を記念するために

是非女史の記念碑を造りたい・・・」と。

が、その瀬川教授も、1年後に逝去。

女史を恩人と称える海苔漁民は瀬川教授の意志受け継ぎ、全国の海苔関係者から募金を募り、日本一の海苔漁場である有明海が一望できる宇土市住吉町の海岸に面する小高い丘(住吉神社の敷地内)に女史の顕彰碑を建立した。

1963年、除幕式があり、女史の夫、故ライト・ベーカー氏も漁民の行為に感動して出席され、女史が大学から学位を授与されたことを証するガウンと帽子を漁民に提供されたそう。

その後、海苔関係者は毎年4月14日を「ドリュー祭」と証して顕彰を続けている。

「ドリュー女史顕彰碑」は、熊本県宇土市住吉町の住吉神社境内の裏手、住吉灯台の下にある。

昭和天皇も天草行幸の途中に住吉町を通りかかった時「ドリュー女史顕彰碑があるそうだが」と言われ、関係者や地元民が驚いたそう。


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