500万ドルの脚をもつ女優〜シド・チャリシー〜
3月8日は、アメリカ、ミュージカル映画が全盛の1950年代のダンサー女優、シド・チャリシーが生まれた日。(1922年3月8日 - 2008年6月17日)。最大の映画会社MGM、二枚看板はフレッド・アステアとジーン・ケリーだったが、その相手役をつとめ、黄金期の一翼を担った。
2001年、ギネスブックの特集で「最も価値のある脚」の持ち主として取り上げられた。2006年には、アメリカ合衆国における文化勲章、National Medal of the Arts and Humanitiesを受賞。
【生い立ち】
テキサス州生れ。幼い頃からバレエを習い、14歳の時にオーディションに合格して、‟バレエ・リュス・ド・モンテカルロ”に入団。
【ミュージカル女優として】
MGM社の振付師にスカウトされ、同社のオールスター・キャスト作品『ジーグフェルド・フォリーズ』(1945年)に出演。そこから、フレッド・アステア、ジーン・ケリーの相手役として、さまざまな映画に出演。
年齢を重ねても、仕事に対する意欲は変わらず、
68歳でジャネット・ジャクソンの「Alright」のミュージックビデオに出演、活動的なシニア層を対象にしたエクササイズビデオ「Easy Energy Shape Up」を発売。1992年には、70歳でブロードウェイ・デビューを果たした。80代では、ハリウッドの黄金期を取り上げたドキュメンタリーに度々出演していた。
【私生活】
シドは1939年にニコ・チャリシーと結婚し、長男を出産するも1947年に離婚。1948年に歌手のトニー・マーティンと再婚し、次男を出産。彼女は亡くなるまで、60余年の長きに渡ってマーティンに添い遂げた。
2008年 ロサンゼルスの病院にて心臓発作で亡くなった。享年86歳。
女性の私から見ても惚れ惚れする美しい脚は、1952年に500万ドルの保険がかけられて話題を呼んだそう。
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